2024年11月29日金曜日

第237号

             次回更新 12/13



小特集:秦夕美追悼
秦夕美ノート・余滴 佐藤りえ 》読む
豈67号 秦夕美特集目次+秦夕美著作一覧 》読む

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで
①》読む
②》読む
③》読む

現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 5 筑紫磐井 》読む

澤田和弥句文集特集
はじめに 澤田和弥句文集について 津久井紀代 》読む
はじめに 凡例 筑紫磐井 》読む
第1編① 現在という二十世紀 》読む
第1編② 肯うこと―西村麒麟第一句集『鶉』読後評―【西村麒麟『鶉』を読む5】 》読む
第1編③ 無題 》読む
第2編 美酒讃歌 ①麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ②続・麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ③焼酎讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ④熱燗讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑤続・熱燗讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ⑥冷酒讃歌 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年夏興帖
第一(10/11)小野裕三・曾根毅・大井恒行・仙田洋子・辻村麻乃
第二(10/18)神谷波・瀬戸優理子・岸本尚毅・鷲津誠二・坂間恒子
第三(10/25)ふけとしこ・仲寒蟬・豊里友行
第四(11/1)木村オサム・中西夕紀

令和六年秋興帖
第一(10/25)曾根毅・大井恒行・仙田洋子
第二(11/1)辻村麻乃・神谷波・瀬戸優理子
第三(11/15)岸本尚毅・坂間恒子・ふけとしこ・仲寒蟬

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第49回皐月句会(5月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり19 堀田季何『人類の午後』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(52) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](50) 小野裕三 》読む

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測260 鷹羽狩行の晩年——『十九路』『二十山』を読む

筑紫磐井 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】② 『情死一擲』の幻視的リアリズム  櫻井天上火 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 3 現代川柳に通じる三句 佐藤文香 》読む

【連載】大井恒行『水月伝』評(2) 田中信克 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

11月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで①

➀まほろば帯解俳談抄 ― 筑紫磐井さんを囲んで ―     堺谷真人(豈)

 浮世絵師・歌川国芳に「相馬の古内裏」という作品がある。山東京伝の読本「善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」の一場面を描いたもので、夜陰を背景にした巨大な骸骨が御簾を破って内側を覗き込む構図がおどろおどろしい。平将門が下総国に築いた内裏の廃墟を巣窟に、妖術を授かった将門の娘・瀧夜叉姫とその弟・相馬太郎良門が謀叛を企て、これを阻止しようとする大宅太郎光圀と対決するシーンだ。

◆   ◆   ◆

 さて、奈良市南郊の帯解の里、窪之庄町には水輪書屋(すいりんしょおく)という古民家がある。敷地面積約400坪、築250年と推定される豪農の旧宅だが、屋根が朽ち落ちて床の間から空が丸見えになるくらい荒廃していたのを、歌人・北夙川不可止さんが修復し、アートの殿堂としてみごとに蘇らせた。

 2024年11月17日(日)、その水輪書屋に集まったのは、俳人・筑紫磐井さんを囲む会の面々。磐井さんが発行人を務める「豈」の同人をはじめ、「藍」「麒麟」「群青」「翔臨」「草樹」「楽園」などの俳人、「晴」「ゆに」で活躍する川柳作家に加え、歌誌「玲瓏」「短歌21世紀」所属の北夙川さんが座敷の車座に列なった。

 磐井さんによる話題提供の劈頭は、彼の近著『戦後俳句史nouveau1945-2023三協会統合論』(ウェップ)に因んで、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会の統合の可能性に関するもの。詳細は省略するが、1961年12月に始まった俳人団体の分裂・分派が、有季・無季、定型・自由律など相異なる俳句観を有する俳人たちの相互批評空間を狭め、結果として「俳壇無風」とも言われる大いなる停滞の時代を招いたのではないかとの考察には共感する所があった。

 一方、国語教科書に無季俳句を載せないよう出版社に要望書を出す、「無季は俳句のようなもの」と幹部が発言するなど、俳人協会は時おり排斥的、攻撃的な面を見せるとのこと。何故だろうか。少し残念な気がする。

 かつては金子兜太と能村登四郎、飯田龍太と鈴木六林男がそれぞれ現代俳句協会賞を同時受賞するなど、現代俳句協会は多様な俳句・俳人を包摂していた。所謂historical ifになるけれど、もし協会分裂なかりせば、飴山實と赤尾兜子が同時受賞した可能性だってあったと磐井さんはいう。いま改めて三協会「統合」と聞くと事々しい感じがするが、要は時計の針を「63年前にもどすだけ」だと。妙に納得してしまった。それにしても、統合後の団体名は「俳句統一協会」になるのであろうか。

 ついで話題は俳句のユネスコ無形文化遺産登録へ。無形文化遺産として認められるためには、「俳句とは何か」という定義が必要になる。現在、「プレバト」の夏井いつきさん等の影響もあってか、「俳句は有季定型でなければならない」との風潮が世の中では一般的である。そんな中、仮にユネスコが「俳句とは五七五定型と季語を有する自然詩である」と定義づければ、無季俳句や自由律俳句が不当に排除されるのではないか、との懸念を有する人々もいるのだ。「豈」編集顧問の大井恒行さんもその一人。昨今、ユネスコ無形文化遺産登録に反対する大井さんへの風当たりが強まっているが、登録を推進する団体の幹部諸氏は多様な意見に耳を傾けつつ、この問題に対して丁寧に説明を重ねる義務があるのではないだろうか。

 そして「囲む会」は中盤へ。

 俳句の国際化に関する磐井さんの見解を伺ったところ、俳句とは第一義的には日本語による詩歌作品であり、言語も韻律も異なる海外のハイク、haikuとは合致しないとの基本認識であった。勿論、日本語で俳句を書く人々が外国語ハイクからインスピレーションを得てそれが作品に影響を与えることはあるかもしれないとのこと。

 これに対して、英語ハイクから俳句の世界に入ったというMHさんからは、俳句とハイクはたしかに全然違うものだが、それでも翻訳には挑戦しつづけたい、との発言があり、更にこれを受けてドイツ文学研究者のMNさんからは、翻訳そのものの可能性、不可能性に関する議論や言語の起源に関する学説を紹介して頂くなど、活発な意見交換がなされた。

 休憩を挟んでの後半戦は、磐井さんが練達の書き手、評論家であることから、話題は評論の書き方へ。最近「豈」に入会したMKさんからテーマの探し方、資料の引用の仕方、タイトルの付け方といった実践的な質問があり、それに対する磐井さんの回答はおおよそ以下の如くであった。

 テーマの選択に当たっては、まず第一に自分自身の関心のないことは書かない、というのが原則。ただ、編集者の共感と熱量によって書き手が自らのテーマを深掘りしたり拡張したりということも実際にはある。引用については必ず原典=一次資料に当たること。著名な書き手の評論にも孫引き、ひ孫引きをしているために事実誤認が多数見られることがある。ファクト・チェックが大切。本のタイトルは、その時代の空気、流行、事件などさまざまなことを考慮してつけている。出版社は売れるキャッチーなタイトルを常に考えているので相談すると良いかもしれない、云々。

 原典=一次資料という話で一点補足しておくと、「囲む会」には神戸大学山口誓子記念館のYKさんも参加していた。前衛俳句をめぐる山口誓子と堀葦男との応酬の経緯に関して、さる高名な評論家の著書に誤った時系列の記述があることを、かつて朝日新聞の記事データベースに拠って実証的に指摘してくれたのは他ならぬYKさんである。

 続いて議論は再び俳句史へ。

 戦後俳句を考えるとき山口誓子の「天狼」の果たした役目は大きかったにも拘らず、磐井さんも川名大氏もそこにあまり触れていないのは何故か、とSKさんが質問。これに対し、磐井さんからは次のようなコメントがあった。西東三鬼を指導者とする「天狼系前衛俳誌-雷光」が「天狼」とほぼ同時期に創刊され、その後、会員たちによる三鬼の排斥を経て「夜盗派」「縄」などに作家が流れた。根源俳句について誓子自身が明言していないこともあり、新興俳句以降の俳句史に「天狼」を位置づけるのはなかなか困難な仕事である、云々。

 終盤、「俳壇無風」といわれると些か忸怩たるものがあると切り出したIKさんからは、三協会統合シンパとしてこれから何をやればよいですか、という率直な質問が飛ぶなど、約2時間に及んだ議論は自由かつオープンそのもの。かくて今回の「囲む会」は俳句の過去・現在・未来を縦横に語りつつ大団円を迎えることとなった。

 奈良、帯解を舞台にした「囲む会」には遠近各地から20名が集まり、すこぶる盛況を呈した。磐井さんはじめ、ご参集の各位にはこの場をお借りして深甚なる謝意を表したい。

 自由闊達な発言を担保する意味で、録画・録音などの形で記録を残すことは一切しなかったが、終了後、開催報告の需めが磐井さんからあった。利き手の指を骨折している状態で残した不完全なメモをもとにこの文章を書いたので、聞き違い、勘違いの類いはひらにご容赦を乞う。なお、SNS等で「囲む会」に触れる際には、発言者の人名をイニシャル表記にするよう参加者にお願いしたため、本稿の記載もそれに従っている。

◆   ◆   ◆

 「囲む会」の主役である筑紫磐井さんの俳号は外国勢力と結んで大和朝廷に叛いた筑紫国造・磐井(いわい)から取られている。将門が東の新皇ならば、磐井は西の乱魁。将門の遺児たちが相馬の古内裏ならば、磐井(ばんせい)の見物たちは帯解の化けもの屋敷。さてさて、吉と出るか凶と出るかはわからぬが、時は旧暦神無月、八百万の神さまのいまさぬその隙に、帯解き放って俳壇の洗濯談義、無事満尾に至ることかくの如し。




まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで②

 ➁まほろば帯解俳談抄拾遺         堀本吟(豈)

其の一

 ことの発端は、奈良市で開催された現代俳句協会全国大会に、副会長として出席された筑紫磐井さんが、その帰りに、生駒に立ちよって堀本さんをお見舞いにゆきたい、という申し出からはじまった。磐井さんは、このじゃじゃ馬の私が、ついに老いて気も弱くなり衰えゆくことを、心配してくれたのである。緑内障がもとでヒダリ目がつぶれたとか、顔面麻痺のPicassoばりのキュビズムの顔つきでムンクのように瘦せこけた頬を抑えて嘆いているとか、おまけに膝が弱って歩けなくなり、と大騒ぎするものだから、大丈夫かいな、と心配してくださった。そして、生駒は奈良市よりずっと遠い辺鄙な山奥なのだと、彼が思い込んでいる節もあった。

 確かに、私は、八十歳を超えてから、だんだんいろんなことができなくなって、実行力も頭のまわり方も、文章の速度も落ちてきた。増えたのは、物忘れと入力ミス、間違いクリック。これ以上、世界が見えないような生活になったらどうしよう、と不安が嵩じ、いくぶん鬱的になっていた。が、日常の起き伏しは、まだどうにかできる。だから余計に、この「誤解」がうれしかった。

 私は、とたんに元気が戻ってきた。まだ、できる・・・。

 そして、何を考えたか、というと・・・。

 せっかくのチャンス、家族だけで会うのもいいが、もう少しおもてなしの範囲をひろげて、まことに大胆な俳人であり犀利な論客であるこの人を、私の友人たちに直接に会わせておきたい。私が死んだ後も、この関西の地に、磐井さんを親しく見知ってくれる人を拡げておこう、という願望を持った。そして最近、読書会でよく出会っている堺谷真人さんに相談して今回の企画となったのである。同じく、現代俳句協会の大会に参加した大井恒行さんが途中からフォローに入ってきてくれた。大井さんは最新句集『水月伝』(ふらんす堂)を出された。これは現代俳句に生きる無季俳句の佳品が多く見られる。

 ものごとなべて個人的な動機や些細なきっかけから生まれる。何気ない気づかいが人を力づけつないでくれる。蛸壺状に散在している人間関係をほぐす。草の根っ子で出番を待っている発展途上の人のモチベーションを目覚めさせることもできるかも知れない。今回は、そのきっかけとして、「彼―筑紫磐井」の問題意識を十全に引き出そう、という試みである。それをばねに、私も今の自分の退嬰性から向きを変えたかった。

 そして、私は、この「初心」を記念して、今回の集まりのタイトルを「筑紫磐井さんを囲む会」と名付けてもらうことにした。

 それからの次第は、堺谷さんが書いている通りである。これも、堺谷スタイルというべきか、古典的意匠を凝らした文章運び。言葉の本質にかかわるむずかしい話題も出てきた2時間を、わかりやすく軽妙な報告文にまとめてくれている。かつての「黄金海岸」や初期の「豈」に残されている俳諧無頼の雰囲気がどこかよみがえっている。また、前世紀末のニューウエーブのミニ同人誌のシンポジウムの集まりには、解放感とともに知の深みへ誘う、このような祝祭空間が生じていたかと思う。こういう会では、とかく話題は広がりすぎるものだが、堺谷さんのメリハリの利いたまとめや誘導なくしてはなり立たなかった。進行の質問が要を得ていたし、参加者へ返してゆく振りわけ方もよかった。そして、全体に、質の高い応答になっていた。それぞれが記憶の中でこれを消化してくだされば、今後の思考のヒントになるはず。

其の二

 オフレコの放談会、と言うものの、質問に答える磐井さん、大井さんは、俳壇事情を語っているように見えて、日本語で成り立っている短詩「俳句」の命運を押さえながらの放談だった。

 クライマックスは最後に生じた。SKさんが、「天狼」の支柱である「根源俳句」について質問し、さらに、磐井さんがそれに答えて、「天狼系」の同人誌「雷光」と結びつけて話題を拡げた一幕である。(「雷光」は西東三鬼指導から出発したが、のちに「天狼系前衛俳誌」と表題を変えて、その指導を排除した)。さすが、関西俳壇の動きを見つめ続けてきたSKさんだ。彼は、川名大も筑紫磐井もそこにあまり触れていない、と指摘した。

 皆さん気が付かれただろうか? じつは、これこそ関西の地でなければ出てこなかった話である。「三協会統合」を唱える筑紫磐井来たりて、かたや、川名大の『昭和俳句史』(角川書店)の論点がそろそろ検証されよう、という現在の俳句史の転機のタイミングをとらえたもの。「豈」に腰を据えた東西の論客二人の対峙であった。(「天狼」内部の根源俳句論争が、当時の社会性俳句や前衛俳句とのかかわりで総合的に見られてこなかったのではないだろうか?)私は俄然興味がわいてきた。

 磐井さんのコメントは、私たち在関西の「豈」同人たちが中心になり、編集制作した「‐俳句空間‐豈」特別号関西篇39-2(2004年)《関西前衛俳句》特集の「雷光」に関する記事を参考にしている。橋本直と堀本吟が「雷光」3号や、8号、13号を取り上げている。この号で、私たちは、この時期の関西で、社会性俳句や前衛俳句につながるテーマがいまだ整理されていないことを、ほんの端緒であるとしても、提示している。

 同人誌「雷光」は、「天狼系雷光俳句会会報」として、「天狼」創刊とほとんど同時、昭和23年に創刊。8号は表紙に「天狼系前衛俳誌-雷光」と表紙の肩書を変えて、「雷光改組の言葉」を宣言している。関西俳壇で「前衛」という名づけが出てきたのは、これが初めて、しかも「天狼系」と銘打っている。

