〔三〕「虹二重神も恋愛したまへり 津田清子」についての山口誓子の評
1) 「天狼」第二十號(昭和二十四年九月号)の《遠星集》の欄に「虹二重」の句が巻頭句となる。
津田清子の天狼賞受賞に先立つ昭和二十四年天狼九月号に、彼女の代表句となったこの句が巻頭にかげられていて、山口誓子の懇切丁寧な批評がほどこされている。それを紹介しておこう。今の所。資料参照できるのは、以下の「天狼」六月號の遠星集二句。三人目に置かれている。
母の忌や田を深く鋤き帰り來し 奈良 津田清子
難破船しばらく春の潮湛ふ
以降、私が気を入れて書き写したのは、つぎのようなところである。
「天狼」九月號 遠星集(昭和二十四年 第二巻九月號 二十號)
虹二重神も恋愛したまへり 奈良 津田清子
交響曲の最後は梅雨が降りつつむこれに続いて、内容的には、またく違うが、こういうのもあった。
虹の下夫婦は皓歯もて逢へり 奈良 堀内小花
裁断に閾際まで麥黄ばむそれはともかく。山口誓子がこの清子の句について次の
ような選後評をほどこしている。資料として全文を挙げて、今回はこれを投稿分とする。
2)「天狼」昭和二十四年六月号 選後獨斷 山口誓子
芭蕉の作品がいくら高いからと云つて、いきなり芭蕉を自分の標格とする訳にはゆかぬ。それには、どうしても、芭蕉と自分の間の、中間標格として手近な現代作家を標格とし、その作品をめざして進むといふことにならざるを得ない。芭蕉を標格とすることはその先の。またその先のことであつていヽのである。
この事情は作家一般に通じ、女流作家に就いても異なるものではない。
「天狼」の女流作家の中には橋本多佳子さんを標石としてゐる人々のあることを私は知つてゐる。多佳子作品が女流として「天狼」精神を最も正しく、最も深く具現してゐる以上、女流がそれを目ざして進まうとするのは当然である。
津田清子さんはさういふ側の女流としてその進出目覺しい。
今回はこの女流を巻頭に据ゑた。
女流はこれを機会に奮起して津田さんにつヾいて貰ひたい。
虹二重神も恋愛したまへり
二重の虹は和漢三才図会の挿絵にも描かれてゐる。
天の戯れ、虹の外側に更に一虹を生ずることがあるのである。
中国では第一の虹を正虹と云ひ、第二の虹を副虹と云ふ。
副虹は正虹よりも色やヽ薄く、色の排列の序は正虹と相反してゐる。(排・・原文がこの文字)私はわざと二重虹の成因には云ひ及ばない。
さふいふ科学的の説明はこの句を味ふ上に要はないからである。
天に虹が懸つてゐる。紅勝ちの色鮮やかなその虹を見恍れてゐるうちに、ふとその外側にも色薄く別の虹も懸かつてゐことに気がついた。濃淡二重の虹をと見かう見しながら、作者には、神々も地上の人間の如く恋をしたまふのかと思へてならなかつた。
正虹が男神か副虹が女神か、そんなことの穿鑿を許さぬほどにこの句は直接である。 二重の虹の美しさが即ち神々の恋の美しさなのである。 「恋」と云はず「恋愛」と云つたのも、虹の美しさを生き生きと傳えてゐる。
この句は草田男氏の「寒星や神の算盤ただひそか」を想はしめるが、「寒星の句は「寒星」と「神の算盤」が直ちに結びつかぬところに一種のもどかしさが感ぜられる。しかし「虹二重」の方にはさう云ふもどかしさは全く感ぜられない。直接と云つたのはそれ。
著者より「現代俳句体系」の「石田波郷集」を贈られて見てゆくうちに、私は「雨覆」に
N家もっとも飢ふ
夕虹の二重なすはや寢て了ふか
と云ふ句のあることを知つた。
虹二重の句の「先行者」であるが、津田さんの句は新しい別に新しい境地を拓いてゐる。それは認めねばならぬ。
以上 誓子評 全文。
かかる、批評の名文をかきうつしていると、へたなあれこれの感想を言うまえに、読者にまず讀んでもらっておきたい。津田清子が第一陣として、当時どのように誓子に指導されたのか、を読み取って欲しい。 (続)
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