波多野爽波(1923〈大10〉1.21~1991〈平3〉10.18)の自信作5句は以下通り。
厄といふ赤み帯びたるもの落す 「青」1989(平成元)年3月号
ニコチンで肺がまつくろ磯巾着 〃 5月
チューリップ花びら外れかけてをり 〃 6月
水遊びする子に手紙来ることなく 〃 8月
北風や椿油は瓶の底 〃 1990(平成2)年1月号
一句鑑賞者は、岸本尚毅。その一文には「この句は決して目で見て作った写生句ではない。水遊びをしている子供をじっと観察していても、その子に『手紙来ることなく』という情報は得られない。もし、その子宛に友達からつたない鉛筆書の葉書が届き、『○○ちゃん、□△ちゃんから葉書が来ているわよ』と母親が言いにくる場面があれば、容易に、/水遊びする子に届く手紙かな/と詠めるであろう。しかし、爽波の句は、感覚だけではとらえられない子供の本質を洞察し得てはじめて書ける作品である。『届いた』という肯定型の認識には、注意深くものを見ていれば、やがて到達できよう。しかし、何の手がかりもないところから、『来ることなく』という否定型の認識を切り取って来るのは相当高度な芸である。それには、まず思考の回路の中で子供と手紙とが結びつかねばならない。そのためには真面目な努力だけでは得られない何かが必要なのだ」とある。
また、この一文の冒頭には「波多野爽波は、一見人を食ったようなトリビアルなことを俳句に詠んで、実はこれまた人生の意外な真実を突き付けてみせる作家である」と切り出している。
爽波は、この句ののち、ほぼ一年とわずかでこの世を去り、主宰誌「青」は終刊する。そして、翌1992(平成4)年、爽波の弟子であった田中裕明は、この句に呼応して「水遊びする子に先生から手紙」の句を詠んだ。まとめられた裕明の句集『先生からの手紙』は、文字通り子どもを詠んだ句も多いが、師の爽波を詠んだ句も多い。「爽やかにあゆみし人を師表とす」「冬木立師系にくもりなかりけり」「子規の忌を修し爽波の忌を修す」「先生の句に脇を付け夏料理」。
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