2014年5月9日金曜日

「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」13 / 筑紫磐井


⑬エッセイは語る

昭和49年から56年までの沖の青年作家特集の中から正木ゆう子の作品を眺めてきた(この特集時代は創刊早々の、昭和47年から始まっているが、まだ正木ゆう子は参加していない)。この中で、55年5月「沖の20代特集」を書きもらしたので、正木作品を紹介しておく。ある意味で当時の正木ゆう子を最もよく代表しているかもしれない。

  己惚れ鏡 東京都正木ゆう子 
婚礼や冬の金魚を泳がせて 
衿立てて黙つて暮れる街愛す 
火の夢と水の夢見し春あかつき 
啓蟄の電車叫びてすれ違ふ 
はくれんの切に求むる形にて 
蜂蜜が固くて春の指撓む 
沈丁の闇押しひらき踊りにゆく 
春月へ言葉を射むと身を反らす 
触れられぬ限りは黙し琴朧 
花アカシア暮色は街に降るやうに 
闇の奥へ潮引いてゆく花吹雪 
夜の桜与ふるやうに枝延べし 
韮咲いてある日の心手に負へず 
ほのくらきうぬぼれ鏡春館 
夜桜の冷気を浴びし指輪置く
昭和27年6月22日

この号には又いつものように小文を掲載している。

つき纏う鏡がある。目をやれば、ありありと二十七の女の顔が私を見つめる。すっと身を引いて遠景の中に佇むほど器用ではなく、目を外らすこともできずに、ときには夢の中までも鏡が立ちはだかる。鏡を覗くことは、まるで悪癖のように思われるが、それは同時に救済でもある。鏡は、ただ正直なだけなのだ。鏡のうしろには、おそらく、世界が拡がっているのだろう。」(55年5月)


2年に1回掲載された小文を読み比べて来ると、熊本から出てきたうら若い女性が、東京でどのように変貌してきたがよく分かる。再掲になるが抜き出してみよう。正木ゆう子のエッセイ集には一切出てこないが、正木ゆう子という俳人が形成されるまでをたどるためには貴重な資料だと思う。女性とはこのように変化するのか、融通の効かない原理主義的な男性に比べて実に爬虫類的だ。

去年の夏の或る日、黄色い小菊を抱いて歩いていると、ふと季語入りの十七文字の短い言葉が口をついて出て来た。それ以来、まるで子供が浅瀬で水遊びをするようにピチャピチャと俳句を読み、俳句とも言えないようなものを作ってきた。今、半年たって、自分にとっての俳句を意識して見ると、その魅力はもう浅瀬ではなく、引き返せなくなっていることに気づく。こうなったら覚悟を決めて、沖へ泳ぎ出すだけだと思っている。」(49年5月「浅瀬から沖へ」)

時計のベルは楔のように夢にくい込み、やむを得ず地下鉄に乗る朝。カップの底に玉葱とピーマン沈んだスープと珈琲のランチ・タイム。花の闇へカーテンを引けば一日はたやすく終わってしまう。

季節さえ追い越しかねない勢いで毎日は過ぎてゆく。自らの光など発するすべもない二十三歳。せめてさしてくる陽射しを正確に、水底からきらりきらりとはね返したい。反射光。俳句がそうであればいいけれど。
」(昭和51年5月「せめて反射光に」)

ひとつの完全な夜の憧れがある。閉ざされた、胎内のような暖かい闇。それはまた輝く昼、あるいは生への予感でもあって、たとえば一人の魅力的な男性、一枚のレコード、一冊の本の中に、それはある。そして完成されたひとつの俳句は、完全な夜そのものだ。
完璧な夜のような俳句への憧れは、皮肉にも未熟な無数の言葉を吐き出すことになってしまうけれど、それでもあきらめることはないのだろう。
」(昭和53年5月)

文章は常に自画像的である。他者は、目の前に流れてゆく風景のようであり、本質をなさない。

以上、ことさら眺めてきたのは、毎年5月の正木ゆう子の作品である。句集を読んだり、毎月の雑詠をまとめて読むのよりは、分かりやすいかもしれないと思ったからだ。特にこれらは特別作品で、能村登四郎を始め誰の選も経ないで提出しているから、雑詠にくらべて正木ゆう子の本音、成功も失敗もすべて見えることになる。おそらく今までの「正木ゆう子論」で一度も使われたことのない材料に違いない。

もちろん、この中から多くの句を抜き出すことができるが、むしろ関心があるのは正木ゆう子が句集で選ばなかった句に出ている「生活感」だ。俳句は言葉であるのだが、そこで使われている言葉には、この当時まだ生活と遊離していない言葉が多く拾われていた。正木ゆう子の原風景は、そうした生活感があったに違いないと思う。もちろん、現在の若い人々が感じる生活感とはかなり異なるかもしれないが、正木ゆう子の俳句を作りだす肉体があった筈なのである。句集収録句のあいだにそうした句を埋め込んでいかないと、正木ゆう子は見えてこないかもしれない。現代の人はそれをどれくらい感じ取れるだろうか(以下、当時好評であった句で、●は第一句集『水晶体』収録句)。

角ごとに風が生まれる二月の街 
桃咲いて部屋の四隅のやはらかし 
春暁の首すんなりと起き出づる 
春病めば足が遠くにあるごとし ●→上五を「春の風邪」に添削 
サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる● 
春のセーターからひとすじのラメを抜く● 
髪切りてどこかにひとつめの蓮華 ● 
きさらぎの昼クリスタル眠る地下
雪の中を行くべき手紙投函す ● 
蟹の海われに母性の翳なくて 
本売りて小さき鉢のパセリ買ふ 
曖昧に手をおよがせてさくら切る 
赤き紐春の神社に失くしけり ● 
夢に入る境のごとくかぎろへり 
触れるもの色づきさうな桃の昼 
夫ありて猶セーターの黒を愛す 
髪を切る音より春の確かなり 
囀りや鏡中うごくものばかり 
思ひきりカーテンを引くリラの花 
春疾風言はぬ言葉がふえてゆく 
ほのくらきうぬぼれ鏡春館● 
春の雷ポットにお茶の葉が開き 
兄妹に得体の知れぬ海鼠かな 
寝返りうつと海月より遠き夫● 
放蕩す坂の半ばのからすうり


理由があり、以上でこの「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」シリーズを終了する。

ご愛読を感謝する。次は別企画で継続する予定である。


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