句集『日常』(金子兜太、2009年5月刊、ふらんす堂)を何度も読み返す。
先ずは、帯文を引いておく。
この日常に即する生活姿勢によって、踏みしめる足下の土が更にしたたかに身にしみてもきた。郷里秩父への思いも行き来も深まる。徒に構えず生生しく有ること、その宜しさを思うようになる。文人面は嫌。一茶の「荒凡夫」でゆきたい。その「愚」を美に転じていた〈生きもの感覚〉を育ててゆきたいとも願う。アニミズムということを本気で思っている。(あとがき)
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ
金子兜太の母は、「うんこのように」の強烈な比喩で彼を産むとある。
己の誕生を長寿の母を眺めつつ自己や母の死が身近な生活空間にある中で俳句に詠まれる。
これまでの金子兜太先生のパンチの効いた俳句たちに何処か通底している。
そして兜太先生の晩年の〈生きもの感覚〉やアニミズムについて思考を深化させ続けたのは、誕生とも死とも向き合うその真摯な俳人の姿勢にあるのではないか。
合歓の花君と別れてうろつくよ
「手術待つ妻に海上の海月」「癌と同居の妻よ太平洋は秋」「病いに耐えて妻の眼澄みて蔓うめもどき」など妻・金子皆子氏との惜別までも俳句に感情を託していく。
いのち確かに老白梅の全身見ゆ
「シャワーの湯を体にぶつけ冷(すさ)まじや」「荒星に和む眼(まなこ)の友ら老ゆ」「男根は落鮎のごと垂れにけり」「秋遍路尿瓶を手放すことはない」「バナナ一本の朝食や霧の家」「一人寝に鶴瓶落しの湖(うみ)がある」「寒鯉にかこまれている宵寝かな」「おたまじやくし見ていて眼科医と話す」「ぽしやぽしやと尿瓶を洗う地上かな」など金子兜太先生自身の老いも包み隠さず俳句に生き様を刻み込んでいく。その生き様さえも生きもの感覚の延長線上にあったのだろう。
左義長や武器という武器焼いてしまえ
社会性俳句の旗手であった金子兜太の態度は、「いのち」に向き合うことだったのかもしれない。命を傷つけ、奪う。そんな武器への戦争への怒りの炎は、その武器を焼いてしまうことにまで言及されていく。
2015年5月に安全保障関連法案が国会に提出された(同年9月に成立)。その抗議のスローガンは、澤地久枝氏によって考案され、揮毫を金子兜太に依頼された。それぞれの運動の抗議の場でこのプラカードが、躍り狂うようにさえ見えた。社会性俳句への議論は、たとえ議論しつくされたとしても私にとって結論よりもこれから私がどう生きて行くか。私なりの態度を俳句で打ち出していく指針にもなる。
「父の好戦いまも許さず夏を生く」「新月に浴後の軀一つ曝す」なども金子兜太の社会への態度や葛藤が俳句に刻まれている。
「海程」会員時代に出会ったこれまでの私なりの俳句への態度は、金子兜太先生たち俳句に人生をかけて刻み込んだ俳人としての態度から、やはりこれからも学び続けることになるだろう。
共鳴句を下記にいただきます。
秋高し仏頂面も俳諧なり
とりとめなし無住寺のごきぶり
奥山の岩の匂いの無常感
みどりごのちんぼこつまむ夏の父
ここ青島鯨吹く潮(しお)わらに及ぶ
炎昼の茶昆白骨となり現(あ)れしよ
熊飢えたり飢え知らぬ子ら野をゆけり
冬眠も成らずや眼光のみの蛇
母の歯か椿の下の霜柱
東京駅怒鳴る男と寒卵
野に眠る陽炎とともにいる時間
心太真つ暗闇を帰り来て
霧の海ひつそりと春情の野生馬
いのちと言えば若き雄鹿のふぐり楽し
人々に蜩落ちてばたばたす
朴咲けり朝から旧き戀歌ばかり
柿若葉海光とどく頭(ず)や虚し
ごうと黒南風禿頭ほどほどの湿り
頂上はさびしからずや岩ひばり
蟬がこんなに出て寺を猪(しし)歩く
夏の鹿夕日が月のごと赫く
露舐める蜂よじつくりと生きんか
虚も実も限(きり)無(な)く食べて秋なり
山楝蛇の見事なとぐろ昼寝覚
人の子が見ている牛蛙泳ぐよ
ビル街に白木槿フリーターのように
一日中光り貪り夜長かな
梨の花麻痺で曲がつた顔曝す
言霊の脊梁山脈のさくら
源流や子が泣き蚕眠りおり
山霧の触覚もあり螢狩
青胡桃逢いたい人がやつて来る
誕生も死も区切りでないジユゴン泳ぐ