2024年1月26日金曜日

第41回皐月句会(9月)

投句〆切9/11 (月) 

選句〆切9/21 (木) 


(5点句以上)

7点句

嵯峨本を繙いて是銀河なり(佐藤りえ

【評】 豪商角倉素庵が京都の嵯峨において出版されたとされる嵯峨本。これを繙いた時、正に銀河を感覚した。嵯峨本と銀河の配合美。なりと断定している。そこに共鳴出来なければ、それまで。──山本敏倖

【評】 接続助詞「て」に続けて、是銀河なりの説明的句展開には?本阿弥光悦から不定理な宇宙への幻景は嫌いじゃない!愉しめる。──夏木久

【評】 嵯峨本は本阿弥光悦の刊行した活字本。博物館に置いてある稀覯本であるからそれを身近で繙くことなどありそうもない。空想で飛んで、江戸時代初期の庵にでも棲んでいる気分なのだろうか。折口信夫は「隠者文学」と呼んだが、そんな風景。──筑紫磐井


6点句

石ごとに丸みのちがふ水の秋(依光正樹)

【評】 当り前と言われればそうなんだが石と水の取合せに納得。──仲寒蟬


落蟬のやや傾きて地に刺さる(渡部有紀子)

【評】 土の面に落蝉が刺さっている。それだけでもリアルから不思議な空気感が醸し出される。それがやや傾くというのである。思わずしてこんな形となった蝉の最後。それを見守る作者は何を思ったのだろう。──辻村麻乃

【評】 刺さるほど固さはあるだろうか、とも思いつつ、即物的なところを買います。──佐藤りえ


嚙み合はぬ話も阿吽新走(松代忠博)

【評】 二人(いや三人か)とも新酒に酔っているのだが、そこはそれ阿吽の呼吸で噛み合わないようでも話は流れていく。──仲寒蟬


5点句

うすあじのとうがんながらすてぜりふ(妹尾健太郎)

【評】「すてぜりふ」をいって帰ったその表現は、「うすあじのとうがん」みたいな淡い柔らかなもので、にわかにそうとわかるものではなかった、という意味なのだ。この「すてぜりふ」もこのていどのもんで言わせてもらいまっさ、ということらしいが、それがそうだと、じっくり味が分かってくるのはそのあとしばらくしてから。この言い方もなかなか、にくい。冬瓜をこういうふうに炊ける人は料理の名人である。ワルクチにしても、上等の味のあるものだったろう。──堀本吟


秋の潮濁すはじめの杭打たれる(小林かんな)


8月の8をひねって0にする(望月士郎)

【評】 こう言われると確かに…。8月は背負い過ぎているから、いっそ0にしてあげたい気もする。特に今年は長く暑いし。──小沢麻結


風のやうにその人逝きし糸瓜棚(岸本尚毅)

【評】 風のように逝った人、風は糸瓜を揺らして過ぎるのだろうか。正岡子規もそうかもしれない。──仲寒蟬

【評】 「糸瓜棚」の下五で読み手は「その人」が子規の事だと思う(もちろん子規でなくてもいい、という余白も残しながら)。すると「風のやうに」が俄然生きてくる。もし「その人」の代わりに子規と入れてしまったら台無しになるところ、一句の中に固有名詞を敢えて使わずに読み手を信じているところがとてもいいと思った。──依光陽子


花野にて花野いづこと問はれけり(仲寒蟬)

【評】 すっとぼけ俳句という範疇が存在するように思いますがこれはそれに属するものにて、爽やかな味のするトボケだと印象します。──平野山斗士


(選評若干)

火祭の杜行く巫女の朱の袴 2点 小沢麻結

【評】 巫女の神格化が美しい──依光正樹


樹を吸うて櫛比の菌ましろなる 4点 平野山斗士

【評】 真っ白な櫛比の茸と言われて景が浮かんできますね。──仲寒蟬


暗黒を引きずってゆく秋の蛇 2点 中村猛虎

【評】 ああ、如何にも秋の蛇です。──仲寒蟬


波音のする人美術展覧会 3点 依光陽

【評】 〈波音のする人〉は感覚的な表現なのだと思います。実際には、呼吸や衣擦れの音なのかもしれません。あるいは、潮の匂いのする人だったのでしょう。──篠崎央子


触診は銀の芒を鏡にす 3点 山本敏倖

【評】 下五は「模範にする」という意味だが、だからと言って実物の鏡を一切思い浮かべずに読むには無理もある。シルバーグレーの医師を写す鏡を。──妹尾健太郎