 原資料には当たっていないのだが、「雷光」は終刊のころには、「前衛」の名をおろしていたように覚えている。そして、「天狼」を離れて「梟」(「夜盗派」と改題)、やがて島津亮、井沢唯夫、東川紀志男、立岩利夫の作家たちは、「縄」へ、さらに「夜盗派」(第二次)と新しい前衛俳誌を刊行した。鈴木六林男や杉本雷蔵は「頂点」を創刊、というように、それぞれの作家の信条に沿って、いくつかの小同人誌ができた。この辺はごちゃごちゃしていて私にもよくわからない。私たちがこれを取り上げた2004年段階では、一次資料の不足していたこともあり、このことに気が付かなかった。

 磐井さん、SKさん二人のやり取りを聞きながら、いまさらながらはっとしたことである。これは、磐井さんの話がきっかけとなり、この会が、関西俳壇に投げた大きなテーマとなろう。

 こちらの前衛俳句の動きは、実はまだ、関西でも、関東中心の戦後俳句史(とりわけ前衛俳句)にも、十分には整理されていないのである。これは、ぼけてなんかいられない。まだものが見えるうちに、なんとかしなきゃ、と思ったのである。

 「はい、もう買っちゃったから」と、いって、磐井さんからいただいた「お見舞い」は、かように挑発の味が焼き込まれたシュトーレンだったのである。そして、同志的友情と言うべき甘みも共に味わったのである。

 おかげさまで、私には、再び、元気がよみがえった。

 そういう顛末で終わったこの邂逅。磐井さん、SKさんお二人にはもちろんだが、この日に関わってくださった方たち全員にこころから「ありがとう」、を言いたい。(了)

まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで③

③まほろば帯解俳談抄(語られた本人が語る)  筑紫磐井(豈)

 現代俳句協会の仕事で奈良に行くことになったから併せて堀本さんの見舞いに行きたいと電話してみた。豈は忘年会を毎年やっていたがこれに毎回律儀に参加してくれていたのが堀本さんだった。ところがコロナの為2020年以降忘年会を開催できなくなり、再開した時には今度は自身の体調の不調で参加できなくなった。よく会っていた人が久しく会えなくなったので、ぜひ会いたいと思ったのだ。

 ところが堀本さんは意外に元気であった。生駒まで来るのは大変でしょう、名所と言うと山の上のお寺(宝山寺。階段1000段)があるけれど登れる?私はとても登れないから一人で登る? 奈良なら行けるし、堺谷さんを呼ぶから、という話からどんどん広がり、帯解(おびとけ)窪之庄町に歌人・北夙川不可止(きたしゅくがわふかし)さんが改築された古民家があり水輪書屋(すいりんしょおく)となづけた歌会、句会や講演会などのイベントを開ける場所があるから、豈の関西同人や知り合いに声をかけてみようという話にどんどん、発展し、「筑紫磐井を囲む会」にまで広げてくれたのだ。豈同人に限らず、歌人や川柳作家、研究者、伝統俳人、前衛俳人と、属性を定義しきれない人々となるらしかった。

 段取りや司会は堺谷さんが緻密にやってくれたが、最初のテーマは3協会統合論とユネスコ登録問題であった。こんなマニアックなテーマに果たして付き合ってくれるかと思ったが、協会幹部以外発言の場がない俳人にとって、協会批判や幹部の動静はそれなりに面白がってもらえた。或いは、協会分裂する前の、金子兜太や沢木欣一、原子公平たちの酒を飲みながらの「放談」とはこうしたものなのかなと思った。そうした話が消えてしまったのが、この60年だったのかもしれない。

 特にユネスコ登録問題は大井さんと私が対立しているように見えたらしくて、豈同人同士がどうなっているのか、と堀本さんが心配してくれて、大井さんにも電話したらしい。両者そろっての西下の機会である。そろっての参加は勿論叶った。大井さんのユネスコ登録に対する見解は、「俳壇」11月号の「俳句時評」に載っているが、私の見解は「俳句四季」1月号に載る予定だ。大井さんと私の主張は問題の表と裏を語っているもので根本的に対立しているものではないと思う。堀本吟の感想は「俳句界撹乱戦術」だそうだ。言い得て妙である。

 その後は、2つの問題の周辺に及び、俳句とHAIKUの違い、関西における関心事項としての「天狼」の位置づけなどであるが、私が印象的だったのは豈39-2号で、今回集まった人たちも参加した関西俳人を中心にした関西前衛派研究であった[注]。これは私の『戦後俳句史』の考察の元にもなっている。10月に高野ムツオ会長と星野高士副会長で行った現代俳句講座で、司会を行った私は、金子兜太、鈴木六林男、佐藤鬼房の個別の研究は行われているが、戦後の3人のクロスオーバーした部分の研究はこれからしてもよいのではないかと提案したところ高野会長はいたく感心してくれた。戦後俳句のテーマとしてこうした研究がやられてもよいだろうと感じている。戦後俳句史の欠落部分をこうして埋めてゆくことが大事なのである。

    *

 その後席を移して近鉄奈良の近傍の「櫃屋」で食事しながら、昼の話題を中心にして放談のさらに放談が続けられた。話が行ったり来たりする中で、正論、暴論、激論、無茶苦茶論が行き来するのも新しい時代のためには必要なことだ。私個人に関して言えば、歌人・北夙川不可止と向かい合って聞いた巨大な結社「アララギ」がなぜつぶれたのかという話は興味深かった。短歌に比べて俳句が絶望的なわけでもないようだ。いや、皮肉を込めて言えばどのジャンルも絶望的なのかもしれない。

 ということで、実り多いというか、「放談」の本意が如実に示された会であった。「俳句」や「季語」の本意より、「放談」の本意の方が、協会の中で閉塞している現代俳句にとって重要なのではないかと思われた。私としては、昭和31年に金子兜太と「夜盗派」「十七音詩」「坂」で発足した新俳句懇話会が後から考えると前衛の先駆けとなったと言われるように、50年後にこの会が俳句3協会統合の決起集会であったと回顧されるかもしれないと期待している。

 本会の開催を努力していただいた、堀本さん、堺谷さん、その他ご参加いただいた各位に感謝申し上げる。


[注]「豈」の年間刊行回数が減り始めたとき、関西でも編集を担当してもらえないかと堀本さんに打診した。この成果が「豈」39-2(特別号関西篇。2004年12月15日刊)である。なぜ、枝番がついているかというと、編集途中で編集委員(小池正博、樋口由紀子、堺谷真人、岡村知昭、故大橋愛由等、堀本吟。今回大半の方が集まって頂いていた)から報告を受けているうちにとても1年では出ず、後の号が追い越してしまうのではないかと危惧されたからである。評論特集は順番があまり関係ないが、俳句作品は順番が前後すると都合が悪いので枝番にしたのだ。この時堀本さんからなぜ枝番になるのかクレームを受けたのである。しかし、たっぷり時間をかけた編集は大成功であった。

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(52)  ふけとしこ

  合はす

歩く歩く両肌脱ぎの蓑虫が

鈴虫の骸に髭の真白なる

みちのくの菊と都の酢を合はす

ぐりのクッキーぐらのクッキーほら紅葉

霜光る誰かの大き靴跡に

・・・

 〈橘始黄〉たちばなはじめてきばむ

 小雪の三候、七十二候にこういう。

 橘ではないが枳殻のまん丸い実も熟れている。生垣の下にころころと落ちている。一つ拾ってみた。柔らかい産毛が掌に気持いい。この実には種が多かったと記憶していたので、半分に切ってみた。直径2.3cm。種を数えると24個。まさに種だらけ、種密度が高い。

  からたちの花が咲いたよ

  白い白い花が咲いたよ

と始まる北原白秋の詩「からたちの花」には

  からたちも秋はみのるよ

  まろいまろい金のたまだよ

と実を詠った一節もある。鋭い棘も詠っているが、さすがに種のことまでは言っていない。

 カラタチはミカン科ミカン属の常緑低木。3㎝にもなる太くしっかりした棘が目立つ。この棘が賊や獣の侵入除けになるとのことで、畑や住宅の生垣に使われていたが、今ではあまり見かけなくなった。

 いつだったか、小学校の生垣にされているのを旅先で見かけたことがあった。手入れが大変だろうし、児童達が怪我をすることもあるかも知れないな、と思ったりもした。

 でも、初夏に白い花が咲き、秋に実が熟れる生垣というのは何とも素敵なものである。

 香りはいいが、酸味と苦味が強すぎて食用にされることはまずない。これは橘も同様だろう。

 『合本 角川俳句歳時記・第五版』の巻末付録に〈二十四節気七十二候〉があるが、これには「橘が黄葉し始める」と書かれている。橘は常緑樹で、それ故に古来尊ばれてきたわけでもあるから、黄葉はしないはず。偶々見つけただけなのだけれど、気になる。

 他に2、3の歳時記を当たってみたがどれも「橘の実」となっている。校正の際の見落としだろうが、こういうことも起こり得るのだ。初校、再校、再々校と綿密なチェックが入ったことだろうに。

 三浦しおん作『船を編む』の辞書作りの顛末、てんやわんやをを思い出した。

 (2024・11)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり19『人類の午後』を読む 豊里友行

  『人類の午後』(堀田季何著、2021年刊、邑書林)を再読してみた。

 堀田季何は、しなやかな言葉とごっつい語感、たおやかな思想が、きらきらと希望の光を紡ぎ出す。

 私たちは今、何処にいるのだろう。

 この句集を読んでいると私は、そんな感覚に誘なわれて世界への視野を拡げてもらう。

 堀田季何の歩んだ道と想像力の翼が拾いあげる言葉たち。

 その言葉の実感と真実に寄り添おうとする作者の姿勢がある。

 私は、同時代に違う場所・沖縄からその魂の共振に震えた。

陽炎の中にて幼女漏らしゐる

 陽炎(かげろう)とは、局所的に密度の異なる大気が混ざり合うことで光が屈折し、起こる現象のこと。

 道路のアスファルトの上で揺れながら踊るように風景が歪む。

 物理的には、陽炎は追いかけても追いつけない自然現象。

 その陽炎の中にて幼女がお漏らしをする。

 この視座のやるせなくも遠く遠くに佇む世界への堀田季何の眼差しにふっと気づかされる。

 他の句には、「塀一面彈痕血痕灼けてをり」「ひとりでに地雷爆ぜたる夜の秋」「ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし」「自爆せし直前仔猫撫でてゐし」など世界の何処かにある戦地や紛争地など命がけで取材している戦場カメラマンさながらの肉迫振りの俳句世界も登場する。

 そんなかつての前衛や社会詠の俳人、顔負けの俳句もあれば、これらの俳句を詠みながらも俳句定型と融合していく堀田季何のしなやかさが、句集では多くの俳句試行が効果的に成果を上げている。

息白く唄ふガス室までの距離

戰爭と戰爭の閒の朧かな

鳥渡るなり戰場のあかるさへ

 堀田季何俳句は、今と歴史軸とを重奏的な俳句の弦で振るわせている。

私たちは広島・長崎・福島・沖縄などの悲劇を含めた世界の戦争や核の歴史を視て、どういった人々が犠牲になるのかを想像しなければならない。

 その戦争や核の時代の歴史の視座を堀田季何もどっぷりとのた打ち回るように作句の格闘をし続ける。

 そして立ち尽くすように世界の絶望を視座に据えている。

 「息白く唄ふ」の句は、端的な史実の描写による歴史描写があり、歴史小説をしのぐほどリアリティーを過去の歴史から現在の「今」に引っ張り込むことに成功した俳句だ。

 私は、ある沖縄戦体験者にどのように戦争に巻き込まれたかを質問したことがある。

その答えは、知らず知らずに巻き込まれていたから分からないという言葉だった。

 堀田季何俳句で戦争を題材にした「戰爭と戰爭の閒の朧かな」は、三橋敏雄の「戰爭と疊の上の團扇かな」を髣髴とさせる名句だ。

 「鳥渡る」の句も戦場の戦火の明るさへ飛んでいく渡り鳥の命を見る視座は、眼から鱗が落ちるようだ。

 たとえば爆弾の被弾は手に触れてしまえば、皮や肉を削ぎ、骨を砕く。

 この俳人の“怖れ”の距離感は、とても大切な実感を海外詠の中で身につけてきたのだろう。

 堀田季何の傍観でなく本質を見抜いて俳句に込める批評性には、痛みの共振がある。

 沖縄でいう「ちむぐりさ」というか。心の痛みの共振にも似ている。

 これは、痛みを感じ取る感受性とでも言える。

 いつかの前衛や社会詠では詠めなかった俳句がいくつもある。

それらいつかの先駆者たちは、戦争の時代に吞み込まれながらその時代に生きる上で生じる傷が創造の翼を剥ぎ取り、心の傷を背負いながらも戦争体験者が辿り着けなかった場所があった。

 その歴史の暗黒地帯へ、果敢にナイフで切り拓くように希望の光を射し込みながら未だ足を踏み入れたことのない俳句世界へ堀田季何は、踏み込み始めているのだ。

 その堀田季何の描写性の卓越したリアリティーも挙げておきたい。

鍬形蟲我武者羅足搔ピン刺せば

こどもの日ガラスケースに竝ぶ肉

冒頭に戾る音盤盆踊

 鍬形蟲を標本にするためピンを刺すのだが、かの生命は我武者羅に足掻きをする。

その生命の我武者羅さがやけにリアルに脳裏にこびり付いてしまう。

 「こどもの日」の何処かの町の肉屋のガラスケースに並ぶ肉塊にふっと思う。

 現代社会の子どもたちは、この肉がかつて心音を躍動させて生きていた形を想像するにおよぶのだろうか。

 まるで盆踊りの音盤が冒頭に戻る。そのエンドレスに社会の深層を深く思考することもなく機械仕掛けのオルゴールの玩具のように私たちは、この現代社会を踊り続けているのかもしれない。そんな現代社会への疑念が垣間見れる。

今生の父のかはりの櫻です

草摘むや線量計を見せ合つて

銃聲と思ふまで龜鳴きにけり

歴史書に前世の名前靑葡萄

夜濯のメイドしづかに脱がしあふ

 堀田季何の俳句創造は、現代の語感で過去から今、縦横無尽に駆け巡る。

 「今生の父のかはりの櫻です」「草摘むや線量計を見せ合つて」と後書きを読み合わせてみる。

 「堀田家の殆どが廣島の原爆に殺されてゐる」とある。

 堀田季何、自身が幼少期から長い間を国際的な環境で過ごされたとも複眼的な視座を獲得させる要因だったのかもしれない。

 また核の世の批評眼が光る句が随所に見受けられた。

 このように人類の午後に立ち現れる核の世の深層は、父の替わりを櫻とせざるをえない原爆の不条理であったのだろう。

 核の世の此処で線量計を見せ合いながら今の現状を確かめ合う。

 それら季語の「草摘む」を効果的に活かしながら詠んでいる。

 歴史書に見つけた。私の前世の名前。それは、青葡萄というポエジー。

 夜濯ぎの洗濯機の回転音のみ残してメイドは夜の快楽に呑み込まれていく。


 私たちは今、何処にいるのだろう。

 地球儀を回すように過去・現在・未来を俳句で縦横無尽に駆け巡る堀田季何俳句を読みながらふっとそんな漂流感を私は、いつしか覚えてしまう。

野に遊ぶみんな仲良く同じ顔

アーリントン國立墓地を穴惑

惑星の夏カスピ海ヨーグルト

冰水ここがカルデラここが森

ヨーグルトに蠅溺死する未來都市

 野遊びのみんなが、同じ顔になっちゃう。

 そんな現代批評が光る。

 アーリントン國立墓地の死と穴惑いの生命の危機の揺らぎが対照的で絶妙な世界観を醸し出す。

 変貌する地球において堀田季何の季語の活かし方が絶品だ。

 「カスピ海」や「カルデラ」の俳句に見られる海外詠の巧みさは、決して旅行的な目線ではなく海外在住の経験にもよる独特な複眼の視座を内包している。

 日常的に食べられるヨーグルトに蠅が溺死する。

 其処に未來都市を暗示させる俳人の詠いっぷりに何処まで付いて行けるのか心許ない。

 少なくとも私自身もまた地球の至る所へ想いを馳せて俳句を詠わねばならないのかもしれない。

 そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい句集だ。

【小特集:秦夕美追悼】豈67号 秦夕美特集目次+著作一覧

豈67号 特集Ⅱ・秦夕美追悼

秦先生の思い出  寺田敬子
雲をのむ  依光陽子
禁忌の共同――「巫朱華」そして「胎夢」  宮入 聖
孤高の俳人――秦夕美の素顔――  田中葉月
秦夕美さんの想い出――断片的に  藤原龍一郎
秦 夕美さんの想い出  遠山陽子
秦夕美ノート 私そのものである言葉  佐藤りえ
秦 夕美 年譜

