2025年12月12日金曜日

【新連載】新現代評論研究(第16回)各論:村山恭子・佐藤りえ

 ★―7:藤木清子を読む7 /村山 恭子


7 昭和11年 ②

    幼き姪を詠める             旗艦14号・2月

クリスマスの夜のいとけなきピアニスト

 聖なる〈クリスマスの夜〉に、あどけないピアニストが曲を奏でている。十二月二十五日はキリストの誕生日。教会や家庭では聖樹を飾り祝います。つたない演奏でも幼子がいる情景は微笑ましく、心の温まる豊かな夜を過ごしています。

  季語=クリスマス(冬)


北風つのりビル吹きおろす垂直に       旗艦15号・3月

北風つのり巨き資本の息荒く         同

北風つのり巨き資本の煙真黒         同

 〈北風〉は「きた」か「きたかぜ」か。「きたつのり」の定型がすっと心になじみ、切れがあります。また動きが出で、速い風の様子がよくわかります。〈つのり〉はますますはげしく、ひどくなること。上五を同じとする三句の一句目は写生句で標準的な作句です。二句目、三句目はビルから〈巨き資本〉へと展開しています。〈息荒く〉の擬人化、〈煙真黒〉の写生、〈資本〉の「乱暴さ、どす黒さ」を表現し、思考しています。

   季語=北風(冬)


北風落ちて人と自動車と舗道に置く      同

 「きたおちて」が句に軽い切れができています。〈人〉と〈自動車〉と〈舗道〉の間を〈北風〉が吹き荒れます。

季語=北風(冬)


暖爐耀りダイヤの稜に星棲める        同、天の川3月

 〈耀り〉は「てり」と読み、暖爐が光り輝いています。ダイヤのカッティングの角に星が棲んでいると叙情ゆたかに詠んでいます。火を焚いて暖められた部屋は心情も表し、ダイヤを眺めている姿は幸せそのものです。

   季語=暖爐(冬)


皮膚(はだ)まぶしダイヤの稜の光釯に        京大俳句3月 

 〈光釯〉は光のすじ。ダイヤの稜線には光のすじができ、そのダイヤを付けた皮膚(はだ)はまぶしく輝いています。性的な想像をもたらす「肌」を用いないのは、作者の意図でしょう。

 季語=無季


ダイヤ耀り深空のそこひ星湧けり       同

 〈深空〉は「みそら」。〈そこひ〉は「底ひ」で、極まる所、奥底を意味します。 ダイヤが光輝き、澄んだ大気の広々とした空の底に星が湧いていますと、この世界の写生でありながら、心情も重ねています。

   季語=無季


北風落ちて丘秀麗に昏れてゐる        同

 北風「きた」が吹き荒れ、丘が大層美しく日が昏れています。極限の美しさを表しています。

 季語=北風(冬)



★ー5:清水径子の句/佐藤りえ

 油虫この世のくらき隅に倦く(「寒凪」昭和46年)

引き続き「鶸」より。径子の句には句集題でもある鳥が多く詠まれているが、虫もめっぽう多く登場する。「鶸」に現れる虫の種類はざっとこんな感じ。

虫・地虫・揚羽・螢・蟬・かなかな・蚊・蜂・蜘蛛・鈴虫・舟虫・みの虫・綿虫・蝶(紋白蝶)・蟻・虻・蟋蟀・空蝉・鉦叩・雪虫・蠅・蟷螂・油虫

 みの虫に一日咳の出る日かな(「火の色」昭和42年)
 棺に蓋すれば紋白蝶が翔つ(「白扇」昭和45年)

 このうち最も登場回数が多いのは「蚊」の六句、ついで「螢」が五句ある。いずれも身めぐりの虫といっていいラインナップだ。つまり、径子はこれらを凝視しているのだろう。鳥の句が多いのも、好ましく思わないでもなかろうが、それを目にする機会が多いからこそ詠まれている。径子の生活の伴走者であり、ひとりの空間にひそむものたちでもある。地虫、舟虫、虻といった地味な虫を、厖大な句群から句集に残すのは、径子の美意識の現れの一端であろうと思う。径子は「氷海」誌上で鷹羽狩行の作品に対し「綺麗すぎる」などの評を昂然と加え、「氷海集」の前号評では次のように述べることもあった。

