2025年12月26日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり41 句集『はばたき』  豊里友行

  句集『はばたき』(仙田洋子、2019年刊、角川書店)の共鳴句の(目印に)付箋紙が沢山貼られているので私の蔵書の森で眼に止まったので再読している。

冬銀河かくもしづかに子の宿る

百年は生きよみどりご春の月

 仙田洋子俳句の子への眼差しが私は好きだ。

 私もいつかこんな子への眼差しで俳句を創れたらと思いつつもこのような名作の実感を持って作品創造することは、もう私には出来ないのかもしれないと不安が過るのを掻き消すように今の私は、途方に暮れる。私は、俳句と写真の道にまっしぐらに突き進む。私の場合、写真家というのは、職業というよりも生き様という心境で写真作品を創造するために人生を惜しみなく注ぎ込んできた。沖縄の不条理に鼈(スッポン)のように喰らい付いてきたつもりだが、己の人生を振り返るとこのくらいで自分自身が幸せに生きることも大切にすべきだと考えがおよぶ。私を尊べないで誰もが本当のより良く生きる道が、導き出せるだろうか。それは、オセロのように沖縄での私の逆境をひっくり返せるほど写真家ひとりの力を過信できない。私の写真家としての軌道修正は、だいぶ長い月日を費やす。とはいえ私にとって俳句と写真は、より良く生きる糧だ。そこから私なりの沖縄からより良く生きる道を切り拓きたい。

 だいぶ私の自戒が前置きとしては脱線気味に長くなりましたが、仙田洋子俳句の子への眼差しは、この「百年は生きよ」と我が子へ願う命の俳句は、人間の根源的な尊厳の輝きを成している。学ぶ点の多い人生の先輩俳人のひとりから私なりの人生の軌道修正を奏功させたい。

さびしさを知り初めし子も手毬つく

マフラーを殺むるごとく巻いてやる

朴落葉どの子の顔を隠さうか

草餅をけんくわの子らに一つづつ

わが腕を逃れ少年泳ぎけり

凱旋のごとく水着を干しにけり

子供らとしやがんで蟻の国に入る

 親と子の絆(きずな)は、私には想像の域を出ません。だけれども母から観て淋しさを知り始めている子の手毬は、どのように鳴り響いていたのだろう。冒頭で紹介した「冬銀河かくもしづかに子の宿る」「百年は生きよみどりご春の月」など連続テレビのような仙田洋子俳句の物語だ。

 マフラーで殺すことはないにしろ愛情いっぱいにぎゅっと巻く。

 子どもたちを平等に見つつも朴落葉で我が子の顔を隠してみたいし、草餅を喧嘩した子に一つ一つあげながら我が子とも仲良くしてねと願う。

 母の腕を離れて泳げる少年の巣立ちもちょっとさみしくもある。

 その少年の成長は、凱旋の水着を干すようでもある。

 子どもらとしゃがんで蟻の目線に入るくらいの蟻の国を眺める時間が愛おしい。


 「こぼれ落ちさうにふらここ漕ぐ子かな」「木登りの子らつぎつぎと夏を告ぐ」「小さき子の手を引いていく秋しぐれ」「茎立や子らも背伸びをしてゐたる」「初夢の中までついて来し子かな」「自転車をどつと投げ出し黄水仙」「たんぽぽを摘みためて母訪ねけり」「子の沈みそうな夏野や子の手引く」「ラケットを振りて夏雲湧きたたす」「子と走り出せば光りぬ雲の峰」「子供らのまだ跳ねてゐる秋の暮」「雀の子一直線に跳ねて来ぬ」「うすものやくるみ殺すといふことも」「くすぐつてあやしてからすうりの花」「夏雲やみんなで腹筋して帰る」「抱擁を蛇に見られてゐはせぬか」「叱りてもついて来るなり蟇」「香水の減るよりも疾く子の育ち」「流木を重ねて夏の砦とす」「船虫を取り放題と言はれても」「さみしげな子にくれてやる梅もどき」など仙田洋子さんのかけ替えのない仙田洋子俳句日記には、輝ける俳句たちが、俳句にたずさわっていたからこそ人生の形に鮮やかに記憶される。

そのあとは煮込んでしまふ茄子の馬

 もちろん俳人・仙田洋子さんといえば、家族俳句以外にも名句は多い。

 「茄子の馬」の季語は、祖先の霊がこの馬に乗って訪れ、また帰るとされる。茄子や瓜を使って作られたこれらの精霊馬は、先祖を敬う気持ちを表現する重要な文化的象徴でもある。・・・・そのあとは、煮込んで食べる辺りも第一線の女流俳人といいたいが、男性も料理はしないとね。見習いたい。あやかりたい。

母の日の母デパートに溢れをり

 母の日の母がデパートに溢れているという現代社会をユーモラスに斬新にでも心温まる俳句作品にする。このような名句も見逃せない。


 その他の共鳴句も下記にいただきます。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

豆撒の父の白髪かがやけり

恋猫にシャネルの五番かけてやる

鷹鳩と化して大いに恋をせよ

鍵盤を踏んで仔猫の来たりけり

色を問ふ暇なかりしよ蝶二つ

火のつきしごとくに蝶や山開

のうぜんの一花一花をもてあそぶ

大空に紺を加へし帰燕かな

真葛原ひとめぐりして恋さます

瀧凍てて亡骸のごとありにけり

父母の老いては鴨のごと歩む

雛の目のだんだん怖くなつてきぬ

鳥雲に母おとろふるはやさかな

やはらかく書くよくさもちさくらもち

獅子頭振りて山河を呼び覚ます

手毬つくだんだんはやくおそろしく

恋せよと恋せよと芥子そよぎけり

大干潟まぶたのごとく灼かれをり

白鷺が花瓶のやうに立つてゐる

鴨の子の機械仕掛けのごと潜る

ビーチパラソル開いて海をよろこばす

墓洗ふあたま洗つてあげるやうに

焼芋のやうな熱さでお慕ひす

蟇穴を出て笑はれてゐたりけり

春の月ビオラかかへてゆく夫よ

幼年やうつとりと蟻おぼれさせ

出目金と秋のあはれを分かちあふ

はなむけに風船葛でもくれよ

鰯雲恋告げられてひろがりぬ

鷹のまだあどけなき貌してゐたる

切山椒無口になりし子とつまむ

少女らにもてあそばれて白兎

慰むるためにたんぽぽ摘んでゐる

柚子のみなしづかにまはる柚子湯かな

声変りせし子と食へり牡丹鍋

あちこちに産卵されて山笑ふ

木の芽風われも芽吹いていくことよ

黒揚羽迅し思春期始まれり

未来すぐ来るよ七五三の子よ

はばたきに耳すましゐる冬至かな

まわり道して蠟梅のそばにゐる

毛糸編むさびしさ編んでゆくやうに

鳥交る天神さまをはばからず

スニーカーてんでんばらばらに脱いで春

好きなだけ蝶々とまれ花衣

父の日の父よ黙つて飯を食ふ


【参考資料】

「俳句αあるふぁ」2016‐17年12‐1月号の特集「仙田洋子の世界 自選二百句」