昨年末、牧野十寸穂が編集する『アナホリッシュ國文学』第五号(響文社)が刊行された。「俳句」を特集した本号のメインは「俳句の近代は汲みつくされたか」と題する上野千鶴子、齋藤愼爾、江里昭彦の三者による鼎談、およびW・S・マーウィンによる蕪村句集の英訳完結を受けたマーウィン論と蕪村論であるようだ。
しかしながら、上野らによる鼎談記事にはほとんど見るべきものはなかった。それは彼らが提示する俳壇や俳句表現の現在についての認識や展望があまりに常識的で良識的なそれであったことに原因のひとつがあるように思われる。
たとえば江里は「俳人」の定義について「結社に属して句会で高い点を取るのに夢中になるとか、結社の出版記念会に出席してすこし華やいだ気分になる、そういうことを繰り返している人」もいれば「俳句を文学として追究して、齋藤さんのようにいろんな本を読みながら活動している俳人」もいるとしたうえで、次のように述べる。
これは互いに交わらないかもしれないし、ときには敵視しあう。俳句が大衆的な基盤を保ちつつ作られ続けるだろうということは見越せるとしても、その内部ではいろんな軋轢、反目はなくならないでしょうね。それを活力に転じることが出来るか、非生産的な消耗戦として遂行していくかという違いはあるにしても。
この「良識的」な見解はすでに僕たちにとってありふれたものだ。というよりも、ここでいう「軋轢」のなかで、それでも俳句を書こうとするとき、それはどうすれば可能であるのかということを僕たちに示し続けてきたのがほかならぬ江里だったはずである。したがって、「俳人」や「俳人」の営みについてのこの種の言説ほど僕たちにとって常識的なものはない。もちろん、いまだこうした認識を提示するところから始めるほかない江里の覚悟は僕などには思いもよらないことであるが、一方で、この種の「良識」を前提としてきてしまった僕もまた江里とはやや異なる意味においてこうした認識から始めるほかないのである。
同号には俳句についての論考が数本掲載されているが、関悦史が寄せた「俳句の懐かしさ」のなかに次のような記述がある。
俳句形式に固有の聖性への回路があるとすれば、それは日常生活・技術・物・溺死者といった断片的個人的なものたちに凝集された歴史性と、聖性・法・道徳律といった不可視の統合性との間にあるものとしての人間に、脇句以下を欠いた断片として独立し、個人の内面や言説性をその短さと滑稽性によって相対化しつつ、ひとつの統合性を示すという俳句のあり方とが構造的に相似であるという点に他ならない。俳句の懐かしさはここにある。俳句は飛躍と断裂と驚異によって自己や因果律を離れ、その上で他界的なものを含みつつ再統合を果たすものなのだ。
関はここで「俳句のあり方」を「脇句以下を欠いた断片として独立し、個人の内面や言説性をその短さと滑稽性によって相対化しつつ、ひとつの統合性を示す」ものであるとしているが、これを関自身がかつて照井翠の句集『龍宮』について述べた次の評言と考えあわせるとき、俳句形式によるほかなかった書き手としての照井のありようがよりくきやかに見えてくるようである。東日本大震災で被災した照井の俳句について関は次のようにいう。
ここでの句作は、大災害の表現不能性に直面することではなく、涙を誘う程度には理解・受容の可能なものへと震災をスケールダウンしていくことにひたすら奉仕しており、この句集の達成と限界はいずれもそこにある。(略)
繰り返すが、嘆き、泣くという感情的な反応に回収可能な、綺麗なものへと震災体験を変貌させることが、照井翠にとっての震災俳句の意義なのだ。(「俳句形式の胸で泣く 照井翠句集『龍宮』を読む」『週刊俳句』二〇一二・一二・一六)
個人の危機のさなかにあって照井が俳句形式に自らの寄る辺を見出したのは、まさに先の関の示した「俳句のあり方」を逆手に取るような発想によるものであったろう。いや、もう少し正確にいうなら、それは「発想」などというものではなく、むしろ俳句形式に携わってきた照井がほとんど無意識裡に選びとった自己救済の術であったろう。だからこそ、僕たちにはそのような照井の姿勢を安易に批判することができないし、さらにいえば、照井のあり方はそのまま僕たちのあり方を映しだすものでもあることに気づかされる。
