第二句集『森林』所収。昭和五十二年作。
『森林』の「源泉」と題された昭和五十二年の項には、この句を含む「那須 六句」と前書のある句群がある。掲出句の他の五句は以下。
恵方嶺噴煙もまた雪白に
初笑ゆぜん神社の高みより
蒼さびて殺生磧雪置かず
一塊の地吹雪飛べる硫気谷
幹々の背伸びに雪の花ちるよ
掲出句は「蒼さびて」と「一塊の」の間、六句中四句めに置かれている。
「二日」と詠っていることから、正月に那須を訪れた際の作だろう。この句の「殺生石」、二句めの「ゆぜん神社」から那須湯本付近を散策したとみられる。同行者がいたのかどうか、全句集を探ってみたみたが記載はなかった。
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「ゆぜん神社」は那須町湯本にあり、正式には那須温泉(なすゆぜん)神社。七世紀頃、狩で傷を負わせた鹿を追って山へ入ると翁が現れ、鹿が傷を癒している温泉を告げた。温泉発見を感謝し、祠を建てたのがこの「温泉神社」の始まりと伝えられる。
「殺生石」は、栃木県指定文化財・史跡。那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川沿いに「賽の河原」があり、その奥に「殺生石」はある。
「殺生石」は「九尾の狐」にまつわる史跡とされる。「九尾の狐」伝説は、平安のむかし帝の愛する妃に「玉藻の前」という美人がいたが、これは天竺、唐から飛来してきた九尾の狐の化身だった。
帝は日に日に衰弱して床に伏せるようになって、やがて陰陽師の阿倍泰成がこれを見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を退治する。すると狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼした。その後源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散ったといわれ、そのうちの一つが殺生石であると伝えられる。狐の化身した大きな岩が今もなお、退治された恨みを抱いて毒気を吐いているとされる。
つまりは、有毒ガスが噴出するこの周辺で人や動物が死ぬのを、石の霊の仕業と考えて「殺生石」と名付けた。そして「九尾の狐」の伝説を付け、注意を促してきたのだろう。
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ところで、芭蕉は「おくのほそ道」でこの地を訪れ、「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す。」と書き、
石の香や夏草赤く露あつし 芭蕉を詠んでいる。
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さて掲出句。この句について自註に〈「二日」というところに「那須の雪」を籠めている。そうでないと「ほのぼの」とはいかない〉と記している。
他の五句から、このとき雪がちらつき、時に吹雪いていたことがうかがえる。辺りに雪が積もっていたのかは不明だが、硫黄を発する殺生石のあたりは、その地熱によって雪が解けている状態であることは三句めの「雪置かず」からも推察できる。
殺伐とした殺生石を見て、さすがの殺生石も雪降る正月二日にはその邪気も衰えている、というような読みは安直すぎるだろう。その意味では、自註の「ほのぼの」「雪」「二日」の関係性、意味合いを、私にはまだ読み解けていない。
私はこの地を未だ訪れる機会に恵まれていない。ここを訪れ、殺生石に相対した時、何か見えてくるのかもしれない。
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