2025年12月26日金曜日

【新連載】名俳句鑑賞へのラブレター『細谷源二の百句 北方俳句への軌跡』(五十嵐秀彦・著、2025年刊、ふらんす堂) 豊里友行

【編集人加筆】

 豊里さんは精力的に「豊里友行の俳句集の花めぐり」を連載して頂いているが、これは豊里さんの名句集鑑賞。いろいろアイデアがたぎっているようで、今回は名句集鑑賞を鑑賞する企画を送って頂いた。「花めぐり」の中で続けるのは少し性格が違うので、新しいシリーズとして立ててみた。常識的な枠組みの中で営々と続けるのもいいが、独創的な枠組みを作り出していただくのもBLOGの効用だ。ご提案頂けると嬉しい。(筑紫磐井)

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  今年2025年は敗戦80年目(「戦後80年目」)の節目の年ですね。さまざまな俳句鑑賞や批評、俳句議論も熱く語られたことでしょう。さてっ。俳句の多様性は、どのように次世代へ継承されてきたのだろうか。この名俳句鑑賞へのラブレターは、次世代の末席に座るひとりとして私なりのこれまでの俳句史の中の名俳句鑑賞を少しでも御紹介できたらというひとつの試みであり、俳句鑑賞の座の分野を私なりに継承していきたい。

 ふらんす堂の“百句シリーズ”は、良い仕事だな~と思いつつも今回の『細谷源二の百句 北方俳句への軌跡』(五十嵐秀彦・著、2025年11月刊、ふらんす堂)は、俳句史に疎い私にとって北方俳句の発掘に瞠目せざるを得なかった。

 この『細谷源二の百句』もそうだが、五十嵐秀彦氏の選句眼が見出した名句たちが、その俳人の風貌を時代の闇に埋もれさせることなく照射し浮き彫りにしながら見出されている。

 私の不勉強のため知らなかった俳人の存在について本シリーズの意義を考えさせられた。今後も「名俳句鑑賞へのラブレター」として優れた俳句鑑賞をチョイスしてラブレターのように勉強させていただきたい。

 先ずは、本著の巻末に掲載されている細谷源二論「細谷源二 —新興俳句から北方俳句への軌跡」から細谷源二とは、何者なのかを引用したい。

 細谷源二の名は、新興俳句弾圧事件の犠牲者として俳句史に刻まれている。俳誌「広場」の中心的作家であった源二は、昭和一五年に関西から始まった新興俳句弾圧事件が東京に及んだ昭和一六年に逮捕され、二年半の獄中生活を強いられた。弾圧事件に関する研究の中で、東京三(戦後の秋元不死男)、橋本夢道らとならび、源二の名も長期拘留者として挙げられている。しかし俳句史の中で彼の名を見るのはそこまでかもしれない。 (抜粋と省略) ところが細谷源二の作品を通して読んでいると、彼が独自の光を放ったのは北海道に渡ってからのことだった。中央から遠く離れ、またかつての俳友との交流も自分からはあまり求めなかったが、戦後の北海道でひとり新興俳句をどう発展させるかを課題として奮闘を続けた人であった。

 では五十嵐秀彦氏の俳句鑑賞を抜粋して紹介したい。くどいですが、五十嵐秀彦の選句眼が、細谷源二俳句を際立たせながら見出していることを特筆しておく。


兵器庁門前の坂まちへ墜つ

 現代を象徴するモチーフを探し、それを描写する模索の句だ。昭和一一年、青年将校によるクーデターの二・二六事件が起きたのを契機に軍部の発言力が高まり、ついに一二年日中戦争が始まる。そんな時代の影を「兵器庁門前の坂」として描いた。まちに墜ちるとしたところに戦時体制が庶民に影を落としていることを感じる。


鉄工葬おわり真赤な鉄うてり

 句集『鉄』を代表する句。そして新興俳句時代の源二の代表句であり、新興俳句そのものの代表句とも言える作品だ。「鉄工葬」というのは造語である。労災死した仲間のために組合で葬儀を出したのだろう。それを「鉄工葬」として置いたとき、そこに季語は必要なかった。花鳥諷詠から脱却した俳句というものを、理屈ではなく生なましい作品で示して見せた。工員仲間の葬儀の後は静かな追悼ではなく、労働者の人生を象徴する赤く燃えた「鉄」を打つという行為。労働者の生の象徴であると同時に、怒りの儀式だ。


英霊をかざりぺたんと坐る寡婦

 新興俳句時代の源二俳句の代表句のひとつ。戦争で死んだ夫の遺骨が帰ってきた。その変わり果てた姿を英霊という美名のもとにかざらねばならない妻。英霊という言葉ではなにひとつ救われない。虚脱と絶望。放心し畳の上にぺたんと座るその姿を描くことが、彼の精一杯の反戦であった。


地の涯に倖せありと来しが雪

 第三句集『砂金帯』の句であり、よく知られた源二の代表句だ。この句が、新興俳句俳人であった細谷源二が北海道で生まれ変わるきっかけとなった。『鉄』『塵中』の先立つ二作に躍動していた工場労働者の俳句からの決別と再出発の象徴的な作品となる。昭和二〇年三月の東京大空襲で焼け出され途方に暮れていた源二一家が見た、目黒署の開拓団募集の立て看板。「父ちゃん行こうよ」という妻の声。家族七名で見たこともない北海道に渡り、与えられた土地を見た時の絶望。その一連の時間と感情のすべてがこの一句に凝縮された。


僕を解剖せよ冬虹もきっと出てくる

 「僕を解剖せよ」という激しい呼びかけは、自分自身の内側を深く見つめることで本質を暴き出し、何か確かまものを摑もうとしている。その果てに浮かび上がるのが「冬虹」というイメージだ。ここで「虹」が単なる美しい自然現象ではなく、冬の寒さの中に現れる存在であることが重要。それは源二が見つめた人生の本質ともつながる。

 『細谷源二の百句』の選句眼で見出された北方俳句と細谷源二論「細谷源二 —新興俳句から北方俳句への軌跡」を合わせて読むことで立ち現れた俳人・細谷源二の俳句に私は、姿勢を正す思いがした。