2023年11月24日金曜日

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑮ 各章から 大西朋

 渡部有紀子俳句の魅力は何といっても句材の幅広さ、語感の端々から感じることのできる、知性と品性のバランスのよさだろう。そして対象物に迫るひたむきさ、何事も真摯に受け止め、取り組む姿勢は、句会を共にして常々感じ入るところである。芯の通った硬派な一集である。一章から一句ずつ取り上げ鑑賞する。


黒曜石

春霙イエスの若き土不踏

 イエス像に見る風貌は老成し達観しているような面持ちだが、よくよく考えてみれば若いのである。ほっそりとした肢体の先の土不踏。春のまだ寒い日、その土不踏を霙が溶けて滑り落ちていく様は切ない。


神の名

立春大吉ピザを大きく切り分けて

 焼き立てのピザを思う存分食べたい分だけ切り分ける。そしてふと熱々のピザを頬張りながらふと今日は立春だと気づく。日々の中にある幸せが立春を「立春大吉」としたことでより豊かに伝わってくる。


ディアナの弓

移されて金魚吐きたる泡一つ

 水槽を洗うために一時的に金魚をバケツなどに移したのか、もしくは金魚掬いで袋に移されたのか。ともかくその金魚が泡を一つ吐いた。何とも心細さを感じる「泡一つ」。泡は金魚のため息かも知れない。


師のなき椅子

朝焼や桶の底打つ山羊の乳

 朝早くから絞る山羊の乳。牛の乳ではなく「山羊の乳」に山暮らしの野趣を感じる。そして勢いよく桶の底を打つ乳の音に五感が刺激され、人も自然もしっかりと目覚めてゆくようだ。朝焼けの中を運ぶ山羊の乳が旨そうである。


王の木乃伊

黄金虫落ち一粒の夜がある

 夜になると門灯や軒の灯にばちばちとぶつかってくる黄金虫。そしてぶつかっては落ちて仰向けになり、必死にもがいている。虚子に「金亀虫擲つ闇の深さかな」という句がある。虚子は大いなる闇の深さへ消えてゆく金亀虫を描いているが、この句は眼前の黄金虫をクローズアップすることで、そこから夜の闇がぽつんと足元に現れるような詩情がある。黄金虫だからこそ、「一粒」という措辞が効いているのだ。

 有紀子ワールドの旅を終えて、またここに来ようと思う、そんな読後感が心地よい。



プロフィール
大西朋
1972年生まれ。
鷹・晨同人。俳人協会幹事。