秦夕美著作一覧

【句集】

『仮面』(鷹俳句会叢書)昭和43年9月1日発行
 ※序文・藤田湘子
『泥眼』(端渓社)昭和52年3月20日発行
 ※四ツ目綴じ丸帙装・限定150部
『勅使道』(俳句研究社)昭和56年3月15日発行
『万媚』(書肆季節社)昭和59年3月25日発行
 ※同書名の歌集との二冊組 栞・馬場あき子
『孤獨浄土』(書肆季節社)昭和60年7月発行
『恋獄の木』(冬青社)昭和60年12月25日発行
『歌舞と蝶:都苦泉百銘柄』(冬青社)昭和62年4月20日発行
 ※一部上場株の銘柄を詠み込んだ百句所収。附録:初出銘柄一覧
『夢帰蝶駅』(冬青社)平成元年4月20日発行
『失光遊世』(邑書林)平成3年9月30日発行
 ※栞:倉橋羊村・藤原龍一郎
『銀荒宮』(邑書林)平成5年5月25日発行
 ※九州各所の吟行句を収録
『逃世鬼』(邑書林)平成6年2月7日発行
 ※千字文を句頭に据えた千句を収録。
『夢香志』(邑書林)平成8年11月1日発行
 ※年初に逝去した夫への追悼句集。
『夢としりせば』(富士見書房)平成13年7月29日発行
 ※日本百名山・魚を詠み込んだ「色は匂へど水の中」など
『孤舟』(文学の森)平成17年7月29日発行
 ※タイトルは柳宗元の五言絶句「江雪」より。
『深井』(ふらんす堂)平成22年11月25日発行
 ※タイトルは能に用いる面の名。章題は謡曲の演目。「初雪」「花筐」「杜若」「雨月」
『五情』(ふらんす堂)平成27年2月14日発行
『さよならさんかく』(ふらんす堂)令和2年9月1日発行
 ※横綴じ五句組み。「あさ」「ひる」「ゆふ」「よは」四章からなる。
『金の輪』(令和俳句叢書/ふらんす堂)令和4年1月15日発行
『雲』(ふらんす堂)令和5年1月15日発行

【句文集】

『妖虚句集』(冬青社)昭和61年4月25日発行
 ※女体能の謡曲を主題とする句文集。
『妣翠』(冬青社)昭和62年3月20日発行
 ※17の絵画をめぐるエッセイ+俳句
『十二花句 紫の巻』(冬青社)昭和62年9月発行
『十二花句 黄の巻』(冬青社)昭和62年12月25日発行
『十二花句 白の巻』(冬青社)昭和63年6月20日発行
『十二花句 緋の巻』(冬青社)昭和64年2月20日発行 ※表記ママ
 ※色別の花をテーマとした句文集
『夢騒』(邑書林)平成4年6月1日
 ※月ごとの自伝的エッセイ+俳句

【共著他】

『巫朱華』(冬青社)※藤原月彦との二人誌
 Vol1No1 忘れ雪の巻 昭和五九年四月一日発行
 Vol1No2 幻月の巻 昭和五九年八月一日発行
 Vol1No3 秘す花の巻 昭和五九年十二月一日発行
 Vol2No1 雪眩の巻 昭和六十年四月一日発行
 Vol2No2 月淋の巻 昭和六十年十月一日発行
 Vol2No3 花檻の巻 昭和六十年十二月二十日発行
 Vol3No1 妖雪の巻 昭和六十一年十二月二十五日発行
 Vol3No2 狼月の巻 昭和六十二年十月二十五日発行
 Vol3No3 穹花の巻 昭和六十三年三月二十五日発行

『歳華悠悠 昭和二桁生まれ篇 下巻』(東京四季出版)平成12年7月1日発行
 ※近作五〇句・自選代表作三〇〇句掲載。作家論・藤原龍一郎
『火棘 兜子憶へば』(邑書林)平成7年7月29日発行
 ※赤尾兜子の八八句を鑑賞。
『夢の柩 わたしの鷹女』(邑書林)平成11年11月30日発行
 ※三橋鷹女の70 句を鑑賞。津沢マサ子「鷹女のこと」併録
『秦夕美―自解150句選』(北溟社)平成14年9月30日発行
 ※自解150句選シリーズ15。
『季語への散歩』(ふらんす堂)平成17年7月31日発行
 ※GAに連載した季語を題としたエッセイ集。
『赤黄男幻想』(富士見書房)平成19年7月14日発行
 ※個人誌「GA」11号から40号までの連載に書き下ろしを加えた赤黄男作品鑑賞
『現代俳句文庫83 秦夕美句集』(ふらんす堂)平成29年8月26日発行
 ※『仮面』から『五情』までの作品を抄出。
『夕月譜』(藤原月彦との共著・ふらんす堂)令和元年11月11日発行
 ※藤原月彦との詩歌誌「巫朱華」掲載の共同制作作品を収録

【小特集:秦夕美追悼】秦夕美ノート・余滴  佐藤りえ

 先頃完成した「豈」67号の秦夕美追悼特集を担当した。発行人・顧問への相談のなかでまず挙げたのは、全著作の書誌を掲載したいことと、年譜を作成したいこと、この二つが柱だった。
 秦さんは日本女子大学在学中の20歳時(1958年)に俳句を始め、以来60年以上に亘り、ほとんど休むことなく作品を発表し続けた。著作は句集十九冊、句文集を含めると三十冊以上の著書がある。最初の関門は資料全冊を確認することだった。
 国会図書館、俳句文学館に通いかたっぱしから資料を見て回り、さらに豈の先達たちからも多数の資料をお借りして、なんとか全冊を閲覧することができた。国会図書館では現在資料のデジタル化作業が進められていて、作業中の資料は閲覧できないことになっている。そこにしか所蔵のない資料が何冊かあり、三ヶ月ほど作業が終わるのを待たなければならない、という事態に直面したこともあった。

 秦さんの所属誌は「馬酔木」にはじまり、「鷹」「渦」「犀」「豈」と続いた。これら所属誌を通覧するのは大変な作業だったが、その時々の空気を垣間見ることができる、貴重な体験でもあった。秦さんは後年、孤高の作家として北の一つ星みたいな扱いにあったように思うが、結社誌・同人誌からは数多の作家との交流が見てとれた。「鷹」では倉橋羊村、のちの遠山陽子、「渦」では藤原月彦、桑原三郎、柿本多映、和田悟朗らと同時代を生きてきた。85年の「犀」には長編の宇多喜代子論を執筆している。多数の著書を出版した冬青社主でもある宮入聖氏とは上京の折々に語り合ったというエピソードなども、今回「豈」の藤原龍一郎氏の文章で語られている。
 「鷹」では血気盛んな若手として、「渦」では兜子の影響下で自身の作風を模索し、「犀」では創刊同人として、精神的支柱とも呼べる活躍ぶりを示していた。九州俳句作家協会に入会した平成5年以降は当地での句会に参加、賞の選考委員を担当したり、俳句講座を受け持ち、後進の育成にも力を注いでいた。秦さんの「孤高」とは、決してひとり閉じこもり、人との交流を拒む、といったことではなかった。あくまで表現の高みを目指す、つねに新しい目標をたて、それに向かって自分のペースで進むということだったのだろう、と、膨大な足跡を辿りながら、思い至った。

 与謝野晶子の歌集は24冊ある。それを目指す、と公言し、まさに実行に移した句業だった。特に秦さんの作風は書きためた句を年次に沿って纏めるものではない。一冊一冊に新しいアイデアを注ぎ、趣向をこらし作られてきた。その原動力が何だったのか、著作のなかに秦さんの哲学の一端と見える文章を発見した。

ともあれ、人には選べぬことが多すぎる。生まれる時代・国・親・性別。だからこそ、自分の置かれた場所で勢一杯、自分を生きなければならないのだ。自分より優れた人間は数多い。だが、全宇宙にたった一つの存在である自分、その自分を先ず自分自身が愛さなくて誰が愛してくれるというのだろう。友人・家族・私をとりまく人達、私が好きになれるのは世俗の価値に関係なく自分自身を大切に生きようとする人である。(『夢騒』)

 何かを書き発表することは、ともすれば己の肉体そのものを見せることより、よりあらわに自身をさらけだすことになろう。コミュニケーションを続けるには、評価を得るには、作り続け、発表し続けるよりほかにすべはない。大きな賞賛があろうがなかろうが、自身がここに「いる」ことを主張するには、作品という舟を大海に送りだし続けるしかないのだ。誰に依らず、50年以上に亘って書き続けてきた秦さんにそなわった、この強靱な自己肯定が筆者にはとても眩しく見えた。この根幹をこそ、本来我々は自分自身に育てなければならなかったのではないか。
 耽美的な作品を多く残し、審美を貫いた秦さんに、しかし退廃的な気配、どうにでもなってしまえ、といった自棄的なものを感じ取ることはなかった。いかに死を濃厚に感じさせる作品があろうとも、それは自棄を起こして、また、自分を憐れんで書かれたものではなかった。自己の感性を信じて突き進み続けることができたのは、こうした健全な、強固な自己愛をお持ちだったからなんだと、数多の文章が教えてくれた。

 句集、書籍を作るにはもちろん費用がかかる。大枚が必要だ。しかしお金さえあれば、誰かがちゃっちゃと本を作ってくれるのかというと、そんなことはない。秦さんのように強い拘りがある場合は特に――とはいえ、皆本を作る段になれば、己の思いがけない拘りに気づくというものではないだろうか。誰しも出来上がった自分の本に失望したくはないだろう。
 かつて筑紫磐井氏は秦さんは「句集を作るのを生きがいにしている」と言った。まとめあげ、形にするのが楽しいのだと。これはあたりまえのようでいて、そうでもない、秦さんは非常に稀な人種だったのではないか。秦さんとは生前ついにお目にかかる機会を持たなかった。句集という書物を作る楽しみを、直に伺い、話し合ってみたかった。

澤田和弥句文集特集(2-5)第2編美酒讃歌  ⑤続・熱燗讃歌

⑤続・熱燗讃歌   澤田和弥

 熱燗は心身にしみじみと沁みわたる。これは飲んだ者にしかわからない。しかし飲まずとも熱燗を詠むことはできるらしい。

 夫に熱燗ありわれに何ありや  下村梅子

 えっ。何って言われても……。食卓で嬉しそうに熱燗を飲む夫を横目に、といったところか。

 熱燗の夫にも捨てし夢あらむ  西村和子

 熱燗や夫にまだあるこころざし  長谷川翠

 熱燗の旨さを詠むのではなく、夫という「庶民」を熱燗に象徴させている。一句目「夫にも」とある。私にも捨てた夢があり、夫にも。そうして今、二人は夫婦としてここにいる。熱燗に庶民性だけではなく、「狭いながらも楽しいわが家」を象徴させているようにも感じられる。二句目は平々凡々たる庶民と思っていた夫の胸の内に、今も志が輝いていることを知った驚きである。「惚れ直した」とまで言ってしまっては夫の肩を持ちすぎか。世の奥様方、あなたの旦那様はいかに。

  熱燗やこの人優しく頼りなく  川合憲子

 いいじゃありませんか。頼りなくとも。優しくて、お給料をちゃんと家に入れてくれる人であれば。食卓を挟み、夫にお酌をしてあげながら、その顔をじっと見ていて句ができた。そんな妄想をしてしまう。店ではなく、家庭での熱燗。

  熱燗のある一灯に帰りけり  皆川光峰

 この「一灯」は赤提灯ではなく、家庭の灯だろう。同僚の誘いに「ごめん。かあちゃんが燗つけて待ってるから」と、いそいそと帰る生真面目亭主が頭に浮かぶ。主人公を新婚ではなく、結婚して十年以上経つ中年と考えると、なんだか微笑ましい。あたたかな夫婦愛。未婚の私にとっては空想上の話であるが。

 家庭とは夫婦だけではない。子もいる。

  熱燗やあぐらの中に子が一人  加藤耕子

 もう、家庭円満、幸せ絶頂である。ホームドラマの一場面のようだ。絵に描いたような仲良し家族。家庭での熱燗はその味、旨さということよりも、家族の幸せを象徴するものとして描かれるようだ。

  熱燗や恐妻家とは愉快なり  高田風人子

 「愉快なり」と言い切られてしまっては「はあ、そうですか」としか言いようがない。一緒に飲んでいる人が恐妻家なのではなく、自身のことだろう。恐妻家というと古代ギリシアの哲人ソクラテスを思い浮かべる。悪いのは奥さんのクサンチッペではなくソクラテスの方だ、あんな世間離れした夫では恐妻にでもならざるを得ない、という意見もある。恐妻家というエピソードがいくつか伝わっているが、どうもソクラテス自身、「恐妻家」である自分を楽しんでいるように思われる。いわゆる自虐ネタとして。今も恐妻家というキャラクターで番組出演しているタレントは何人もいる。しかしその実態はどうなのだろう。実は熱燗をお酌してくれるようなやさしさ、かわいらしさがあるのではないだろうか。自身の奥さんをもっと観察してほしい。じっと見つめてほしい。見つめてみたら殴られたという場合はご安心を。間違いない。あなたは立派な恐妻家である。

 奥さんに負けちゃいけない。ほら、グイと飲み干して。さあ、酒の力を借りて、ビシっと。

  熱燗に酔うていよいよ小心な  高野素十

 いやいや。ダメじゃん。小心になっちゃあ。こういうときは気が大きくならないと。ただ、そんな夫だからこそ家庭として、うまくいっているのかもしれない。それぞれの家庭、それぞれの幸せ。なんて言葉じゃまとまらないか。

  熱燗のいつ身につきし手酌かな  久保田万太郎

 癖とは意識せずとも繰り返すうちにいつの間にか身についているもの。手酌。そういえば最近一人で飲んでばかりだな。気楽。でもさびしい。この場合、熱燗という装置はかなしみを引き出すものとして働いている。なんだか、美空ひばりの「ひとり酒」でも聞こえてきそうな。

