2025年10月10日金曜日

英国Haiku便り[in Japan](56)  小野裕三

米国から届いた精鋭アンソロジー

 haikuを通じて知り合ったアメリカ人女性から、一冊の合同句集が届いた。『A New Resonance』という書名で、二十四年前に始まり、巻数を重ねて今号が十三巻目。以前のエッセイで紹介した『英語俳句〜最初の百年』の編者でもあり、英語haikuの唱導者としては第一人者と言える、ジム・ケイシアンが編者を務める句集で、かなり質の高い一冊と感じた。彼の序文にある一節が示唆的だ。

「(この句集には)道理を超え、私たちが既知と思うことに疑問を投げかけ、私たちを別世界へと誘い、感性を変え、狼狽すらさせる、そんな詩がある。革新と伝統の双方にとって場所があることが、詩の集団としての私たちの自負だ」

 ここに指摘のあるように、革新から伝統まで、広い振れ幅の中に優れたhaikuが並ぶさまは壮観で、その許容度は日本の現在の俳句界よりも広いように思うし、それが英語haikuの特徴でもある。


 painting the sea

 she lets the water do

 what water does    Mimi Ahern

海を描く / 水がすることを / 彼女は水にさせてやる


 insomnia

 Jupiter has changed

 windows     Agnes Eva Savich

不眠症 / 木星は変えてしまった / 窓を


 doorknob

 turning

 the world       Pippa Phillips

ドアノブ / 世界を / 回転させる


 これらの句は無季ではあるが、ある意味で大きな自然や世界という存在に真摯に向き合った句であり、かつ極めて現代的な感覚が研ぎ澄まされている。


 on a bus into the mist an idea and us

          John Rowlands

霧へと進むバス 観念と私たち


 forest fire —

 believing I’ll be

 reborn        Cyndi Lloyd

森の火事 / 私は転生する / そう信じて


 これらは有季だが、日本の俳句的情緒とは異なる感覚があり、しかしそれゆえに卓越する。そんな一方で、落ち着いた客観写生の句もこの句集には見られ、時には同じ作者でもそれが同居する。

 果たしてアメリカ人の俳人は、伝統と革新ということをどう思うのか? 知人の一人にメールで訊ねた。難しい質問ね、ちょっと回答に時間をちょうだい、と言いつつ、彼女はこんな逸話を引用した。ある時haikuの先輩に、haikuに必要な条件は何かを訊ねた。彼は答えた。

「書いた人がhaikuと呼べば、haikuさ」

 そんな奔放さは、アメリカ人らしい自由さゆえか、日本語のしがらみに囚われない英語haikuゆえか。とにかくこの句集の輝きは少しばかり羨ましかった。

(『海原』2024年7-8月号より転載)