ころがりし桃の中から東歌
東歌(あずまうた)は、東国地方の歌の意で、『万葉集』巻14と『古今集』巻20の「東歌」という標題のもとに収められた和歌の総称。
転がり踊るような桃の様から東歌を萌芽させていく。
恩田侑布子俳句の本句集『夢洗ひ』全体に拡張高く醸し出されている。
長城に白シャツを上げ授乳せり
中国では万里の長城が規模的にも歴史的にも圧倒的に巨大で、単に長城と言えば万里の長城のことを指す。この中華人民共和国に存在する城壁の遺跡。その一部はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
この長城の光景のひとつとして白シャツを上げ授乳する母と子がいたのだろう。
このような旅(吟行)において優れた俳句を成せるのも特筆すべき恩田侑布子俳句の力量で海外詠の俳句に描かれた長城の日常は、すこしずつ移ろい変わりゆく伝統的な風景と変遷においてひょっとしたらもう見ることのできないこの時代の牧歌的に包み込む旧き良き時代として顧みられるかもしれない。
ひたす手に揺るる近江の春夕焼
「破魔矢抱くわが光陰の芯なれと」「夕焼のほかは背負はず猿田彦」「たをやかに湯舟に待てり菖蒲の刃」「酢牡蠣吸ふ天(てん)の沼(ぬ)矛(ぼこ)のひとしづく」「空渡れよと破魔弓を授かりぬ」など本句集に内包する神々のなす術とさえ感じられるほど拡張高さを持たせた俳句の技量も恩田侑布子俳句の見せ方が、楽曲のように通底しながら川のように流れているからだ。
近江国(おうみのくに)は、かつての令制国のひとつ。現在の滋賀県全域にあたる。近江といえば、淡水湖。特に,琵琶湖のことを差している。この琵琶湖が丸ごと夕焼けてしまう。そこに手を浸すと水面をゆがめながらゆらゆら指先が魚の泳ぐように揺れている。
俳句1句が、1枚の芸術的な絵画のように萌芽し、創造されている。
こないとこでなにいうてんねん冬の沼
コピー機の照らす一隅秋(あき)黴(つい)雨(り)
緩和ケア病棟下の青蜥蜴
わが視野の外から外へ冬かもめ
女性のパンチの効いた関西弁でんな。冬の沼まで、かの男性は、ロマンティクに吼えろ的なドラマを思い描いていたのかもしれません。そこがボケとツッコミになってしまうのも沼るあなただからかもしれない。
コピー機が稲光の閃光のように隅まで照らし切る。そこにもひとつの物語を創出する。
癌病棟の緩和ケアの会話は、此処では一切、聴こえてこない。その病棟の外壁に青蜥蜴がサバイバルに生きている。モノに語らせた秀句。
私の視界の外から外へ冬の鷗(かもめ)は、飛び交う。俳人の五感と想像力は、鷗の声の切れから風を切って飛び交う羽音からさまざまな物語を喚起されるのだろう。恩田侑布子俳句の術は、その想像力から描き出され、丁寧ないにしえのひと葉ひと葉を風に舞わせるように思い描き、現代社会の物語までも多様に創出している。
その他、共鳴句もいただきます。
一人とは冬晴に抱き取られたる
葛湯吹くいづこ向きても神のをり
告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む
脚入るるときやはらかし茄子の馬
親と子のえにしを雪に晒しけり
容れてもらふ冬木の洞(ほら)の大いなる
吊し柿こんな終りもあるかしら
冬耕の股座(またぐら)に日のありにけり
缶蹴りの鬼の片足夕ざくら
あめつちは一枚貝よ大昼寝
藤房のつめたさ何も願はざる
驟雨いま葉音となれり吾(あ)も茂る
風狂をわれと競へや山蚕蛾
子かまきり早や草色に身をあづけ
深泥池(みぞろがいけ)に精霊ばつた貌小(ち)さし
どろ沼の肌理こまやかに冬来る
蟷螂の卵塊を抱き枯れゐたり