2024年1月26日金曜日

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測248 俳句四季創刊四十周年ーー私の見る俳句ジャーナリズム史  筑紫磐井

(今回は遡って248を紹介する)

 「俳句四季」が創刊四十周年を迎えた。七月七日ホテルグランドヒル市ヶ谷で恒例の七夕会が開かれ俳人を集めて祝賀会が開かれた。多くの祝辞や記念講演が行われたが、ここでは「俳句四季」の歴史を振り返ってみたい。ただ、昨年初代社長の松尾正光さんの追悼記事を書いているので一部重複したところがあるのはお許し願いたい。

 「俳句四季」の出版元である東京四季出版は初代社長松尾正光氏によって昭和五四年三月に創業している。松尾社長は若くして武者小路実篤に師事し、それを契機に多くの文化人と知り合い画廊(ギャラリー四季)を始めた。理想主義の人だったのだが、出版業に移った経緯はよく分からない。しばらくは、「四季出版」の名で詩歌・俳句の本を刊行していたようだ。当初は銀座に編集部があった。

 「俳句四季」は昭和五九年一月に創刊している。当時「俳句」(角川書店)「俳句研究」と「俳句とエッセイ」(牧羊社)という総合誌3誌が鼎立していたが、「俳句四季」はここに割って入った形となる。この時本阿弥書店の「俳壇」も創刊(六月)されている。

 「俳句四季」の位置づけを知るためには当時の総合誌を鳥瞰してみることが必要だ。すでに休刊となった雑誌も含めて眺めてみよう。


【現在刊行中の雑誌】

●角川書店「俳句」(昭和二七年創刊)

●東京四季出版「俳句四季」(昭和五九年創刊)

●本阿弥書店「俳壇」(昭和五九年創刊)

●文学の森「俳句界」(平成七年創刊。北溟社が創刊したが、平成一五年文学の森が承継)

●三樹書房「WEP俳句通信」(平成一三年創刊)


【すでに終刊した雑誌】

●「俳句研究」(昭和九年~平成二三年。戦前大手出版社の改造社が創刊した。戦後はいくつかの出版社が引き受け、俳句研究社(高柳重信編集)時代が有名だが、六一年からは角川系の富士見書房の刊行となり終刊した))

●「俳句空間」(昭和六一年~平成五年。「俳句研究」が角川系の富士見書房の刊行となったため創刊された、国鉄共済会系の弘栄堂出版から刊行)

●牧羊社「俳句とエッセイ」(昭和四八年~平成六年)

●朝日新聞社「俳句朝日」(平成七年~平成十年)

●毎日新聞社「俳句アルファ」(平成五年創刊)


 当時現代俳句協会、俳人協会のほかに新たに日本伝統俳句協会も発足し、数的には最盛期を迎えつつあり、多くの総合誌がひしめき合っていたわけである。

 総合誌はーー特に後続雑誌「俳句四季」と「俳壇」は、競い合ってというよりは補完しあってといった方がいいようで、角川「俳句」に対抗しあったというべきだろう。しかし40年たった現在は、両誌は「俳句」に次ぐ老舗となっており、往時茫々という感じがする。

 こうした中で振り返ってみると、創刊当時の「俳句四季」の特色は、「創作・紀行・情報・写真」「目で見る月刊俳句総合誌」をキャッチフレーズにしているように一貫してビジュアルな雑誌であった。これはその前身が画廊を運営した経験のある会社であったことが大きいと思う。例えば貴重な写真を満載した「俳人アルバム」(新潮社の『日本文学アルバム』シリーズをモデルにしたものだという)・「結社アルバム」の連載は現在となってみると、戦後の俳句風景を目の当たりに確認できる貴重な資料となって居る。

 併行して、「短歌四季」を創刊(平成元年。ただし残念ながら一六年に終刊している)、また表紙には浅井慎平氏を七年から起用して現在まで続いている。一三年からは俳句四季大賞を始めている。俳人以外の方々に寄稿を依頼したのも特色であり、印象にあるのは詩人の宗左近氏で、『さあ現代俳句へ』『21世紀の俳句』長期連載を依頼した。宗氏が中句という新しい詩形式を提案したのもこうした理由であろう。

 雑誌を少し離れて出版業として見ると、従来から行っていた単行本の句集に加えて、早くからシリーズを刊行した。「秀逸俳人叢書」「俊英俳句選集」「新鋭句集シリーズ」が初期のもので、特に「新鋭句集シリーズ」は若い世代を中心に構成されており、なかなか登場しがたかった新世代の発掘にも貢献した。「新鋭句集シリーズ」はなかなか洒落た装丁でボリュームのある句集であった。私の第一句集も実はこのシリーズに声をかけられたものであった。

 やがて、東京四季出版独自の大企画が登場する。『処女句集全集』、『処女歌集全集』、『最初の出発』、『現代俳句文学アルバム』、『歳華悠悠』、『現代俳句鑑賞全集』、『21世紀現代短歌選集』、『平成俳人大全書』、『現代一〇〇名句集』と大冊のシリーズが登場する。

 特に現代俳句の資料としては、句集一冊を丸ごと収録した全集は角川書店の『現代俳句大系』以来途絶えていたが、『現代一〇〇名句集』一〇冊を刊行した。この時、村上護、川名大、稲畑廣太郎、小沢克己氏と私が声をかけられ、句集選定や解説までを実施した。『現代俳句大系』がやや偏ったところがある(無季俳句を排除していた)のに対し、一応現代名句集となり得たのではないかと思われる。

 こうした中で、27年ごろから松尾社長が体調不良となり、西井現社長がさまざまな場面で代行することになった。松尾社長も一気に引退したわけではないので、漸進的な交替であった。その意味では、「俳句四季」は急激な変化なく、創刊以来の伝統を維持することが出来たように思う。しばしばほかの雑誌ではトップの交代が、大きな誌面の変化となって現れ、読者を戸惑わせることがあるが、「俳句四季」にはそれはなかった。これは総合誌の役割を果たすうえでも重要なことであったと思う。

 二人の社長の関係した「俳句四季」の企画としては、十四年から始まった「俳壇観測」(246回連載)、二一年から始まった「最近の名句集を探る」(84回連載)がある。