  ひとり酔ふ熱燗こぼす胸の内  山口草堂

 こちらもひとり酒。「こぼす」って言ったって、派手にこぼした訳じゃない。なみなみと注いだので、口に持っていくときに少しだけ。ちょいちょいと拭えば済むこと。ただしその胸の内はちょいちょいぐらいでは拭いきれない。そういう酒もある。

  熱燗もほど〱〱にしてさて飯と  高濱年尾

 このあっけらかんぶり。これが今の日本には必要なのではないか。現在、年間自殺者数は長きにわたり三万人を下回らない。長期にわたる不況。なかなか明るい話題がない。「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とは何十年も前のこと。サラリーマンはみな必死の形相である。どこもかしこも、あっけらかんが足りていない。これは単なるつぶやきじゃないのか。俳句なのか。詩なのか。そうです。これが俳句という短詩です。熱燗はほどほどにして、さてみんなで飯を食おうか。和気あいあいとした家族が見えてくる。真実は難解と混迷の奥に隠れた単純にこそ宿るのかもしれない。難しく考えてはならない。幸せはすぐそばにある。そんなことをこの句は語っているように思う。考えすぎか。

  熱燗や美男の抜けしちくわの輪  木戸渥子

 熱燗をやりつつ数人での飲み会。カッコイイと思っている美男子が奥さんからの電話で帰ってしまった。あとに残っているのは……。それをテーブル上にある「ちくわの輪」に喩えた。喩えた、じゃないよ。失敬な。あいつは「美男」で、俺たちは「ちくわの輪」かよ。と言いつつ、熱燗を差しつ差されつするほどの仲。気心の知れた仲である。「こいつっ、憎まれ口を叩きやがって」と、場はさらに盛り上がり。と、考えたいのですよ。「ちくわの輪」側にいる私としては。

  熱燗や四十路祝はず祝はれず  根岸善雄

  熱燗や余生躓くばかりなる  石原八束

 どんどんさびしくなる。熱燗に「ビールで乾杯」というような明るさはない。しかし、ともにさびしさを語り合い、肩をポンと叩いてくれるような懐の深さがある。だからこそ、人々は熱燗を手放せない。

  人生のかなしきときの燗熱し  高田風人子

 大学院生の友人が彼女と別れるという。彼女も私の友人で大学院生。彼女は結婚したいという。彼は学究の身であり、結婚しても家計を支えることができない。就職するまでは待ってほしい。その話がこじれ、別れることになったらしい。電話をすると彼女は泣いていた。私は彼女の側に立った。そして居酒屋にて彼と会う。お互いの行きつけであり、知っている顔がちらほら見える。皆、彼女側に立っていた。私は彼を怒ってしまった。今となれば、彼の考えや気持ちは重々わかる。しかしそのときは感情的に責めてしまった。彼はつらい顔をしながら、ただただ熱燗をちびちび飲んでいた。そして彼らは別れた。私には気持ちの悪い罪悪感だけが残った。半年後、彼に謝罪し、赦してもらえた。そしてそのときにはすでに元の鞘におさまっていた。今、彼らは仲良く暮らしている。よかった、よかった。で、私は一体なんだったのだろう。役柄は。道化師という言葉が頭をよぎる。なんだったのか。今の私にこそ熱燗が必要なのかもしれない。

  熱燗をつまみあげ来し女かな  中村汀女

 あっ。ちょうどよく。ありがとう。さて、この「女」。妻と見るべきか。女将と見るべきか。あぁ、わかってる、わかってる。私は未婚なので、想像上の奥さんね。さて、どちらと見るか。私は「女将」と考えたい。休日に夫婦で散歩。「この店、よく行くんだ。入ってみる?」と夫。初めて知った。好奇心。暖簾をくぐると小料理屋という風情。「うちの奥さん」と女将に紹介される。きれいな人。着物がよく似合ってる。私が持っていないものを持ってる、気がする。「いつもの」と夫は注文し、女将と楽しく話しはじめる。なかなか入り込めない。急に話を振られても、愛想笑いしかできない。「はい、いつもの」と熱燗をつまみあげ、持ってきた。そして夫にお酌。えっ。熱燗飲むだなんて知らなかった。家では全く飲んだことないし、そんな話も聞いていない。「いつもの」って。嫉妬心。それが「女」という無感情な言葉につながっているような気がする。そしてその下に配された「かな」という大らかな切れ字を嫉妬の軽さと見るか、反対に恐怖心をいだくか。私は今、独身の気楽さを噛み締めている。もしくは「奥さん」という方々に対して、間違ったイメージを持っている。

  夭折を果たせぬ我ら燗熱し  青山茂根

 「夭折の天才」という常套句がある。若き天才やカリスマが夭折すると、必ず伝説化する。ロックミュージシャン、画家、小説家。天才について、夭折が一つの条件のようになる場合もある。「夭折を果たせぬ我ら」は凡才か。しかし生きている。生きているからこそ先がある。遅咲き、大器晩成という言葉もある。未来がある。生きているからこそ燗酒の旨さも味わえる。「果たせぬ」とあるが、その向こうには笑顔が見える。この、あたたかさ。これが生きているということなのだろう。

 何か大きなことを言いはじめてしまった。さてさて旨い熱燗を。

  竹筒を焦し熱燗山祭  羽部洞然

 酒に竹の香りがうつり、なんとも旨そうだ。田舎の山祭。露店を過ぎて、寺務所か社務所の辺りで火を焚いている。竹のパンと始める音が気持ちいい。村の衆と語り、笑いながら、こんな旨い熱燗を飲んでみたい。都会ではそうそうお目にかかれぬ贅沢である。

  熱燗や放蕩ならず忠実ならず  三村純也

 熱燗をグイと無頼の放蕩息子、という訳でもない。真面目に生きてきた。しかし親に忠実という訳でもなかった。熱燗片手に自らの来し方を思い出しているのだろう。「忠実ならず」という字余りが印象的だ。私も親に対してどうだろう。私も「放蕩ならず忠実ならず」といったところか。

 熱燗には派手な明るさや爽快感、気品などはない。庶民性を物語る。しかしそこには懐の深さがある。その懐に身を委ねる。誰にも疲れる。死を考える夜もある。そんなときに熱燗を友とする。冷えた体があたたまる。傷ついた心も。我々は所詮凡才だ。しかし我々にしか見えない世界がある。そこには徳利とぐい呑みが待っている。夭折を果たす必要はない。生きて今日も熱燗の旨さを噛み締める。それで充分。美人女将のお酌があればなお充分。恋愛と結婚はもう少し先延ばしにしておこう。

(2022年9月23日金曜日)

澤田和弥句文集特集(2-6) 第2編美酒讃歌  ⑥冷酒讃歌

 ⑥冷酒讃歌      澤田和弥 

  紺地の隅に白く小さく屋号の入った暖簾。戸の横には、私の背丈ほどの笹が少しばかり植えられている。カラカラカラと戸を開けると「いらっしゃい」の声。若い夫婦が営む小料理屋。主人は短い髪に白衣姿がなんとも美しい。おかみは小柄で細おもて。着物に白の割烹着。短めの髪を後ろでまとめる。カウンター六席と小上がりに二卓。掃除は隅々まで行き届いている。今日も暑かった。ネクタイを少しゆるめ、ワイシャツのボタンを外す。冷たいおしぼりがありがたい。今日のおすすめは鰹か。明日の予定を考えると、薬味は生姜だな。鰹に生姜ならばビールというよりもここは。そう、冷酒(ひやざけ)である。キリッと冷やした日本酒。それも辛口でさらにキリッ。口中から喉へ、そして胃へ。体の中を涼風が駆け抜ける。その後を追うようにジワッと広がるぬくみ。暑いときはビールや酎ハイも当然旨いのだが、冷酒の旨さは全くもって別格である。手の込んだ店は錫の徳利と猪口を出してくれる。掌の熱が酒に伝わりにくい。「錫以外は認めねえ」などというわがままはないが、その心遣いはやはり嬉しい。

 熱燗はちびちびぐいぐい飲むものだが、冷酒は切子か金物のぐい飲みでスッと飲みたい。

  のどごしのよさよ昼利く冷し酒  大矢章朔

 そう、のどごし。キリッとしたものはスッと流したい。後味はサッと消えるが、その一瞬の妙味に酔いしれる。

 旨い酒に肴はなんとするか。「粗塩一つまみで充分」という御仁もおられよう。しかしながら山にも海にも豊かな珍味がある。あれもこれもと思うのが人というもの。

  塩鳥の歯にこたへけり冷し酒  暁台

  塩漬の小梅噛みつつ冷酒かな  徳川夢声

 やはり塩だ。じゅわじゅわと脂弾ける鶏肉に塩をさっと。山葵を添えても旨そうだ。胸肉にするか、腿肉にするか。意見のわかれるところだろう。いやいや、ささ身で。いや、ハツだ。砂肝、ぼんじり……。こんな話も冷酒を酌み交わしながら楽しみたい。小梅をカリッとさせながらというのも涼しげで心地よい。南高梅でじっくりと、というのも勿論よいが、暑いときはカリッが大切。カリッ、ね。

  冷酒や鯛の目玉をすすりつつ  寺澤慶信

 お。今度は鯛の目玉か。息つく暇もない。この鯛は焼いたのか、それとも煮つけか。前者は塩、後者は醤油である。目玉に及ぼす影響は大きい。さあ、冷酒にはどっち。正解は、どちらも絶品。目玉を嫌がる方も多いが、あのどろりとした目玉はこよなく旨い。じゅるじゅると啜ったところに、間髪入れず冷酒をクイッ。スッと流して、ふうと一息。たまらなく美味。

 旨い酒が入ったと冷やして友の家へ。早速飲もうという話になるが、さて肴は。鶏や鯛がいつでもある訳ではない。

  冷酒や蟹はなけれど烏賊裂かん  角川源義

 蟹なんて、そんなそんな。烏賊、スルメね。充分、充分。そのもてなしの気持ちで充分。さあ、グイッとやるか。

 酒というと蕎麦食いが黙っちゃいない。江戸の世で昼から酒が飲める処、それが蕎麦屋。かの文豪も行きつけの蕎麦屋に行くと、まず酒二合で口中を濡らす。そして、もり一枚。酒と蕎麦は切っても切れない間柄。

  蕎麦好きに匂ふ飛騨そば冷し酒  秋元不死男

 蕎麦の香り。それも飛騨の山地に育った蕎麦。店にはこだわらない。田舎の小店で充分。旨い酒に旨い蕎麦。酒の香りと蕎麦の香り。他に何が必要か。少しばかりのお金とゆるりとした時間だけではなかろうか。

  樽冷酒つけたしに蕎麦すすりけり  石川桂郎

 こちらは酒がメイン。樽の香りが心地良い。「つけたし」では蕎麦がかわいそうだが、それほどに酒が旨いということ。勿論、蕎麦も旨い。そうとはわかっていても、ついつい酒にばかりいってしまうのが酒飲みの悲しい、いや。快い性(さが)というもの。

 最初の勢いでクイクイいってしまったが、不思議と酔いが回っていない。まだまだいけるぞ。いやいや。ご注意を。親の説教と冷酒は後になって効いてくると昔から言う。古来より多くの人々が痛い目に遭ったに違いない。

  ひとごこちゆつくりきたり冷し酒  鈴木太郎

 ゆっくりゆっくりと来る酔いを楽しみながら、コントロールできれば一人前の酒飲み。しかし私の周囲には「一人前の酒飲み」がいない。かく言う私も、そう、ついつい。

  うかうかと過ごせし酔や冷し酒  青木月斗

 いやはや。酔いが過ぎれば、軽口の一つも叩きたくなる。しかしそれが落とし穴。面倒なことになるのが相場というもの。

  冷酒飲み君が代・日の丸激論す  有馬ひろこ

  冷し酒ついには死者も謗らるる  能村登四郎

 酒の席では政治、思想、宗教の話は禁物。たいがい口論を招く。他人様への文句も出るが「死人に口なし」。死人を悪く言うのは不粋そのもの。

  おほかたは世間話よ冷し酒  荒川沙羅

 そうそう。身の丈に合う世間話がちょうどよい。

  冷し酒男は粋をめざしけり  前野雅生

 酒を飲んでいるときは粋でありたい。冷酒となると特に。日常は不粋になることもしばしば。でも、このひとときだけは。とはいうものの、無理に粋がるのは滑稽そのもの。粋がる前に考えなきゃいけないこともいろいろあるし。

  冷し酒世に躓きし膝撫ぜて  小林康治

  冷し酒喉におとして意を決す  仙田洋子

 振り返ってみると、世間というヤツにどうも躓いちまったな。己れの膝を撫ぜる姿には粋でなくとも、男の哀愁を充分に感じる。冷酒をグッと呷って胃におさめ「いざ」と意を決する。堀部安兵衛の高田馬場の決戦を思い出させる。粋という以前に、心がある。

  冷酒やはしりの下の石だたみ  其角

  青笹の一片沈む冷し酒  綾部仁喜

 冷酒を酌む。流しの下の濡れた石畳はなんとも情緒がある。そのような造りのところで飲む酒はまた格別だろう。冷酒に沈めた青笹の青はすこぶる美しい。古伊万里の青、ヒロシゲ・ブルー。「青」と呼ぶ色は涼やかですっと心に響いてくる。それを引き立たせるためには酒器は白がいい。とろりとした白ではなく、キリリとした白。これらには「粋」という言葉が頭に浮かぶ。この状況で粋になれない方は別の道を探すべきであろう。私はすでに別の道にいる。外見、内面合わせ、私に粋は無理。肩の力を抜いて、じっくり旨く、楽しく飲むのが第一である。とはいえ「粋だねえ」と自己陶酔したことは何度もあるが。

  鬼招んで企み為さむ冷し酒  藤田湘子

 句の中から「ガハハハ」と大きな笑い声が聞こえてくる。鬼と企むほどの大胆さ。笑いのない酒はやはり旨くない。

  山中の木々の匂へる冷し酒  大木あまり

  山国やひとりに余る冷し酒  舘岡沙緻

 山々の木々香るなかでの冷酒がなんとも旨そうだ。だが、ひとりで飲むにはちょっと多い。里の人が「どうぞ、どうぞ。召し上がって」と出してくれたものの、この量は。誰か一緒であれば残さずにすむのに。ひとりの酒は何かと不便。

  冷酒やつくねんとして酔ひにけり  石塚友二

 酒と語り合えれば、一人でも一人ではない。しかし酔いが回ってきたときにふと「独り」を感じてしまう。そうすると、なんとも味気ない。変な醒め方をしてしまう。一人酒の情緒も捨てがたいが、にぎやかなのがうらやましくなる。

  冷し酒旅人我をうらやまん  白雄

 イジワル~。本人も旅人も一人。旅人は汗を拭いつつ、午後の旅程がまだある。その隣で昼から悠々と冷酒。視線を感じる。うらやましがっているだろうなあ。意地は悪いが、こういう酒も確かに旨い。私の臍は曲がりに曲がっているが、腹の肉に埋もれて周囲にばれずにすんでいる。腹の肉にもそれなりの利点がある。

  おねえちゃん次は冷酒にしてんか  稲畑廣太郎

 酔っている。これは、確実に酔っている。そして一人ではない。たとえ一人だとしても、店員をみな知っているような、行きつけだろう。すでに生ビールを何杯も空けている。そろそろ酒をかえようか。酒。そうか。冷酒か。ちょいちょい、おねえちゃん。それにしてもこの「おねえちゃん」。「おねえさん」だと、おねえさん+α歳の女性を想像するが、「おねえちゃん」だと、まさにおねえちゃんをイメージするから不思議だ。セクハラではない。素朴な偏見である。