関はまた『龍宮』評で次のようにも述べていた。
この句集が読者にとって辛いのは、震災体験に晒された人の苦しみに巻き込まれるからということだけではなく、涙に俳句を奉仕させることの倫理的ともいうべき是非に、作者とともに立ち会わされるからである。
関はこのように述べるが、もう一歩踏み込んでいうなら、涙に俳句を奉仕させるとき、その俳句にもまた他者を奉仕させているのである。たとえば、照井が一人の死を「ランドセルちひさな主喪ひぬ」と詠むとき、そのように詠むことで照井はようやく事態に対処できたのであろうが、逆にいえばこの句はほかならぬ照井のための渾身の一句であって、「ちひさな主」のための一句ではありえない。言い換えるならば、ある個人の死が照井によって「ちひさな主」の死として俳句になるとき、照井はその個人の死を自らの俳句に―ひいては「涙」に―奉仕させているのではあるまいか。これはいかにも傲慢な行為のようだが、しかしながら、たとえそれが倫理的に間違っているとしても、そのことをもって他者を俳句に奉仕させることが間違いであるとするのは違うだろう。というのも、照井やあるいは俳句に携わる僕たちの営みのはらんでいる本質的な「後ろめたさ」に思いを寄せるならば、このような照井の行為の是非を問うこと自体は重要であるにしても、その答えを見いだそうとすることはほとんど無意味であろうと思われるからだ。
たとえば、東日本大震災の発生から約二週間後の「被災地」で取材を行った森達也は自身の「後ろめたさ」について次のように述べている。
不幸の度合いが大きければ大きいほど、被写体としての価値は増大する。当たり前のこと。でもならばなぜ、人は誰かの不幸に興味があるのだろう。そもそも僕はなぜここにいるのだろう。なぜ両親を亡くした子どもを撮りたいなどと考えたのだろう。(略)
事件や事故、そして災害は、すべて「人の不幸」が前提だ。愛を訴えるとか絆を確認するとか後世の教訓にするとか、そんな綺麗ごとで自分や誰かをごまかしたくない。状況が悲惨であればあるほど、記事や映像は価値を持つ。だって人は人の不幸を見たいのだ。そして僕たちは、人のその卑しい本能の代理人だ。つまり鬼畜。謙虚でも開き直りでも比喩でもなく、鬼畜のような行状を仕事に選んだのだ。(森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治・佐藤忠男『311を撮る』岩波書店、二〇一二)
もちろん、「当事者」である照井の表現行為と「非当事者」である森のそれとは次元の異なるものであり、同列に扱うべきものではないにちがいない。しかし、どのような表現行為であれ、この種の「後ろめたさ」はどうしようもなくつきまとう。だからこそ僕は、他者を俳句に奉仕させることの倫理的な是非は常に問われるべきだと思うし、同時に、その答えを出すことは無意味だと思うのである。
森は「人は人の不幸を見たいのだ」と述べているが、「後ろめたさ」はまた見る側にも通底するものだ。かつて写真家のケビン・カーターが飢餓状態にある少女を撮影した「ハゲワシと少女」を発表したとき、なぜ少女を助けなかったのかという批判が殺到したというが、この批判が示唆していたのは表現するという行為の持つ「後ろめたさ」だけではあるまい。あのとき猛烈に沸き起こった批判は、本当はそうした写真を見ることを欲する側に潜む「後ろめたさ」のひとつの反照ではなかったか。
翻って、先の江里の言葉に立ち戻ると、「結社に属して句会で高い点を取るのに夢中になるとか、結社の出版記念会に出席してすこし華やいだ気分になる、そういうことを繰り返している人」と「俳句を文学として追究して、齋藤さんのようにいろんな本を読みながら活動している俳人」という二分法は、俳句についての本質的な議論には何の関係もないことだ。結局のところこの両者は俳句という営みに携わっているという点において共犯者なのである。たしかに、自らの行為について自覚的か否かという違いはあろう。けれどその程度の違いなど、俳句という営みのもつ圧倒的な「後ろめたさ」の前で何になるというのだろう。
ランドセルちひさな主喪ひぬ(照井翠)
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ディスレクシアちいせえ親書き刺すぜ(y4lan)