2014年4月4日金曜日

【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その九~  / 網野月を





朝日俳壇(2014年3月31日朝日新聞)から


◆野薊や永遠に骨無き墓のあり (横浜市)吉井信



大串章の選である。上五にある「野薊や」の季語の斡旋が秀逸である。戦後六十九年を迎えようとする今夏であるが、未だに墓標だけの墓があるのだ。いかも未だにが「永遠に」の確信に近づきつつある。そして同時にこれまでの諦念から今現在の達観になりつつある。「骨無き」かも知れないが、この墓は間違いなくその故人の墓なのである、という達観である。以上のように筆者は考える。この墓へ祈ることが地球上の何処かにいるであろう故人の冥福を祈ることに繋がるということだ。「野薊」がこの思いを担保している。「野薊」は美しい象徴として取り上げているのではない。優しさの象徴として上五に置かれている。長年の苦辛の末にたどり着いた作者本人の優しさであろう。遣り切れなさと怒り、喪失感を乗り越えたところにある極めて静的な心の在り様を「野薊や」が語り尽くして余りある。



同じく大串章の選で、



◆三姉妹みな母となり雛飾る (姫路市)中西あい



がある。作者は三姉妹の母親であろうか?日常の中に人の営みの深さと循環性を詠み込んだ句意である。「三姉妹」「みな」「母」はすべて同じ個体の合同体(三人)である。上五の「三姉妹」と中七の「母」は補語の関係だ。それらが主語となって、雛を飾っている。解り易い句意であり、しかも平然と言ってのけているところに実は人生の時間の長さを表している。微笑ましい景であるだけでなく、何となく安堵感を与えてくれる句である。




【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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