 なにか形勢不利なことを書いてしまった。話をはぐらかそう。

  酒冷す清水に近く小店あり  正岡子規

 一升瓶をどかと清水に冷やしている。近くに小店がある。きっと此処の酒だろう。以前、ある神社の直会(なおらい)で一升瓶ごと湯に浸し、熱燗をつけているのを目にしたが、清水で冷やすのもまた旨そうだ。酒の旨さに自然を滲ませた極上の一杯。その一杯を近くの小店で味わいつつ、そこの娘さんとお近づきになれれば、こんな贅沢はない。

 体に涼風を駆け抜けさせたくなってきた。冷酒が私を呼んでいる。実は今、冷蔵庫に地酒の四合瓶が冷やしてある。手の届きにくい奥の方に入っている。私対策のためではない。キリッと冷えたその一瓶は旨いこと間違いない。日は出ているが、そのうち沈む。ぐい飲みか、コップか、湯呑みか。もう、飲むことに意を決した。もしくは、胃を決した。いざ。とはいえ、ひとりは淋しい。一緒に飲んでくれる、もしくはお酌なんてしてくださる方はいないだろうか。花に嵐のたとえをあるさ、冷酒だけが人生だ。

  浮世絵を出よ冷し酒注ぎに来よ  小澤實

 (2022年10月7日金曜日)



■現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 5 筑紫磐井

 【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】


5.初期身辺生活句

 前回述べた風景句に代わる新しい作風が、風景句と併行して生まれる。


咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)

雪といふほどもなきもの松過ぎに(23・3➀)

佗助やおどろきもなく明けくるゝ

雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)

匆々ときさらぎゆくや風の中

蓋ものに春寒の香のさくら餅

弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)

さく花に忙しききのふ無為のけふ

さくら鯛秤りさだまるまでのいろ

うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)

春靄に見つめてをりし灯を消さる

摘むものにことば欠かねど蕗生ひし

畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ

部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ(23・8③)

白麻の着くづれてゐて人したし

白靴のしろさをたもち得てもどる

露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする・

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ。


 これらは極めて身近な、身辺周囲ないし作者の心情を詠んでおり、風景とは言えない対象を詠んでいる。その心情も、戦後の貧しい生活の中で、寂し気な、やや消極的な作者の内面を中心に詠まれている。

 このような句がなぜ突然詠まれ始め、その後の主調音となってゆくのかは後述するが、巻頭となり、ないし上位の成績を取り始めた時代の主調音は、繰り返しになるが耽美な「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」「老残のことつたはらず業平忌」ではないことに注意したい(それでもこの2句は寂し気な、やや消極的な作者の内面を匂わせていることは共通しているが)。さらに「長靴に腰埋め野分の老教師」のやや詰屈でその内容が優先してしまっている時期と全く違うことは注意してよい。同じ『咀嚼音』の作品であるが、前者はその後の『枯野の沖』につながるが心象俳句、後者は『合掌部落』につながる社会性俳句の根になる俳句であった。

 余りにも多い句なので、能村登四郎を代表する句を少し選んでみる。


咳なかば何か言はれしききもらす


 「咳」はその後登四郎句に頻出する素材だが、それはほぼこの句に始まると言ってよいだろう。巻頭ではないがその直前の巻頭次席の句であり、実際はこの句で秋櫻子の注目を浴びたし、登四郎の成果は定まったと言ってよい。注目したいのは、そこに実体を伴うものが何もない点である。観念句ではないが、写実的要素は全くない。作者の心理ばかりなのだ。


うすうすとわが春愁に飢もあり


 この句も同様である。しかし、この春愁には戦後のはかなさがただよっている。具体的に言えば、給与の低さ、それに伴う貧しさ、不安定な職業からの未来への不安がその実体であろうし、「春愁に飢」を感じさせる原因となっている。決して現代のような豊かさの中の不安ではない。その意味では、明示してはいないが時代を詠んだ俳句を感じさせるのである。


春靄に見つめてをりし灯を消さる


 なぜ見つめていたのか、なぜ消されたのかの具体的な答えはない。しかし、春の夜の作者の置かれた状況、心理は当時にあってはよく納得されたのである。


部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ


 梅雨の雰囲気をよく伝えている。というよりは、梅雨や黴に対して持っていた馬酔木の作者たちの共感がそれを支えている。敢えて言えば、これらの国独創性はない。登四郎が浸っていた心理的な共感を巧みに表現しているという感じが強い。ではその心理的な共感は何処から生まれて来たのか。


資料 能村登四郎初期作品データ。

(制作年月の次の〇数字は馬酔木集の席次。*は下位作品)


刈田のなか池ありあをき空を置く(23・1*)

高槻のそのたかさよりしぐれくる

茶の咲くをうながす晴とちらす雨


咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)

かがみゐし人のしごとの野火となる

潮くみてあす初漁の船きよむ

ななくさの蓬のみ萌え葛飾野


ぬばたまの黒飴さはに良寛忌(23・3➀)

雪といふほどもなきもの松過ぎに

雪天の西うす青し雪はれむ

佗助やおどろきもなく明けくるゝ


雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)

匆々ときさらぎゆくや風の中

蓋ものに春寒の香のさくら餅

松の間に初花となり咲きにけり


弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)

人いゆく柴山かげや春まつり

さく花に忙しききのふ無為のけふ

さくら鯛秤りさだまるまでのいろ


うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)

春靄に見つめてをりし灯を消さる

摘むものにことば欠かねど蕗生ひし

畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ


部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき

藺の花の水にも空のくもりあり


老残のことつたはらず業平忌(23・8③)

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ

白麻の着くづれてゐて人したし

白靴のしろさをたもち得てもどる


露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする・

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ。


長男急逝

逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)

供華の中に汝がはぐくみしあさがほも

汝と父母と秋雲よりもへだつもの

かつて次男も失ひければ

秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり


白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)

白露や子を抱き幸のすべてなる

秋草やすがり得ざりし人の情

日とよぶにはかなきひかり萩にあり


露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)

鶏頭やきはまるものに世の爛れ

朝寒や一事が俄破と起きさする

林翔に

貧しさも倖も秋の灯も似たる。


咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)

わが胸のいつふくらむや寒雀

枯芭蕉どんづまりより始めんと

炭は火となるにいつまで迷ひゐる


霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)

手袋やこの手でなせし幾不善

またけふの暮色に染まる風邪の床

かけ上る眼に冬樫の枝岐る

  殿村兎糸子氏を新人会に迎えて

朱を刷きて寒最中なる返り花


凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)

遠凧となりてあやふき影すわる

水洟を感じてよりの言弱る

冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる


老梅を愛して物を卑しまず(24・4⑤)

新雪の今日を画して為す事あり

卒業生言なくをりて息ゆたか

風邪熱を押して言葉にかざりなき


●戦前作品

芦焚けば焔さかんとなりて寂し(14・2*)

枯山の星するどくてひとつなる(15・12*)

蒲の穂のしづかなれどもふれあひぬ(16・11*)

盆のものなべてはしろくただよへり

寝返ればふたつとなりぬ遠蛙(18・6*)

四五枚のいつも雪解のおくるる田(19・4*)

いつの間にみてゐし雲や春の雲(19・5*)

朝は子とゐし緑陰や人のゐる(19・8*)

ひとりゐる蘆刈に鳰もひとつゐる(20・1*)


●戦後作品(受験子・教師俳句)

受験子の髪刈りて来し目のうるみ(24・4特別作品)

しづかにも受験待つ子の咀嚼音

あぢさゐの褪せて教師に週めぐる(24・8⑦)

氷菓もつ生徒と逢へりともに避け(24・9⑫)

長靴に腰埋め野分の老教師(26・4馬酔木コンクール受賞)

教師やめしそのあと知らず芙蓉の実

2024年11月15日金曜日

第236号

            次回更新 11/29



現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 4 筑紫磐井 》読む

【広告】筑紫磐井『新しい俳壇をめざして』出版と講演

澤田和弥句文集特集
はじめに 澤田和弥句文集について 津久井紀代 》読む
はじめに 凡例 筑紫磐井 》読む
第1編① 現在という二十世紀 》読む
第1編② 肯うこと―西村麒麟第一句集『鶉』読後評―【西村麒麟『鶉』を読む5】 》読む
第1編③ 無題 》読む
第2編 美酒讃歌 ①麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ②続・麦酒讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ③焼酎讃歌 》読む
第2編 美酒讃歌 ④熱燗讃歌 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年夏興帖
第一(10/11)小野裕三・曾根毅・大井恒行・仙田洋子・辻村麻乃
第二(10/18)神谷波・瀬戸優理子・岸本尚毅・鷲津誠二・坂間恒子
第三(10/25)ふけとしこ・仲寒蟬・豊里友行
第四(11/1)木村オサム・中西夕紀

令和六年秋興帖
第一(10/25)曾根毅・大井恒行・仙田洋子
第二(11/1)辻村麻乃・神谷波・瀬戸優理子
第三(11/15)岸本尚毅・坂間恒子・ふけとしこ・仲寒蟬

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第49回皐月句会(5月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

英国Haiku便り[in Japan](50) 小野裕三 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり18 浅川芳直『夜景の奥』 》読む

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測260 鷹羽狩行の晩年——『十九路』『二十山』を読む

筑紫磐井 》読む

【加藤知子句集『情死一擲』を読みたい】② 『情死一擲』の幻視的リアリズム  櫻井天上火 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(51) ふけとしこ 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 3 現代川柳に通じる三句 佐藤文香 》読む

【連載】大井恒行『水月伝』評(2) 田中信克 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

11月の執筆者(渡邉美保)…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。



英国Haiku便り [in Japan] (50)  小野裕三

スピリット・オブ・ハイク

 ロンドンにあるアートギャラリーから、俳句をテーマとした美術展への参加を誘われた。現代アートの作家たちが「俳句の精神(spirit of haiku)」をテーマに美術作品を作る。英国の詩人三人と僕の計四人がその作品に呼応するhaikuを作って会場で音声で流す、という趣向だ。この美術展のことは後日に詳述したいが、僕はイギリス人のキュレーターが語ったその言葉が気になった。「俳句の精神」を問われて、僕はそれをイギリス人たちにうまく説明できるだろうか。

 そう思うと、別の出来事が頭をよぎった。最近あるhaikuの会に参加した際に、イギリス人の講師がこう語った。

 「日本人は、我々西洋人がhaikuのルールと思うものをどんどん破ってますよ」

 本家と分家の奇妙な転倒とも思える言い方が面白かったが、俳句は常に進化すべき、というのが彼の真意のようだ。文化や言語ごとに俳句の差異はあっていいとの含意もあるかも知れない。だが、日本人が忘れた俳句の精神をhaikuが守っている事実を示すとも受け止めうる。

 前回の連載で「比喩」をめぐる俳句とhaikuの違いに触れたが、haikuの中には江戸期の俳句理念を忠実に踏襲しようとする人々が確かにいる。一方でこれも以前に触れた「scifai句」などのようにhaiku形式を借りた自由奔放な展開もいくつもある。そんな中で、果たしてそれらに普遍するスピリット・オブ・ハイクはあるのか。仮にそれがあるとして、それを正しく体現するのは、日本人の俳句か、それとも西洋人のhaikuか。

 ちなみに、例えば英国俳句協会から届く会報には、haikuで目指す日本的美の理念として次のものが記される。真(makoto)、侘び寂び(wabi-sabi)、幽玄(yūgen)、写生(shasei)。しかしこれらの多くは、今の日本の俳人の目からは古めかしいものとも見える。

 「写生」もここで列挙されるが、冷静に振り返るべきは、俳句の近代化の歴史だ。言うまでもないが、子規による俳句・短歌の近代化は、西洋絵画に由来する「写生(スケッチ)」の導入によって進められたとされる。あるいは「前衛俳句」にしても「前衛」という用語そのものが西洋美術から来ることも自明だ。子規以降の俳句史には、べったりと西洋美術由来の概念が塗り付けられている。

 そんな俳句が西洋に逆輸入されhaikuとして隆盛しているが、そこで多くの西洋人が学ぼうとするのは芭蕉など江戸期の俳人が中心だ。一方の僕は、むしろ西洋美術由来の「写生」や「前衛」の影響を強く受けて育ってきた。であるなら、そんな西洋の俳人や美術家たちに僕が語れるスピリット・オブ・ハイクが本当にあるのか? その美術展に取り組みながら、その問いを何度も自問してみた。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2023年12月号より転載)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり18 『夜景の奥』(浅川芳直、2023年12月刊、東京四季出版)

  青春詠を詠える時期に俳句に出会えることは、俳人として幸運だ。

 もちろん浅川芳直(あさかわ・よしなお)さんは、まだまだ青春真っ盛りの好青年だ。

この句集の青春詠を読み込んでいて羨ましくも微笑ましい。

 

一瞬の面に短き夏終る

光りつつ飛雪は額に消えにけり

吾のほかに凉しと言はぬ鉄路なり

論文へ註ひとつ足す夏の暁

夜濯に道着の藍の匂ひけり


 私は、あまり剣道の俳句を記憶にとどめていない。

 俳句の担い手が素直に我が身を詠み込んでいけば、さまざまな生き方が反映されて俳句の多様性も確かなものになるだろう。

 浅川芳直俳句は、そんな未来の明るさを感じさせてくれる。そんな俳人だ。

 一瞬の面が体の芯に鳴り響いて青春を注ぎ込んだ学生時代の最後の短い夏が終る。

 空はやけに明るくて飛ぶように雪は、光をまとい、額(ひたい)の体温ですっと消える。嗚呼!青春だ。

 鉄路の熱気の中で吾(われ)は、僅かな微風をも見逃さず甘受し涼しいと云う青春ど真ん中。

 論文の脚注をひとつ足す。その没頭ぶりは、夜が明けても集中力が途切れない。

 夜濯ぎの道着を洗濯して道着の藍も搾り出すように匂いが漂う。


児童らの密談さざんくわ揺れてゐる

少年の葱を一本さすリュック

噴水へさし出す坊主頭かな


 その青春ど真ん中の青年は、子らへの眼差しもあたたかい。

 帯文の高橋陸郎氏によると「この人の鋭さと柔らかさの兼ね合いは絶妙。清新と風格の共存と言い換えてもよい。」とある。若くして俳句の骨法を体得していて頼もしくもあり、しなやかな感性も子らへの眼差しに顕著に露わになる。

 子どもたちを可愛い可愛いだけでなく観ている点も慧眼で児童らの密談に危うさを感じてしまうのは、私だけだろうか。その山茶花(さざんか)の花の揺れは、少し可愛いだけではないようだ。

