●仲寒蟬と大牧広
「牧」創刊
どの扉開けてもそこが春の牧
師大牧広の「春の海まつすぐ行けば見える筈」を思い出した。海と高原の違いはあるが、視野の先に開けた風景は師弟共通のものなのだ。いや、さらに『全山落葉』全巻を読みながら師系というものをつくづく感じたのである。それは作品が大牧広に似ているというわけではなく、大牧広の持っていた雰囲気が立ち上っているということである。
実は毎月いただく「牧」誌の中で、真っ先に食い入るように読んでいるのが小泉瀬衣子氏の「某月某日 大牧広の日記より」である。なぜなら小泉氏が編んでいる大牧広の日記は、まさに私が初学時代をすごした「沖」の風景がそのまま再現されているからだ。当時「沖」では能村登四郎、林翔が指導に臨む句会はやたらに多かった。東京例会、市川例会、千葉例会、京浜句会などである。さすがに怠惰な私でも入会したばかりの頃はほぼ全句会に参加していたので、毎月の土日はほとんど句会で埋まっていた。しかも、多くの有力作家たちは私と同様すべての句会に嬉々として参加していた。大牧広もそんな投句作家の一人であった。こんな濃密な関係であったから、句会参加者たちの心境が厭になるほど共感できるのは大牧日記を読んでもよくわかったからである。そんな中での、大牧広の匂いが、『全山落葉』を読むと感じられたということなのである。
『全山落葉』を読むと、俳句的趣味ではなく、現実趣味となっていることが一つの特徴である。その結果情緒に流されない、論理的・知的なスタイルとなっている。これは大牧広のスタイルの一つであり、よく師系を継いでいる。現代俳句で知的と言えば鷹羽狩行をまず思い出すが、変なたとえだが学校の教科で言えば鷹羽は数学の授業、大牧は社会科の授業を聞いているようだ。論理的・知的と言っても教え方と関心が違うのだ。
普通の作家のなかなか使わない言葉、そのための目新しい素材が豊富にある。これは俳句に新しさを導入してくれる一つの方法である。仲寒蟬は正しく大牧広の系譜を継ぐものであるのだ。