2024年6月14日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり9 句集『赫赫(かっかく)』(渡辺誠一郎、2020年、深夜叢書)

東京を丸ごとたたく夕立かな


 俳句表現の醍醐味であるモノの本質を鷲掴みした的確な言葉たちが、どの句にも魂の弦をしっかりと張られている。

 あとがきに「佐藤鬼房生誕百年が過ぎ」とある。

 弱者の視座で戦後を代表する俳人のひとりの佐藤鬼房俳句の魂は、受け継がれ、ここに健在だ。


底冷えや川の匂いの文学部

桜より淋しき息が出てしまう

魂を隠しきれない水着かな


 現代俳句の題材をストレートに感性の瑞々しく俳句に現れること多々あり。

 「文学部」をこのように瑞々しい感性で捉えた俳句を私は、知らない。

 桜を淋しくさせてしまった時代を私たちは、また造り出しているのか。

 水着で隠すはずの身体からは、生命や魂も隠せないほど命が躍動する。


 渡辺誠一郎さんの東日本大震災から九年の歳月は、並々ならぬ言葉との格闘でもあった。


瓦礫失せ一痕として冬の星


 瓦礫が片づけられて整備されても、ひとつの痕跡は心の闇を照らし出す冬の星であり続けるのかもしれない。


狐火もて見るやメルトダウンの闇


 狐火は、東日本大震災で亡くなられた死者への日々追悼の灯火を燈す渡辺さんの意志なのだろう。


原子炉を遮るたとえば白障子


 原発事故の責任や対策を国は、放置し続け、ないがしろにされ続ける。

 死者の尊厳を生き残った渡辺さんたちは、つねに俳人として東日本大震災を詠い続ける。それは、忘却、忘れたくない一心なのかもしれない。


原子炉はキャベツのごとくそこにある


 日常のキャベツと一緒に共存し始めた原子炉とは何だろうか。

 渡辺誠一郎俳句の社会詠の鋭さは、この日本大震災との俳人としての格闘にある。


小雀の一羽加わる濁世かな

国よりも先に生まれし田螺かな

ミサイルの空は窮屈梅筵

はつきりと見えぬものへと捕虫網

軍装を今だに解かぬいぼむしり


 渡辺さんの社会詠は、時代を焙り出す。

 それらは、徹底した真実への眼差し、観察力を日々磨き続ける中から宿る。

 雀たちが光まみれの砂浴び、子雀も一羽加わって混沌としたこの濁世に呑み込まれていく。

 田螺や人間が国境線を張り巡らせる前の地球に抱かれている。

 ミサイルの緊迫感を窮屈とぴりっと批評眼をノアの箱舟みたいに梅筵に添えてみる。

 捕虫網で不確かな時代を捕獲せよ。

 「いぼむしり」は蟷螂の一名で、その容姿に軍装をいまだに解けない人類を顧みる。


妹の鼻が低くて金魚玉

金柑を握りて友を補足せり

姉の住むやさしき町のリラの花


 家族や周囲への温かな眼差しにも顕著に秀句があった。

 妹の鼻の低さを愛らしくユーモラスに。

 金柑を握り友に会いに、捕獲のユーモアもきらりと光る。

 これら渡辺さんの御人柄だろう。姉にも妹にも友にも通呈する愛がある。


ぬばたまの闇包まんと熊の皮

命などみえては困る万愚節

心臓を欲しがる夜の菊人形

隠沼に魂映すなら花のころ

みちのくのどれも舌なき菊人形

百年の鴨居を揺らす昼の蜘蛛

じゃんがらの手足からまる夏柳

栄螺堂闇ごと捩る余寒かな

静止衛星直下熊の子眠るなり


 風土を鷲掴みする表現力に脱帽である。

 熊の皮の存在感。

 4月1日のエイプリルフールの万愚節とて、命など見えては困ると本音がぽろり。

 夜の菊人形の生き生き存在感があるね。

 隠沼とは、草などに覆われて上から見えない沼のことで魂を映し込む開花時期に。

 百年の鴨居を揺らすほどの昼の蜘蛛の堂々としたさま。

 じゃんがらの名作だね。

 栄螺堂の闇を捩じるほどの寒さ。

 小熊さえ衛星から監視せよ。

 どの俳句にも描写力があり、存在感のあるキャラクターが浮き彫りになる。



 下記の共鳴句も頂きます。

 同時代に俳句魂の共振を得られて光栄です。

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。


春暁のますほの小貝賜りぬ

宿縁をたどれば夜の蟬の穴

まつさきにわが眼窩へと秋の風

消えぬなら枯野の沖へ風となり

瞳孔の拡がり見える冬の湖

眼力の一つに春の飛蚊症

心臓に貼りつくことも飛花落花

轟沈を知っているなら水水母

かなぶんに当たれば固き空気かな

木にのぼる猫のしっぽの小春かな

凍滝は全重量でありにけり

鯛焼きのどこかに熱き心の臓

着ぶくれて脳みそ小さくなりいたる

冬深し小さな朱肉見つからぬ

身のどこか置き忘れたる蒲団干す


【初筆】「小熊座」2021年2月号(vol.37)特集 渡辺誠一郎句集『赫赫』「溢れ出る生命賛歌と現代社会詠」(豊里友行)