 少年はリュックに刀のように葱を差して剣士の面構えでお使いのまま颯爽と歩く姿や、少年は噴水の水のつめたさに坊主頭を差し出すようだと見ているユーモラスさ。



 浅川芳直俳句のどれも観察眼の肌理細やかさがあるだけでなくモノの本質を鷲掴みする俳句が量産されている。今後も坦々と俳句の道も切磋琢磨してほしい。


地ビールの乾杯どれも違ふいろ

一本は海に吼えたる黄水仙

花曇きれいに割れぬチョコレート

火蛾集ふ避妊具自動販売機

曼珠沙華吹き残されて茎二本

遅き日や後部座席の津軽弁

夜の靄を動かしてゐる百合の群

蝸牛のぼる獣型遊具の目

武者振ひ落としし馬の冷やさるる


 地ビールの乾杯のどれも違う色の躍動感を鷲掴みするように俳句に結実させていて舌を巻く。

 黄仙水の一本が海に吼え出す。その物語性の豊かさも見逃せない。俳句は沢山の物語を量産できるのだから多くの物語を詠める浅川芳直さんの才能がまぶしい。

 花曇の季語とチョコレートをきれいに割れないもどかしさ。俳句には、詠まれていないのだが恋の行方を花曇の明るくも柔らかなもどかしさとも読める。

 火蛾が集う避妊具の自動販売機。其処にも青春性がある。こういう現代チックな自動販売機に性欲満点のむらむら感をこんな短い言葉で、火蛾の集う様から見出せるのも若くて健全なパッションが溢れている。俳句の好奇心も旺盛なのだ。

 「遅き日や後部座席の津軽弁」「夜の靄を動かしてゐる百合の群」「蝸牛のぼる獣型遊具の目」など俳句の骨法の的確さ、季語の活かし方、そして日常に詩的だけれども俳句的な独自の面白みをしっかりと見出せる力強さがある。また「武者振ひ落としし馬の冷やさるる」は、なかなか詠めない俳句のいただきで、到達点の高さがある。いろんな俳句を詠める好奇心の階段をこつこつと歩を進めていくとさらなる到達点の見晴らしが、この浅川芳直俳句の未来には、ある。


 「東日本大震災から十年」を詠んだ俳句も鋭さと柔らかさらかさの兼ね合いは絶妙なだけでなく浅川芳直さんの真摯な震災への向き合い方が窺えるようだった。

 「鳥帰る廃船といふ道しるべ」「島凪ぐや落花行き着く貝の殻」「花菜畑やうやく人の気配かな」「潮風の吹きぬけてゆく苺摘」「てんと虫東京からの速達便」


 その他にも共鳴句をいただきます。


約束はいつも待つ側春隣

夏めいて教育実習先の島

空調音単調キャベツ切る仕事

姥百合の実の時詰めてゐる力

水平線もりあがり鳥雲に入る

春昼の酔うてもムツオにはなれぬ

夏座敷素揚げの雑魚の眼の大き

捩花やバスが来ぬなら歩きだす

雪となる夜景の奥の雪の山

鳥帰る窓辺に小さき魔法瓶

明日咲くかさくら樹液を満たしけり

葉擦れとも水の音とも夜の新樹

破船一つ蚰蜒の群れたる禁漁区     

紅蜀葵袋小路を濃くしたり           

草厚く積みたる畦の蟬の羽化

夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる

とんばうの良き日だまりを回りをり

雑煮椀どかと座したる遺影かな

夕方につつまれてゆく磯遊び

夕立の空展けゆく古墳群

一島に雲の速力ラムネ噴く

鈴虫の烈しやグリム童話集

冬の虹生まるる工場地域帯

一月も茫と石屋のモアイ像

澤田和弥句文集特集(2-1) 第2編美酒讃歌 ➀麦酒讃歌

 澤田和弥は酒が好きである。およそ10編ほどのエッセイがある。私は澤田と酒席を一緒にした経験はないが、多くの交友は酒席で進んでいたというから、澤田の俳句の秘密と微妙にかかわっているかもしれない。そうした澤田の俳句の秘密を紹介したい。――筑紫磐井

 第1回の「麦酒讃歌」は「天為」に掲載したものであるが、転載して紹介したいと思う。(表題の「美酒讃歌」は編者が仮に名付けたものである)

 

➀麦酒讃歌(「天為」より転載)    澤田和弥

 どうにもこうにも酒が好きである。 乾杯の二、三秒後には口中から喉へと流れゆく麦酒の心地よさ。脂ののった〆鯖の後を追うように流れるぬる燗のときめき。わいわいと昔話に興じながら流す酎ハイのさわやかさ。どれをとっても酒とは気持ちのよいもの。度さえ過ぎなければ、まさに人生の潤滑油、百薬の長である。たびたび度を過ぎてしまうことは、ここでは棚に上げておこう。


 ガラガラガラと引き戸を開けると「いらっしゃい」という女将の声。空席を探して、よいしょと。さてさて何にしようか。「とりあえずビール」。そう、ビールである。ビールは夏の季語であり、夏といえばなんといってもビール。しかしこの「とりあえず」は春夏秋冬新年変わらない。ビールは苦手という方もおられるが、私なんぞはまずはビールで喉と心を潤し、さて肴は、といきたい。なにせビールは


  ビール一本夢に飲み干し楽しみな  高濱年尾


というほどの代物だから。この句は「一本」とあるので瓶ビールだろう。内田百閒は旅に瓶ビールを持っていったそうだ。あの重い瓶ビールを。酒飲みとはかくありき。瓶ビールも勿論旨いのだが、まずはぐいっとジョッキを傾けたい。そうそう、生ビール。


  生きてゐる価値の一つに生ビール  河西みつる


 「生きてゐる価値」とはまた大袈裟なと思いつつ、一口目の旨さは確かに万金に値する。あの至福は「生きてゐる価値」に加えても遜色なかろう。病床で酒の飲めぬときは生ビールの最初の一口が何度も頭に浮かぶ。元気になったら、まずは酒場へ。心やすけく元気なときはぐいぐいと杯が進む。


  安堵とはこんなにビール飲めるとき  坊城中子


 「えっ!もうそんなに飲んだっけ?」というのは楽しんでいる証拠。酒は楽しく、気持ちよく。


 私は恥ずかしながらいまだ外国に行ったことがないが、こんなに旨そうな海外詠がある。


  黒ビール白夜の光すかし飲む  有馬朗人

  この国の出口は一つ麦酒飲む  対馬康子


 黒ビールに白夜の光を透かしながらとはなんともお洒落だ。酒を飲むときは酒だけではなく、その場の雰囲気にも酔いしれたい。「出口は一つ」とは空港が一つしかないということか。それとも陸路か。いずれにしても蒸し暑い国をイメージした。空港であれば、そこのちょっとしたカウンターで一杯。あまり冷えておらず、氷を入れたりして。ビールが旨いのは万国共通、日本だけのことではない。しかしながら海外ビールよりも日本のビールの方が好きなのは、性と言おうか、業と言おうか。


 ビールは一人でも旨いが、気の合う人と飲むのもまた格別。


  麦酒のむ椅子軋らせて詩の仲間  林田紀音夫


 詩は万物の根源、心の奥底を紡ぐもの。その仲間であるから気心の知れた仲。「椅子軋らせて」を詩論激しく戦わせているのか、それともゆるりとまったりと、と捉えるか。読み手に委ねられるところだが、いずれにしても満たされたひとときである。


  同郷といふだけの仲ビール干す  佐藤凌山


 東京などの大都市にいると「同郷」ということがなんとも心強い。大学時代に県人会に所属していた。それこそ「同郷といふだけの仲」である。よく飲んだ。とてもよく飲んだ。同郷の仲を「わざわざ東京に出てきてまで」と言う者もいたが、何を格好つけているのだろう。やはり嬉しいのだ。その嬉しさが末尾「干す」に集約されている。「飲む」のではない。「干す」。似た感覚に


  阿蘇人と阿蘇をたたへてビール抜く  上村占魚


という句がある。故郷を誉められることはなんとも嬉しい。「阿蘇人」は常連だろうか。それならば他の常連も巻き込めば、さらに楽しい。瓶ビールの王冠をシュポンと抜き、さて今宵のはじまりである。かしこまった席ではなく、大衆酒場の一景と考えたい。


  うそばかり言ふ男らとビール飲む  岡本眸


 男は虚栄心のかたまりである。勿論女性もそうである。しかしこの句が「女ら」であったならば、なんとも苦いビールである。男たちが酒の勢いで嘘やほらを並びたてる。だから楽しい。場も盛況。現実はつらい。せめて酒の席だけでも。「男ってバカね」というのは蔑みではなく、あたたかさ。それを包み込む酒場という器。


  ビール呑み先輩もまた貧しかりき  栗原米作


 こちらはさびしい。学生時代か、大部屋時代か。ビールを呑んで憂さ晴らしといきたいところだが、財布の中はお互いに……。しかし先輩は「おごる」と言う。安い金額ではない。財布を取り出しても「いいから、いいから」と。先輩とはそういう生き物である。下五の字余りが涙を誘う。


  人もわれもその夜さびしきビールかな  鈴木真砂女


 こちらもまた。はじめてこの句を目にしたとき、私は小料理屋の女将と常連の男一人をイメージした。登場人物はこの二人だけ。カウンター越しに男の愚痴。「他に客もいないし」と女将のグラスにビールを注ぐ。ちびちびと一口ずつ。しかしそれは作者「鈴木真砂女」のイメージに引っ張られ過ぎていたのかもしれない。今は、立ち飲み屋をイメージしている。カウンターの内も外も賑やかで大忙し。そのなかでひとりポツリとさびしく飲んでいると、隣にもう一人。常連だろうか。たびたび見る顔だ。ビールの表面ばかりを見つめ、飲み方もちびちびと。たまに漏れる小さなため息。自分と同じ人がもう一人。がやがやとした店内にふとしたエアスポット。だが、話しかけることはない。大人の礼儀というもの。私自身が「さびしき」人になってきているのか。そのようにこの句を読むようになった。生ビールではさびしくない。中瓶と片手におさまるビールグラス。そして飲み方はちびちび。このようなさびしさに滑稽を見出したのが次の句。


  誰もつぎくれざるビールひとり注ぐ  茨木和生


 大勢で飲んでいるときに手酌は不粋。しかし誰もついでくれない。仕方なく自ら。よくある光景であり、誰しも経験したことがあるだろう。これが一句になると、さびしいのだがなぜかうなづかずにはいられない共感と滑稽を思う。「ビール」ゆえにパーティ等でポツリとひとりになった感じが出ている。これが「冷酒」や「焼酎」では場面設定すら大きく変わってしまう。


 さびしくなってきた。ひとり酒は体に悪い。ぱっと明るく。


  ビール溢れ心あふるる言葉あり  林翔


 溢れるビールがなんとも旨そうだ。パーティか、送別会か。ビールとともに溢れる言葉がきらきらと輝いている。まさに黄金色。ビールの開放感が心地よい。この言葉、ぜひとも先述の先輩にもかけてほしい。


  遠近の灯りそめたるビールかな  久保田万太郎


 ビールを飲みはじめるのは終業後の夜、または宵の口であろう。上五中七の広く漫然とした景を下五がきゅっと締めている。締めつつも「かな」というやさしい切れ字が充実した心のゆとりと満足感を伝える。


 されども、格別に旨いのは昼。


  旅なれば昼のビールを許されよ  永田豊美


 昼、特に平日の昼にビールを飲むことは少なからず罪悪感を伴う。皆、仕事に学業に勤しんでいる時間帯。私だけいいのだろうか。うん。いいのだよ。この罪悪感と解放感がことのほか、ビールを旨くする。そのうえ旅中ともなれば旨さはさらに倍増。詠み上げるのではなく、語りかける文体がさらに憎らしい。許す反面、許したくない気持ちがどうしても拭えない。自分が飲む側であれば、このような気持ちは全く起こらないのだが。


 俳句の力か、ビールは飲む前から旨い。


  大声の酒屋のビール届きけり  太田順子


 「大声」がいい。元気いっぱいの酒屋がガタガタとケースに瓶ビールを鳴らしながら、届けてくれた。この句の中では一口もビールを飲んでいない。届いただけだ。しかしなんとも旨そうだ。これからキンキンに冷やし、食卓へ。王冠をコンコンと二、三度叩いてシュポっと。グラスに注がれる溢れんばかりの白と金。唇に触れた瞬間の泡のやわらかさ。さあ、一気に喉へ。ここまで書くのは読解過剰かもしれないが、この句を前にするとどうしてもそこまで頭の中が行ってしまう。つくづく、私は酒飲みだ。キンキンに冷えたビール。


 ビールを飲むときはその雰囲気にも酔いしれたいと先に書いた。ビールにはビヤホールやビヤガーデンという特別な場がある。ビヤガーデンは屋外という開放感があるが、ビールがすぐにぬるくなり、虫を追い払いながら飲まなければないないので、ビヤホールの方が好きだ。


  さまよへる湖に似てビヤホール  櫂未知子


 「さまよへる湖」と言えば楼蘭のロプノール湖。ロプノールとビヤホール。なるほど。確かに似ている。そして杯が進めば目の前はさまようかのようにゆらゆら。お手洗いに立とうものならば「あれ?席は」とさまよって、と書いてしまっては滑稽が過ぎるか。ただビヤホールという空間は、ロプノール湖のようにいつまでも浪漫に魅了される場であってほしい。


 昨今、発泡酒や第三のビールの登場により、ビールが贅沢品になりつつある。しかしながら、ビールは庶民、大衆のものでありたい。ともに喜びを分かち合い、さびしいときには肩に手をぽんと置いて隣にいてくれる存在。


  ビール酌む男ごころを灯に曝し  三橋鷹女


 心を曝すことなどなかなかできぬ、世知辛い世の中。ビールを酌めば。酒に逃げるのではない。喜びをさらなる喜びに、さびしさに救いを。一杯のビールが心に一灯をともす。ビールを知ることは、相棒を得ることに似ている。人は一人では生きられない。だから今日も私たちはビールが飲みたいのである。


  生きてゐる価値の一つに生ビール  河西みつる

(2022年7月15日金曜日編)

澤田和弥句文集特集(2-2) 第2編美酒讃歌 ➁続・麦酒讃歌

 続・麦酒讃歌          澤田和弥 


 ビールは人生のいろいろな場面を演出する。喜怒哀楽、さまざまな思いや感情が託される。とはいえ、苦いビールよりもまずは旨さを楽しみたい。


  ビール注ぐ泡盛り上り溢れんと  高濱年尾

  生ビール泡流る見て愉快かな    同


 ビールにはやはり泡が大切である。学生時代によく通った居酒屋では泡の全くないビールを出してくれた。学生とは貧しいもの。泡の分までビールを注いでくださいというリクエストに応えて。勿論冷えている。泡をスプーンで捨て、飲み口いっぱいまで黄金色。そのやさしさが嬉しかった。しかしいつの間にかビールの「泡」にこだわりはじめた。驕りか。贅沢か。ジョッキやグラスを傾けたとき、まず唇に触れる泡の感触はやはり忘れがたい。コップを溢れんとする泡。ジョッキより溢れ、こぼれる泡。まさに愉快。そしてグイっと一口。うぐうぐと喉を流れるビール。なお愉快。


  片なびくビールの泡や秋の風  會津八一


 秋風にビールの泡がなびいている。なびくためには泡がコップから溢れていなければならない。注ぎたてである。居酒屋というよりも、庭に窓を開け放った自宅の居間を想像した。洋間ではなく和室。畳に座布団。縁側かもしれない。風が心地よい。さあ、泡消えぬうちに一口。同じような景でもう一句。


  注ぎぞめの麦酒音あり秋涼し  永井龍雄


 秋の涼しさが嬉しい。こちらは音に注目する。炭酸のシュワシュワという音。泡の弾けゆく音。音だけで旨そうだ。音を味わうためには静けさが必要。居酒屋よりも、こちらも自宅をイメージしたい。ひとり酒。深まりゆく秋がさらにビールを旨くする。


