2013年2月15日金曜日

永田耕衣の句【テーマ:二】/池田瑠那

薄氷啖う一翁二翁に分解す

薄氷――、液体としての水と、固体としての氷、その丁度あわいにあるもの。季語として見てみても、連俳時代には冬季、近代以降は春季のものとされている。いかにも冬と春のあわいの、何とも名付け難い季節に属するものである。

古来そうした何かと何かのあわいには詩神や魔神が潜みやすいのだが、掲句の薄氷も、それを食べた翁が二人に分解されてしまったというのだから只ものではない。「翁」と言えば、能の世界では単なる老人ではなく神の使いと言われる存在。また、演目としての「翁」は殊更神聖なものとされ、新年に天下泰平、五穀豊穣を祈って演じられる。この能の「翁」の文脈で読むならばそうした翁が二人になったと言うのはいよいよめでたい状態であり、冬から春への自然界の巡りを寿ぐような句と読める。

しかし一方で「啖う」の語の持つ形振り構わぬ印象、下五「分解す」の語感の硬さは読者に微かな不安を喚起する。この翁は神の使いではなく、矢張り俗世を生きる生身の人間なのではないか。二翁は一人の人間の善悪二面、或いは自我と無意識が具体的な形を取ったもの――そのようにも読めて来るのである。水は水、氷は氷、冬は冬、春は春。そう決め付けて私たちは安心しているが、現実には、簡単に分節しがたい、何とも模糊たるモノたちが溢れている。水と氷、冬と春のあわいに属する薄氷には、そうした模糊たるモノたちの念が宿り、妖しくも儚げな光を放っているのではないか。

善は善、悪は悪、我は我……、本当にそう言い切れるのか。私も薄氷を、貪り食ってみようか、という心がきざす。二人に分解されて戻れなくなってしまっては、さすがに困るのだが。(昭和56年『殺祖』)

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