2021年11月5日金曜日

【連載】澤田和弥論集成(第6回-4) 

 (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


(4)【『革命前夜』 一句鑑賞( 渡部有紀子)】

咲かぬといふ手もあつただらうに遅桜 和弥

 和弥さんの句集を入手した日の夜、旧友が自宅を訪ねてきた。急ごしらえ出した泡雪寒を食べる頃になって、テーブルの上にあった句集を手に取った彼女の目が掲句の頁で止まった。「不思議な魅力のある句ね」と。彼女には俳句の心得がある訳ではないのだが、掲句の平明でストレートな表現が心を捉えたようだ。「何となく共感できるの」「咲くか咲くまいか迷っていたけど、咲いてみたら案外良いこともあるかもしれないって、思いきって咲いてみる決心というのな」と、コメントしていた。私はそれを聞いてなお、この句に不思議さを感じた。咲かぬという手だって?もし仮に花にも人間と同じような心があったとして、そんなの咲いてみて初めて知る事じゃないか!咲いてこそ、他の木や花がまだ咲いていないこと、あるいは花を愛でる人間達が咲きかけて結局散ってしまった花を嘆くこと、それらを認識した時に初めて、「咲かない」という選択も自分にはあったことを知るのではないのか。植物の花弁は温度と日照時間数が一定に達すれば開いてしまう。そこには「やめる」という意思が入り込む余地などない。しかるべき時期が来たから咲くのだ。初めて何かを為すというのもそれに近いと思う。今回は和弥さんの第一句集。「これが私です」と後書きにあるように、初めて和弥さんが自分を世に問うた第一歩である。問いかけずにいられなかったのだろう、今が和弥さんにとっての最適な時期だったのだから。十八歳から二十九歳までの玉句を収めた第一句集に続き、次なる三十歳代の第二句集を是非とも期待する。件の友人も「止めていいけど思いきってみたら良いことあるかもなんて決心つくようになったのは、三十路越えちゃってからよ」と、明るく笑っていたのだから。

(渡部有紀子)

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