2024年6月28日金曜日

【急告】竹岡一郎氏の死  筑紫磐井

  WEP及び冊子の「俳句新空間」に協力いただいていた竹岡一郎氏が、6月21日に急逝されたとの知らせを、日頃親交のある加藤知子氏から頂いた。お嬢様からの連絡で、通夜は6/25(火曜)、葬儀は6/26(水曜)に行われたと聞いている。加藤知子氏は21日の午後7時前まで、メールやり取りしていたというのでほんとうに急逝であり、未だに信じられないと言われている。死因は急性大動脈解離のようだ。まだまだいろいろな仕事ができた人であり、心からご冥福を祈りたい。

 竹岡氏は「鷹」同人で、私自身6月29日に「鷹創刊60周年記念祝賀会」があるので久しぶりにお会いできると思っていたが叶わぬこととなって心折れている。

 竹岡氏は昭和38年8月生まれ、平成4年に「鷹」入会、エッセイ賞や新人賞を受賞後、鷹月光集同人となる。第一句集『蜂の巣マシンガン』(23年ふらんす堂)で一躍注目を浴び、その後『ふるさとのはつこひ』(27年ふらんす堂)、『けものの笛』(30年ふらんす堂)を上梓している。平成26年に第34回現代俳句評論賞を「攝津幸彦、その戦争詠の二重性」で受賞した。このいきさつについては『ふるさとのはつこひ』で、攝津幸彦の俳句と出会いについて「『比良坂変』には思い出がある。この年(24年)の1月に、私は初めて攝津幸彦を知ったのだ。《幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦》この句を読んだとき、こんな天才がいたのかと驚愕した。同時代に生きていたにも拘わらず、生前ついに、知ることもまみえることもできなかった悔恨に、私は逆上した。逆上のままに書きつづったのが『比良坂変』である。」と語っている。この逆上を受けて、竹岡氏は「鷹」の俳句時評で攝津幸彦を取り上げ、加筆して現代俳句評論賞の応募に至ったらしい。


 「俳句新空間」との関係では、第6号(2016年夏)以来特別作品(20句)に参加、評論では第18号(2023年処暑)で「『無辺』鑑賞」を執筆している。BLOG「俳句新空間」では、「芸術論の出来?」(2023年7月14日金曜日)、「パンデミック下における筑紫磐井の奇妙な追想」(2023年2月24日金曜日)、「アルゴンたらむと関悦史」(2023年2月3日金曜日)等がある。字数制限のないBLOGの方が竹岡氏の本領を発揮できているようだ。

 しかしそうした記事執筆以上に、竹岡氏は「俳句新空間」自身に関心を持っていただいたようで、個別の意見や批判を私に送っていただいていた。竹岡氏の激しさはこうしたメールでのやりとりによく表れていた。時々そのハイテンションに疲れたこともあったが、逆に「俳句新空間」や私への批判者に我々以上に逆上して激励していただいたこともあり、ありがたい味方であった。いくつかの提案も採用させていただいた。

 竹岡氏から最後に頂いた原稿は『歳旦帖』『春興帖』の投稿であった。紹介しておこう(2024/05/10 金)。BLOGでは7月に紹介する予定であったのだが。


   歳旦帖七句  竹岡一郎

女礼者とアンモナイトを論じ合ふ

人に化け杓子定規の礼者なり

賭博場へ向かふ礼者に嘆息す

寒声や流謫の嘆き高くうねり

欠けざる歯誇りて漁翁ごまめ嚙む

人日や祟る理由もまた恋と

怨霊の行く方を観る七日かな


   春興帖七句  竹岡一郎

一夜官女治水の成りし静けさを

要らぬ子は無けれど一夜官女かな

流木の逞しく立つ俊寛忌

名画座おぼろ十五で死んだはずの僕

死後四十五年の吾がいま花人

来し方を照らすが如き春障子

甘南備の谺まろやか木の根明く


 さて『蜂の巣マシンガン』の小川軽舟氏の序文を読み直してみたら、冒頭に竹岡氏から貰った水晶のことが書かれていた。そういえば私も竹岡氏から水晶を送られたことがある。竹岡氏には親しい人にそうした石を送る趣味があったのかも知れない。ただ、小川氏が送られたのは六面体の一本の結晶だったようで、透明なその姿から小川氏は竹岡俳句について言及している。言ってみれば攝津幸彦を知る以前の端正な姿かも知れない。しかし私が貰ったのは、いくつかの結晶が複合して天を地を、東を西を勝手に向いている。渾沌とした世界だ。これは攝津幸彦を知ったあとの竹岡氏の後半生に近いかも知れない。



【追悼句集のお知らせ】

竹岡一郎氏と縁の深い加藤知子氏から、竹岡一郎追悼句集を、俳句短歌誌「We」18号に掲載したいと申入れをいただきました。志のおありの方はご協力いただければ幸いです。

句数:1~3句

締切:7月10日

宛先:haiku_tanka_we@yahoo.co.jp

※加藤知子氏の近々刊行予定の句集『情死一擲』に竹岡一郎氏が跋文を寄せられています。お読みになりたい方は加藤知子氏にご連絡ください。