 休日や点打つて飛ぶ午の蚤  塩川星嵐

一匹蚤の逃亡を捉えたことによって、休日の所在ない倦怠感を惻々と一句の裏側ににじませている。ユーモアーとは何ともかなしいものであろう。(「前月の氷海集から」清水径子『氷海』昭和33年11-12月号)

 師・不死男にも「子を殴ちしながき一瞬天の蝉」があるが、虫という素材の扱い方にかなり距離があるように見える。径子が詠む虫たちはドラマチックな装いなく、季題として主情に沿って配されているというより、掲句の油虫に至っては擬人的に捉えられ、虫そのものが主役だ。投影と見てもいい、ダウナーな情景が徹底されている。さきの評言「ユーモアーとは何ともかなしいものであろう」といった径子の視点、見方が、「氷海」誌上では長らく異端だった。

 「天狼」の衛星誌として出発した「氷海」は当初より同人に評論の執筆と実作の両輪を不死男が勧め、誓子の研究、社会性俳句、俳句の精神性といった文章を初期同人、小宮山遠、林屋清次郎、酒井徳三郎、菅第六らが発表していくが、女性で俳人論、作品評といったものを書いていくのは径子ほぼ一人であった。径子以外のこれら同人達の論調は素直に師・不死男のトーンを継ぎ、根源俳句解釈のなかでも人間主義を中心にすえた「善人性」が重んじられていく。陰惨な現実も、憂鬱な情実も、そこに立ち止まるのではなく、どこか明るい方へ向かっていくべきであり、作品にもそうしたそぶりが求められているふしがある。

 昭和30年代の「氷海」では年末または年初に同人の自選五句を掲載、そこから感銘句を選び集計するコーナーがあった。主宰の不死男が圧倒的に共鳴を集めるのはともかく、径子の作品に対して票の集まりはかなり少ない。伊藤トキノ、中尾寿美子といった若き後輩たちが登場、生活実感をうたいつつ鮮やかで力強い作品を頻発(伊藤トキノは女性初の「氷海」賞受賞者となる)していく。径子の作風は、この時点では文学趣味的なものと見做されているように見える。

 掲句をもう一度見る。油虫は隅にいる。まあ、そうだろう。「くらき」隅にいる。そこは「この世」の「くらき隅」である。ただならぬ暗き方、どん詰まりにいて、そこに「倦」きているのだという。油虫にすら「もうええわ」と思われてしまう隅、どんだけ暗いんだ。歳時記などで油虫の例句を見ていると、その動きの可笑しさやしとめられた情景を捉えたものが圧倒的に多い。あるいは見て驚く、人間側のあわてふためく描写になっている。


 ごきぶりを打ちわが静脈のみぐるしき 殿村菟絲子
 かくながき飛翔ありしや油虫  山口波津女
 一家族初ごきぶりに動顛す  林翔


「倦く」はあきらかに作者自身の投影だろう。そこにいるのがあたりまえとされる油虫。そんな虫だって、くらき隅に倦んでいるかもしれない。作者はむしろ油虫に共感を覚えているのかもしれない。善人性にあふれた俳句のなかに、ひとりの困難、ひとりの沈鬱な思いを、如何にせん。


 鳴きながら鈴虫がもらはれてゆく(「蓬」昭和47年)

 庭でとらえたものか、買われたものか。鈴虫は鳴く。鳴くゆえにもらわれていく。写生のようでいて、運命そのものを描き取った鮮やかさに彩られているのは、口語の冴えと、その構成による。径子の作品が善人性の枠をすでに超えていくことを、「鶸」の句は予見させている。