2025年12月26日金曜日

【連載】現代評論研究:第20回(戦後俳句史を読む)「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会⑦(仲寒蝉編集)

投稿日:2011年12月23日 


7.職業・仕事と遷子について。

 筑紫はまず教師、政治家、医師、灯台守などの職業は単なる生活費を得るための活動ではなく、〈倫理が先に存在し、社会がその種の職業人に敬意を持って処遇する〉ものであることを指摘。「恩給」という言葉を〈官吏は国家のために身命を賭して働くからその老後の蓄財もないわけで、そうした国家への忠誠に対して御恩として給付される〉と解説、公務を行う者には労働の対価としての給与(給料)は存在せず、〈高邁な無償のサービスに対して生命を維持するために国家から給されるもの(俸給)であった〉という昔の考え方と〈極めて合理的な労働原理の中間に遷子や同世代の人々が存在したことを忘れてはならない〉と述べる。


 原はもし遷子が地方の開業医でなく研究者の道に進んでいたら人間的な幅はかなり狭められていたと指摘し、地域医療従事者としての生活が否応なく他者との関わりをもたらし、遷子の意識に影響を及ぼしたと言う。このことは孤独が深まるということも含め〈人間を詠むと言う短絡的なことではなく、自然に対する態度にも反映されたのではない〉かと述べる。


 中西は馬酔木の職業俳句の特集に医師俳句が並んでいる中で遷子の句を見てバッハを思い出したと言う。〈同じ時代の作曲家の作品と一緒に演奏されると、バッハの曲がとてもチャーミングだった。これと同じで、医師本人のことばかりを詠っている医師俳句の中にあって、遷子の句が、患者との対応を詠い真に迫っていると思った〉と。遷子の医師俳句は〈時に厳しい見方も随所にあるが、患者の農民の様子を描いたからこそ〉登場する医師もとても生き生きと見える。〈患者との対人関係を描くことによって医師俳句が立体的に見えた〉と言う。


 深谷は〈遷子が地域医療の最前線に立って患者やその家族と接してきたことを抜きに、遷子俳句は語れない〉と述べ〈何よりも生と死のせめぎあいの切迫感を読む者に伝えてくれる〉と言う。その一方で〈東京の大学などに籍を置き、最先端医療の研究に従事したかったという思いは後年まで抱え続けていた〉のではないかと推測する。


 仲は職業や患者に対する遷子の態度、信条を次の5点にまとめた。


1)生真面目。俳句を読んでも「滑稽」や「笑い」からは程遠い。ペットや盆栽にも興味なく、仕事と俳句にひたすら打ち込む真面目人間。

2)優しさ、温かさ。遷子は手遅れの患者を叱ったり風邪の患者に金を払えば即他人と言ったりもしたが、根は患者思いの医師であった。彼が患者に優しかったのは自分自身や家族が病弱であったことと無関係ではなかろう。

3)人間嫌い。患者や人間が嫌いだったのではなく世俗の人間関係が鬱陶しかったのだろう。

4)正義感。常に弱者の立場に立とうとする姿勢。

<5)潔癖。生真面目と通じるが媚びる自分を許せないようなところがある。