2024年6月14日金曜日

【抜粋】〈俳句四季3月号〉俳壇観測254 終刊と新刊と――「青麗」・「あかり」・「いぶき」と「窓」 筑紫磐井

 ●「藍生」の後進雑誌

 黒田杏子の「藍生」が終刊し、1月から二つの後継雑誌が生まれた。高田正子の「青麗」と名取里美の「あかり」である。すでに杏子存命中から、中岡毅雄・今井豊の出していた「いぶき」などもあるが、これらの雑誌が杏子の精神をどう継いでゆくのか興味深い。

 高田は『黒田杏子の俳句』『黒田杏子俳句コレクション1螢』『同2月』(以下続巻予定『同3雛』『同4桜』)と次々杏子関係の著書を刊行しており、杏子精神をまず継承させる主役と言ってよいであろう。その主宰する「青麗」は隔月刊。創刊号は52頁、創刊特別インタビュー、主宰作品、主宰選「青麗」集とその評。さらに「藍生」の伝統を継いでいるのは、会員たちに連載記事を執筆させていることで、「俳句百名山」、「季語と外来植物」、「海の物語」、「お菓子な俳句」等の肩の凝らない読み物を提供している。

 面白かったのは、表紙裏のコラム「高田正子の初学物語」で、自作「凍蝶のはねひからむとしてゐたり」ができた経緯として、句会に出したこの句ははじめは「はねひらかむ」であったのだが、最初の人が誤読してしまい、作者は目から鱗が落ちた思いをしたという。「はねひらかむ」は高田にしてはそれほど目覚ましい表現ではないから、偶然の産物として開眼したというのはわかることだ。そしてそれは誤読の効用としてなくはない話だが、その最初の誤読者が長谷川櫂であったというのが落ちとなっているのだ。

 名取の「あかり」は年2回刊。創刊号は76頁、「創刊に寄せて」を宮坂静生、片山由美子、伊藤玄二郎の文章と真鍋呉夫の書で飾る。「青麗」と違うのは、徹頭徹尾名取里美が全面に出ていることで、主宰作品、主宰選「花あかり集」とその評はもとより、「創刊のことば」、随筆「反戦の俳句」、第1特集〈山口青邨、黒田杏子先生とわたし〉として随想「先生の椅子」、「青邨忌追懐」、書評「黒田杏子『銀河山河』」、さらに第2特集あかり俳句会会員三句集刊行お祝いもそのうちの二冊を名取里美が執筆している。興味深いのは「反戦の俳句」だ。子息がヨーロッパからウクライナを経て帰ってきたが、それを契機にウクライナに関心を持ち、自身反戦の俳句を詠むようになったという。そしてウクライナの地下壕で避難生活をしている女性がSNSで俳句を発表していることを知り、その紹介をするのである。一見しとやかに見える名取だが、東京新聞「平和の俳句」選者を勤めた黒田杏子の継承者らしい文章と行動であった。

 既に創刊してから5年たった中岡・今井の「いぶき」は季刊で、最新号の11月号は92頁、5年もたつと風格が生まれて来る。副編集長の雪花菜は「ゆくゆくは「藍生」に迫るほどの規模や活動ができれば、と思っています」と意気軒高だ。選句欄は中岡の「一碧集」、今井の「齋甕集」であるが、会員は同時に両方に投句できるようであり、面白い仕組みである。特集は、➀「藤岡値衣句集『冬のひかり』を読む」と➁「追悼・黒田杏子」であり、黒田の師系を如実に示している。そういえば、「藍生」は毎号「いぶき」の紹介を連載で行っていた。杏子も後進の行方が気にかかるところがあったのだろう。

(以下略)

 詳しくは〈俳句四季3月号〉参照