2014年4月25日金曜日

「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」⑪ / 筑紫磐井


⑪美意識をたずねて

54年5月号「青年作家特集」の後半を見よう。さっそく正木ゆう子、そして私の作品を眺めてみる。

     絵の中 
         東京都 正木ゆう子 
絵の中のむらさき醒めて雛の夜 
思ひきりカーテンを引くリラの花 
春疾風言はぬ言葉がふえてゆく 
加速して電車澄みゆく陽の辛夷 
胸中の海をたやすく蝶越ゆる 
なにげなく水仙が向いてゐる扉 
起きぬけの白きジャスミン転機来ず 
高層は霞みて沈む鳩の声 
乱雑な夜のテーブル黄水仙 
芽柳や街は濁りしまま暮れて

昭和二十七年六月二二日生
     想夫恋 
     東京都 筑紫磐井 
きさらぎの火のとほりゆく氷下魚かな 
雪の若狭路描線あらく画かれをり 
密猟の視点ただよふ雪の原 
遁走の雪に日輪よみがへる 
紺碧の空に貼りつき枯葉の罪 
一月の氷に消ゆる鯉の息 
駅しばしFuga(フーガ)の如く枯葉舞ふ 
いつときは花をちからの想夫恋 
花冷やひそかに兆す歯の痛み 
春愁の手ざはり木綿(コトン)の小詩集 
昭和二十五年一月一四日生

今回の批評は青柳志解樹が行っている。青柳はその年の1月に創刊した「山暦」の主宰で、当時50歳であった。若い世代に共感があると思われていた。

正木ゆう子「絵の中」 
絵の中のむらさき醒めて雛の夜 
思ひきりカーテンを引くリラの花 
乱雑な夜のテーブル黄水仙

一句目、雛の句は随分と多いが、この句は角度がユニークで、把握もしっかりしている。二句目、カーテンを引く動作と、リラの花との対応の構図は新鮮。三句目も同様で、黄水仙がアップされ、乱雑な構図が逆に色彩をひときわ鮮やかにしている。<芽柳や街は濁りしまま暮れて>も、いわば斜視的な捉えかたの句だが、この作者の個性につながるものであろう。<加速して電車澄みゆく陽の辛夷>の「電車澄みゆく」は安易。<なにげなく水仙が向いてゐる扉>は、無造作すぎて感心しない。
 

筑紫磐井「想夫恋」 
 いつときは花をちからの想夫恋 
発表の十句の中で、この句は群を抜いている。賞めたついでに言えば、いままで見てきた中でも第一等のものだと思う。「想夫恋」とは雅楽の曲名。平調の唐楽。舞を伴わない。と辞書にある。桜咲き、桜散る中で、みやびな曲が流れる。永遠の美の世界が鮮明にイメージされる。最早、説明の要もあるまい。水準の句が多いことより、優れた一句のほうが意味が大きいのである。それはさておき、<密猟の視点ただよふ雪の原><一月の氷に消ゆる鯉の息>も悪くないが、<雪の若狭路描線あらく画かれをり>は報告的。<駅しばしFuga(フーガ)の如く枯葉舞ふ>こういう外国語を安易に挿んだ句を、私は好まない。


懇切丁寧な批評は従来の批評の中でも群を抜いていると思う。登四郎としては安心したのではないか。

ただ、冒頭の登四郎の文章(前回参照)と比較して見ると、やはり少し乖離があるようだ。両名とも、登四郎が推奨した都会的な俳句、少なくとも、上谷や大橋が示した俳句とは大きく違っている。別の美意識に従っているというべきだろう、いや都会的な俳句が美意識を無視していたのに対し、美意識を最優先していたというべきであろうか。

おそらく能村登四郎の影響を受け(登四郎は、あのような文章を書きながら美意識の人であった)、登四郎の影響を受けて作られたこれらの作品の影響を受けて各自の作品が形成されたのである。当時にあっては、結社とはそういうものであった。







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