 ビールそのもので充分旨いのだが、飲む状況や雰囲気によっても味は左右される。


  大役を終えてビールの栓を抜く  星野椿


 パーティでの来賓挨拶。数々のお歴々を代表して。無事終了。席に戻ると喉はもうカラカラ。ほっと一息入れて、さて口中を潤わさん。栓を抜くシュポンという音が安堵の気持ちを深める。


  恋せしひと恋なきひととビール汲む  辻桃子


 ビールの酔いが話にさらなる花を咲かせる。どのような話か。かたい話ではつまらない。一番盛り上がるのは色恋のこと。ただしのろけ話は却下。「恋せしひと」はまだ成就せぬ片想いの段階。「へえ、ああいう人が好みなんだ」「告白しちゃいなさいよ」なんて言うのが楽しい。大体、片想いの段階と付き合って一ヶ月ぐらいの頃が、恋愛において一番幸せなときである。聞く方としては片想いの頃が一番盛り上がる。また「恋なきひと」に「好みは?」「それなら、いい人がいる」というのも楽しい。杯が進めば「明日、告白してくる」なんてことも。なにとぞ苦い恋はせぬように。


  一人置いて好きな人ゐるビールかな  安田畝風


 こちらも恋路のこと。飲み会で席についたら、偶然にもお目当ての人が隣の隣に。話しかけようとしたら、隣の人が反応してしまった。あなたじゃない。「席を替わってほしい」なんて露骨なことは言えない。そのうえ隣の人が興に乗りはじめてしまった。好きな人は反対隣と楽しそう。嗚呼、もどかしい。こんなビールはなんともほろ苦い。


  ビールほろ苦し女傑となりきれず  桂信子


 女傑という資格には酒豪という要素が要るのかもしれない。ビールをグイっと空けて呵呵大笑。上司も部下も誰も歯が立たない。この「ほろ苦し」はビールの苦さ、それも自分にとって苦手な苦さとともに、女傑になりきれぬ自分へのほろ苦さもあるだろう。女傑とすでに呼ばれている人にあと一歩及ばない。それがビールの苦さ、といったところか。


  かりそめの孤独は愉しビール酌む  杉本零


 ひとり酒。孤独である。でも本当は「かりそめ」。なんとなく初めての店に一人で入ってみた。常連らしき人々は女将と盛り上がっている。カウンターの隅で誰に話すともなく、ビール。帰れば家族が待っているし、馴染みの店もすぐ近く。でも今は独り。誰も自分のことを知らないし、自分も誰のことも知らない。孤独になりたいときは誰にでもある。即席孤独。そんな楽しみ方もビールと頒ち合いたい。


  ビール発泡言葉無縁の日なりけり  林翔


 「ビール発泡」により、ビールが奏でる心地よい音が聞こえてくる。旧友との久々の再会なのだろう。話すことはたくさんあるが、ビールを酌みかわすだけで、分かり合える。言葉にしなくとも会わなかった日々を互いに慰労できる。「友情」という言葉を深く強く感じる。


  ビール飲む友に山羊髭いつよりぞ  平賀扶人


 こちらも友と久々の再会。やはり手にはビール。友の顎には山羊のようなひげ。あれ?前に会ったときには生えていただろうか。どうしても思い出せない。まあ、よいではないか。今、友と楽しい時間を共有し、ビールも旨い。それで充分。


 ビールを酌みかわす。初対面という場合もあるが、気心の知れた仲だとさらに充実した時間を味わうことができる。先の二句が、たった十七音でそれを見事に表現している。しかしながら、こういう場合も。


  屋上に落ち目の人とビール飲む  内田美紗


 何もそこまで言わずとも。「屋上」とあるので、百貨店等が催すビヤガーデンだろう。相手は、美しい女性と二人きりという状況にご満悦。しかし女性の側では「落ち目の人」という評価。同じビールを飲みながら、それぞれの味は格段に違うことだろう。


  ビール缶握り潰せる汝を愛す  中西夕紀


 飲み干したビール缶を片手でグシャっと。ドラマの一場面にでもありそうな男前のしぐさ。そんなあなたを愛しているというダイレクトな表現。これが両手で潰すとさまにならない。やはり片手で一気に。ところで「ビール缶」というと空き缶を想像するが、「缶ビール」というと中身の入っているものが頭に浮かぶ。「グラス」も同様。「瓶」もまた然り。


  ビール瓶二つかち合ひ遠ざかる  細見綾子


 ではこれも空き瓶か。二つの空き瓶がかち合い、片づけられたということか。いや。この句に限っては中身の入っているものを想像したい。パーティの席上。グラスと瓶ビールを手にお酌回りをしていたら、同じくお酌回りをしている人とかち合った。挨拶は先ほどしたし。エヘヘと軽く会釈をしながら、それぞれ別方向へ遠ざかっていく。どちらの解釈がよかろうか。皆様に委ねたい。


  涼風の星よりぞ吹くビールかな  水原秋櫻子


 風がなんとも気持ちよい。ビールがさらに旨くなる。その風が夏の星々から吹いてくるとはなんともロマンティック。もうもうと煙の立ち込める焼鳥屋ではなく、高原の山荘をイメージしたい。いかにも旨そうだ。


  山上の空気に冷えしビール飲む  右城暮石


 これも全くもって旨そうだ。山小屋での一杯のビール。ほどよい冷えがなんとも爽快。冷やし方に何かこだわりがある訳ではないが、「山上の空気に冷え」たとなると、これは格別に旨そう。登山の疲れもゆったりと癒される。


 日本においてビールとは冷たいもの。ジョッキも冷やしてあるところが多い。まさにキンキン。猛暑や熱帯夜には誠に嬉しい。しかし冷え過ぎるのはよろしくないという御仁もいらっしゃるようで。


  冷えすぎてビールなさざり夕蛙  石川桂郎

  冷え過ぎしビールよ友の栄進よ  草間時彦


 「冷えすぎて」がビールの温度か気温かで捉え方がかなり変わるが、ここでは前者の方で。冷えすぎている。これではビールとなさない。私が飲みたいビールではない。こだわりか。わがままか。イライラする耳に遠くかた夕蛙の声。「冷え過ぎし」は明らかにビールのこと。「友の栄進」だ。祝わねば。しかし「冷え過ぎしビール」である。喜んでいない。間違いなくマイナスの感情を含んでいる。先を越された。入社年も年齢も一緒なのに。主人公もこのままでは「冷え過ぎ」になってしまう。チキショー。


 楽しくも哀しくも杯が進む。だんだん酔ってきた。笑い上戸に泣き上戸。人には千差万別の酔い方がある。


  この道にビール飲まさんと跼みけり  永田耕衣


 なぜ道に。よろめいてかがんだことへの言い訳か。それとも酔いの戯れか。突拍子のなさに驚く一句。ほんとになぜ?


  ビール園神神もかく屯せし  平畑静塔


 ビールを片手に語り、笑い、酔いゆくさまを神々の宴に喩えた。古代ギリシアか、日本か。大らかでゆったりとした景色が浮かぶ。ビール園の誰もが酒神であるかのように。そんなビールはやっぱり旨い。


  ビール工場からあふれさうな満月  能城檀


 工場に勤務しているというよりは、工場見学と考えたい。最後の試飲にも満足し、ちょうどよい心地。ふりかえると大型タンクなどの向こうに大きな満月。


 さらなる充実感。「あふれさうな」という言葉が満月の美しさを充分に表現するとともに「ビール工場」とも結びついて、思わず唾を飲む。満月を仰ぎながら、できたてのビールをもう二、三杯試飲させてほしいところだ。ビール工場の誘惑。


  生ビール天蓋汚れ切つたれど  行方克己


 中華料理屋か。「天蓋」と大仰な言い方ながら、それは汚れきっている。ただ「汚れ切つたれど」である。だけどね、と来る。だけど、何か。それはもう生ビールでしょう。生ビールが旨い!天井は汚れてるけどね、というところか。最初は汚れていると思っても、通っているうちにその汚れが店の味わいに変わってくる。学生時代によく行った居酒屋で、お世辞にもきれいとは言い難いところがあった。おばさんが一人でやっていた。手が回らなかったのか。しかしそこに行くといつもほっとした。掃除の行きとどいた店とは異なるあたたかさがあった。今も夢に出てくる。おばさんの笑い声とともに。


  夫逝きて麦酒冷やしてありしまゝ  副島いみ子


 突然亡くなったのか。夫のためにビールはまだ数本、冷蔵庫のなかに。片づけられない。夫の死が過去になってしまうかのようで。いつか飲むだろう。心の整理がついたら。今はまだ。

 笑いから涙まで。ビールは人生のいろいろな場面を演出する。

(2022年7月15日金曜日編)

澤田和弥句文集特集(2-3) 第2編美酒讃歌 ➂焼酎讃歌

➂焼酎讃歌          澤田和弥


 芋に麦、米、蕎麦、トマト、栗、ピーマン。何の話かと言えば焼酎である。焼酎は夏の季語。プレミアムのものを除けば、比較的お手頃な値段ですぐに酔える。カロリーも低く、痛風を恐れることもない。サワーにすれば飲み口もすっきり。焼酎ブームはまだまだ続くだろう。私は芋か麦。お湯割りかロック。緑茶で割るのもよい。最近上京していないので疎いのだが、十年ほど前は「お茶割り」と頼むと東京ではウーロンハイが出てきた。静岡では緑茶割りである。たいがい冷たい。寒いときなどはメニューになくとも、頼めばあたたきお茶割りが飲める。あたたかいお茶割りはよほどに飲まなければ、悪酔いもしないし、次の日もつらくない。好む所以である。もっと普及してほしいものだ。焼酎の個性を楽しむならば、お湯の方がよいけれど。

 焼酎は個性が強い。或る人には「臭い」と思えても、別の人には「佳い香り」ということがよくある。味の好みもいろいろ。ただしクセを抑えた焼酎は、それこそ味気ない。人とて同じこと。クセのある人は、そのクセが魅力である。そこにはまるか、毛嫌いするか。はまってしまえば、あとはズブズブ底なし沼。


 焼酎の一銘柄を偏愛す  中島和昭


 悦楽の底なし沼にはまっている。なにせ「偏愛」なのだから。そのくらいに愛するということは、よほどクセの強い焼酎なのだろう。個性が強くなればそこまではまることはない。別の似たような酒に浮気してしまう。「きみじゃなくちゃダメなんだ。きみしか愛せない。愛せないんだよ」という状態。そんな焼酎に出逢えたことは、まさに酒飲みの本望であり、至福である。他の酒では満足できない体になってしまったことは少々残念かもしれないが。


 米の香の球磨焼酎を愛し酌む  上村占魚


 「愛し」がいい。偏愛とまで行かずとも、「愛し」がやさしい。句から、米の香りがふわっと鼻をくすぐる。「球磨焼酎」と限定したことにも愛を感じる。香りを楽しむためにもぜひロックでいただきたい。旨さは鼻腔にも口中にも。


  汗垂れて彼の飲む焼酎豚の肝臓(きも)  石田波郷


 夏の酒場。冷房ではなく、開けっ放しの戸口からの風。壁に据え付けられた扇風機。あと、カウンター下の棚に何枚かの団扇。焼き場の熱気もあって、みな汗を垂らしつつ。焼酎をグイ。この焼酎は酎ハイか。あえてお湯割りか。九州の酒飲みは一年をとおしてお湯割りと聞いたことがある。この状況にお湯割り。熱気過剰、汗が垂れるのも当然。そして肴は豚のレバー。モツ焼きではなく「豚の肝臓」と限定しているので、私はあえてレバ刺しと考えたい。お湯割りにレバ刺し、活気ある下町のパワーを感じる。ビールではこうはいかない。焼酎の力強さと個性のなせるわざ。


  市場者らし焼酎の飲みつぷり  上野白南風


 市場で働く方々と酌み交わしたことがないので、体験からの具体像は描けないが、わざわざ「飲みつぷり」と言っているぐらいだから、よほど豪快なのだろう。市場の活気を思い浮かべれば、ちびちび啜りつつというのはイメージしがたい。グイっと。グイグイっと。濃いめの水割りを喉に流しながら、乱暴であたたかい言葉の応酬。多少うるさくもあるが、見ているこちらの酒も旨くなる。影響を受け過ぎて、自分までグイグイ呑むのは禁物。お酒はあくまでも自分のペースで。


  火の国の麦焼酎に酔ひたるよ  大橋敦子


 「火の国」と言えば熊本。本場九州の麦焼酎。なんとも旨そうだ。「火の国の麦焼酎」という存在感に「に酔ひたるよ」という軽いフレーズが相まって一句をなしている。火の国の「火」と焼酎の「焼」により、麦を炒ったこうばしい香りまでただよってくるようだ。ちなみに焼酎の「焼」は酒を焼く、つまり蒸留をさす。火の国の麦焼酎。今すぐにでも味わいたい。


  馬刺うまか肥後焼酎の冷やうまか  鷹羽狩行


 今度の肴は馬刺しである。それはそれはうまかろうねえ。最高じゃろねえ。方言を用いることで、対象への親しみが伝わる。高級な店ではなく、常連さんが突然「あんた、どこから来たね」と声をかけてくるような大衆酒場を思い浮かべた。「焼酎の冷や」とはロックのことであろうか。それとも焼酎自体を冷やしてストレートか。それも旨そうだ。焼酎のイメージにも合う。くいくい飲んで、楽しい一夜。なにとぞ飲み過ぎには皆様、ご注意を。


  焼酎に死の渕見ゆるまで酔ふか  小林康治


 危ない、危ない。そこまで呑んじゃダメですよ。なんとも凄味のある一句。ドキっとするような、中七下五の強さと鋭さを受け止められるのはやはり焼酎だからだろう。試しに他の酒の名を入れても、この凄味には到底敵わない。


  甘藷焼酎過去には触れぬ男達  塩田藪柑子


 「過去には触れぬ」をどう解釈するかで、凄味も出るし、明るさも出るだろう。私は明るく読みたい。だって「甘藷焼酎」だもの。暗い過去には触れず、明るく今を楽しく。今の自分を偽るのではない。それに触れぬのも酒の席の礼儀。寺山修司の詩に


ふりむくな

ふりむくな

後ろには夢がない


というフレーズもありますし。


 焼酎は庶民の酒である。「下町のナポレオン」という有名なキャッチコピーもある。ただ、その庶民の中でも立身出世とはあまり関係のない方々の酒というイメージがあるようだ。そのような句をざっと紹介したい。


  焼酎が好きで出世もせざりけり  中丸英一

  焼酎に慣れし左遷の島教師  夏井やすを

  焼酎や出世にうとき顔ならぶ  臼井治文


 私、焼酎好きですが、何か。まあまあ、落ち込まず。こんな句もある。


  焼酎に甘んじ人生愉快なり  細見しゆこう


 甘んじている訳ではないけれど、人生愉快なら、まあいいか。それだからこそ、酒も旨い。いいじゃないのよ、幸せならば。さあ、焼酎をもう一杯。


  桃の日や焼酎飲んで産院へ  田川飛旅子


 いやいやダメダメ、飲んじゃあ。三月三日の腿の節句に産院へ。遂にわが子の誕生。わざわざ「桃の日や」と言っているのだから、おそらく女の子。待望。だが緊張する。落ち着け、落ち着け。どうしよう。そうだ。焼酎を一杯。グイと。ふう。よし、肝が据わった。さあ、行くぞ。なんだかミニコントのようになってしまったが、男という生き物の一特性が垣間見える。酒のにおいがしても、なにとぞおゆるしを。


  焼鳥焼酎露西亜文学に育まる  瀧春一


 新宿の名店ぼるがであろうか。歴史を感じさせる、蔦に覆われた外観。多くの文学者などが集い、今も意気軒昂なにぎわい。俳句仲間に何度か連れて行ってもらった。「ボルガ」はロシア西部の大河の名。ぼるがの思い出は確かに、大河のごとき悠久の中に今も流れている。じゅんさいを食べた記憶が不思議なくらいに頭にのこっている。


  形見にと湯守の呉れし蛇焼酎  小原山籟


 形見と言われても。焼酎にマムシ等の蛇を漬け込んだあれである。湯守とは湯本や湯屋の番人。どういう関係なのだろうか。形見を渡されるぐらいだから、浅からぬ仲だろう。

 マムシ焼酎を口にしたことが一度だけある。学生時代によく通った居酒屋でのこと。閉店時間が近づき、残っているのは私を含め常連グループが一組だけ。大将が「おい」と呼ぶ。「そろそろ閉店だよ」ということか。振り向く。「俺の元気の素を見るかい」。何だろう。「これだよ」と取り出したものに驚いた。薄い琥珀色の液体の中に蛇がいる。思わず全員で「えっ!」。「仕事が終わったらショットグラスで一日一杯。これが元気の素さ」。テレビ等では見たことはあったが、現物ははじめて。しげしげと眺めていると「飲むかい?」と。好奇心。こういうことを「毒を喰らわば皿までも」と言うのか。少し違う気がする。とはいえ、こんな機会は滅多にない。一杯いただく。鼻を近づけると、鼻腔をかきむしるかのようなにおい。口にする。飲んだのではなく、少し口が触れたぐらい。うぉぉぉぉ。なんという個性の強さ。思わず膝の力がガクっと抜けた。ショットグラスとはいえ、これを一杯飲み干すには勇気と度胸が足りなかった。あれ以来、蛇焼酎は口にしていないし、お目にもかかっていない。卒業してからお店にも伺っていない。今も蛇焼酎片手にお元気だろうか。学生たちに親しまれる、明るくやさしい、べらんめえ調の大将であり、お店だった。あの焼酎を形見に。いや、貰ってもやっぱり困るなあ。


  焼酎のたゞたゞ憎し父酔へば  菖蒲あや


 私の父は料理人である。母と二人で料理屋を営んでいる。へそ曲がりで気難しく、いつも無口だ。酒が入ると怒りやすく、喧嘩っ早くなる。最近酒量が減ったが、私が幼い頃には大酒を飲んでいた。父が苦手だった。酔った勢いで母につらくあたるときなどは、子どもながら心底腹が立った。料理人としての腕前はわが父ながら一流である。しかし父・夫としては、わが父ながら三流であった。父は最初にビールを一瓶。そのあとはずっと焼酎。そのため、夜の父からはいつも焼酎のにおいがした。そのにおいが嫌いだった。今となっては「生きることや愛することに不器用な人なんだ」と思っている。苦手でもなくなった。一般的な父と子の関係である。ただあのにおいが憎かった。焼酎を「いい香り♪」と言っている現在の自分が信じられない。信じられないながら実際にいい香りであり、すこぶる旨いのだから仕方がない。実家にて父と同じ焼酎を酌み交わすこともある。会話はほとんどないが、それが男親と息子の普通の姿と思っているのだが、いかがだろうか。

 なんだかしんみりしてしまった。締めに力強い一句を。


  黍焼酎売れずば飲んで減らしけり  依田明倫


 「売れずば」という豪快なフレーズ。呆気にとられてしまう。そうか。飲んじゃえばいいんだ!いやいやいや、売らなきゃ。この句のパワーに黍焼酎がよく似合っている。クセがあるほど愛してしまう。さてさて、ちょっと夜の街に消えるとするか。

(2022年8月12日金曜日編)

澤田和弥句文集特集(2-4) 第2編美酒讃歌  ④熱燗讃歌

④熱燗讃歌           澤田和弥 


 コートの襟を立て、縄暖簾をくぐる。「いらっしゃい」。大将の低い声。先に来ている常連らしき男がこちらを一瞥して、すぐに自分の世界に戻った。カウンターの一番奥が彼の定席なのだろう。一番奥と言っても五、六人並べばいっぱいという長さだが。一番入口に近い席に座る。戸の間から隙間風。無言で供されるおしぼり。あたたかい。「何にしやしょう」。さて、あなたならばここで何を注文するだろうか。とりあえずビール?それとも寒いから焼酎のお湯割り?いやいや。この状況では間違いなく、熱燗が正解である。ぐい呑みから湯気。それを無言で一口。口中、喉、食道、胃へとぬくもりが走る。お通しはちょっとした煮物だと嬉しい。

 熱燗は店で呑むものという先入観が私にはある。しかし俳句を見ているとアットホーム派がかなり多い。家庭のぬくもりというやつだろうか。「店にだってぬくもりがあるもん!」と独身の、それも彼女候補すらいない私としては声を大にして訴えたい。


  熱燗や雨ぬれ傘を脇に置き  村山古郷


 居酒屋、もしくは立ち飲み屋か。外は冬の雨。コートも脱がずにまず熱燗を。傘立てが見当たらないので、濡れた傘は脇に。何度ももたれかかってきてコートをさらに濡らす。もういいや。傘にもたれかかられながら、お猪口に酒を酌み、一息にグイ。ほっと一息。飲みはじめの様子が最小限の場面設定で描かれている。傘は面倒くさいが、冬の雨に芯から冷えた体には熱燗がなんとも嬉しい。


  熱燗や炉辺の岩魚も焼加減  樋笠文


 炉端焼の店である。もしくは囲炉裏のあるような田舎の旧家か。熱燗が喉にしみいる。岩魚もちょうどよい焼加減。熱燗のおかわりを。一合、いや二合で。この岩魚に一合では足りない。ジュクジュクプシュと岩魚の脂の弾ける音。悪いことは言わない。きみたちも熱燗を飲みなさい。

 「ひとり酒で熱燗を二合頼むとは不粋な。冷めてしまうではないか」という方もおられよう。しかし長年居酒屋でバイトをしていた私としてはいちいち一合ずつ注文するのは気が引けてしまう。或る著名な学者さんが五人連れで来店したときのこと。注文は「熱燗一合」。はい。他の方は。あっ。五人で一合なんですね。承知しました。熱燗を供する。数秒後、「熱燗一合」。そりゃそうだ。五人に注げば、すぐなくなる。結局一升五合。私は十五回、一合徳利一本を運ぶことになった。それが仕事、と言われれば、そのとおりなのだが。そのことが頭に引っかかって、一合以上飲むだろうなというときは二合徳利を注文するようにしている。少しぐらい冷めたって。冷めるのが嫌ならば、冷めないうちに二合飲めばいいだけの話である。その結果、酔い崩れる。なんというか、ごめんなさい、って感じだ。


  熱燗や食ひちぎりたる章魚の足  鈴木真砂女


 こちらの肴はタコ。タコの足の干物と考えたい。「食ひちぎり」なので。生ダコや茹ダコの足というのも旨いのだが、食いちぎるという動作は干物にこそ似つかわしい。ガブ、ぬぃぃぃぃ。プチ。むしゃむしゃ。そこへ熱燗をグイと。最高である。間違いなく至福の旨さだ。嗚呼、今すぐ飲みたい、食いたい。でもまだ行けない。これは嫌がらせかと、この句を前にもんぞりうっている。


  熱燗や街ぐんぐんと暮れてゐし  高田風人子


 熱燗は冬の季語。冬の日暮れは言うまでもなく、早い。街の居酒屋から外を眺めていると、いつの間にか夜。ただしずっと眺めつづけていたのではない。岩魚や章魚の足などの肴に舌鼓を打ちながら、熱燗をちびちびとやりつつ。気がついたら、外はすでに暗い。「あれ?いつの間に」。その様子が「ぐんぐん」に表されている。楽しい時間はぐんぐん過ぎる。つらい時間は全く過ぎない。居酒屋の時計と会社の時計が全く同じスピードで動いているとはどうしても思えない。時は平等か。そんな難しいことは置いておいて。さあ、熱燗を。


  熱燗に提灯もゆれ人もゆれ  和泉鳥子


 「あっ。もうこんな時間だ!帰らないと」。熱燗を酌み交わすことは楽しいが、門限を忘れずに。戸を開ければ冬の風。赤提灯が揺れている。「おっ、じゃあな」。あれあれ千鳥足。大丈夫かなあ。句全体を包み込む熱燗のぬくもりが心にやさしい。


  熱燗のほとぼり握手いくたびも  川島典虎


 こちらも帰り際の一コマ。おじさんは酔うと何故あんなに握手をしたがるのだろう。それは楽しい時間を共有できた喜びと感謝の気持ち。おじさんはやさしい。そして少々不器用である。何度も握手しても嫌がらないで。セクハラだなんて言わないで。そんなやましい気持ちはこれっぽっちもない、はずだ。この景も「熱燗」だからこそ、詩情とユーモアを生み出しているだろう。


  熱燗や捨てるに惜しき蟹の甲  龍岡晋


 おっ。甲羅酒ですな。これが本当に旨いんだ。


  鼻焦がす炉の火にかけて甲羅酒  河東碧梧桐


 囲炉裏のあたたかさ。そして甲羅酒。少し蟹味噌をとかして、クイと。旨い。そして箸を手に蟹味噌を一つまみ。旨い。まだ味噌が残っている。もう一度、熱燗を注ぐ。クイと。嗚呼、やはり旨い。味噌を少しばかり。まさに悦楽。さてそろそろ味噌もないし。いや、もう一度。では。いや。意地汚いと思われるか。いや。でも。どうせ捨てちゃうんでしょ。だったら……。酒飲みの業とは誠に深いものである。


  熱燗やいつも無口の一人客  鈴木真砂女


 不思議な常連さんはどこのお店にもいるだろう。いつも一人。挨拶代わりに少し頭を下げるだけで、あとは無言。「話しかけないでくれ」というオーラを感じる。今日のおすすめではなく、いつも同じ肴。そして熱燗。同じ時間に現れ、同じ時間に帰る。月光仮面か。何をしているのか、どんな人かもわからない。ただ今日も、同じ時間に現れて、同じ時間に帰るのは確かな気がする。ビール、焼酎、冷酒、ウイスキー、いろいろな酒があるが、この句は「熱燗」以外に考えられない。少しくたびれたことを着た五十歳代の男性というイメージ。少しコロンボに似ている。私の妄想だが。


  熱燗を二十分間つきあふと  京極杞陽


 なんだ。二十分間付き合うと何なんだ。どうなるんだ。誰とだ。さっぱりわからない。問題だけで答えがない。いろいろと考えてみる。読み手ごとにさまざまな回答がある。きっとそれでいいのだろう。答えは無数にある。ただし質問は一つだけ。それもまた俳句というもの。熱燗をちびちびやりながら、お好きなように想像することもまた一興。

 さて、酒も肴も旨かったし、二十分間はとっくに過ぎたし。でも、もう一本飲みたいな。


  熱燗の閉店ちかき置かれやう  大牧広


 なんだ、なんだ。今の置き方は。こっちは客だぞ。へっ?もうすぐ閉店?あっ。いつの間にか我々しかいない。そのうえもうすぐ日をまたぐ時間じゃないか。いやはや、すみませんね。これ飲んだら帰りますんで。はい。お勘定だけ先に。はい。すみません。やっちゃったなあ。でも、あの置き方は……。


  熱燗のあとのさびしさありにけり  倉田紘文


 熱燗を飲み終え、店を出る。途端に冬の烈風。看板の灯りも消えた。酔いも少しく醒める。つい先ほどまではぬくぬくと熱燗を楽しんでいたのに。寒い、寒い。早く帰ろう。さっきまでは


  熱燗にいまは淋しきことのなし  橋本鶏二


だったのになあ。

 男二人で熱燗を飲むときとはどんな状況だろうか。勿論寒いときだろうが、二人とも、もしくはどちらか一人が心身ともに疲れているときではないだろうか。


  熱燗や男同士の労はりあふ  瀧春一


 カウンターで差しつ差されつしていると、お互いの距離は自ずと近くなる。猫背になると、後ろ姿はこんもりとした山のように見える。その山中でお互いを労わりあう。これを四十七士に見立てると


  熱燗や討入り下りた者同士  川崎展宏


となる。逃げたのではない。好きでそうした訳じゃない。それぞれいろいろと理由がある。人には言えない理由が。酒と人に癒される。同じ傷を負った者同士。同類相憐れむ。喉元を過ぎる熱燗。夜は深まっていく。

 そんなこんなで飲んでいると当然ながら酔う。お互いの慰労のはずがいつしか険悪な雰囲気に。


  つまづきし話のあとを熱燗に  松尾緑富


 話が躓いた。変な空気になってしまった。まずい、まずい。さあさあ、もう一杯。酒でできた悪い雰囲気は、酒でごまかすのが一番。あとは気付かれぬように話題をずらすテクニック。まあ、このテクニックが一番難しいのではあるが。

 酒の上での失敗談は山ほどある。今となっては笑い話になっているものもあれば、現在進行形のものも。一体、何人に縁を切られただろう。これもそれも酒のせい、か。


  千悔万悔憎き酒を熱燗に  川崎展宏


 「千悔万悔」に多くの方々が同調なさるだろう。大袈裟と思うのは酒で失敗したことのない、たいへんラッキーなお方。「酒は飲んでも飲まれるな」と何度、自身を戒めたことか。酒が憎い。憎い酒。火炎地獄じゃ。熱がれ。熱がれ。おっ、ちょうどよい頃合い。さてさて、一杯やりますか。ん?反省はしている。ちゃんとしている。しかし同じ失敗を繰り返さない自信ははっきり言って、ない。それが酒飲みというもの。飲んだ私が悪いのか、飲まれた酒が悪いのか。明らかに前者である。

 あれ?暗いぞ。なんか暗いぞ。ジメジメした話になってしまった。明るくいきましょう。


  熱燗や二時間前は阿弥陀堂  鈴木鷹夫


 「二時間前は阿弥陀堂」。では、今は?熱燗囲んで、みんなでわいわい。不遜にも仏像で飲酒。けしからん。でも、案外あることではないだろうか。或る神社での話。拝殿で氏子総代数人と話し合っていた。宵祭の後のこと。宮司と総代が来年度のことを話している。ふとそこへ若者が熱燗片手にやってきた。「かたい話はここまで」ということで、あとは全員、顔が真っ赤になるまで呑んだ。地元の人たちが集まれば酒はつきもの。あくまでも親睦である。楽しい酒ならば神仏もお許しくださる、とはいかないか。ごめんなさい。神様仏様。


  北京より戻りてすぐに燗熱く  岸本尚毅


 出張だろうか。冬の北京。よほど寒かったのだろう。そして異国にて母国が恋しくなったのか。日本に戻るや否や熱燗。沸くほどではないしても、熱く熱く。「アチチ」などと言いながらクイと。熱さが体も心もあたためる。やはり最初の一口が大切だ。


  熱燗のまづ一杯をこゝろみる  久保田万太郎


 何事もまずは最初の一歩から。熱燗もまずは最初の一杯。うん、旨い。熱い酒がまさに五臓六腑に沁みわたり、かたくなった心もほぐしてくれる。ぬくもり。熱燗とは母のような存在である。そして、そうでありつづけてほしい。


  熱燗に心のともる音したり  鈴木鷹夫

(2022年9月2日金曜日編)