今回は、作品下に書いたエッセイもあげておいた。『『真神』考』のあとがきにも書いたように、北川美美と吉村毬子との関係(というより美美からの毬子への関心)は深い。俳句新空間第14号の北川美美追悼号で長嶺千晶氏が書いている鬼気迫るエピソードは毬子のことだと思う。その毬子は美美に先立つ4年前になくなっている。多分お互い思い残すことの多い死ではなかったかと思うだけに、共感も溢れているように感じたのである。文中の「何かに駆り立てられていたのだろう。けれどそれは周囲を巻き込む凄まじい負のエネルギーでもあった」は美美自身を語っているようにも思える。
【豈60号】2017年11月
沐雨~吉村毬子に捧げる鎮魂~
北川美美
瞼裏に見ゆる春日や恋ひ暮らし
満開の桜の森にゐる毬子
脱ぎなさい金襴緞子重いなら
霞むまで煙草が好きで大好きで
流さるる磯巾着のあはれかな
バスを待つ毬子がそこにゐたやうな
深海の魚を連れて毬子来る
茅ケ崎の方より驟雨空無限
沐浴の雨はあたたか夏木立
真珠より白き足裏や死装束
滴の消へてひろごる水輪かな
日盛に火を焚いてゐる女ゐて
西方の空か真つ赤弓金魚売
昨日の蠅が部屋から出てゆかぬ
おのづから閉まる引戸や夏館
弓に張る弦は黒髪きりぎりす
河泳ぐ身体しなやか星月夜
しばらくは毬子を思ふ秋雨かな
黒革の手袋に入る白き指
何度か顔を合わせていた吉村毬子と話をしたのは二〇一三年三月五日、筑紫氏の祝賀会(俳人協会評論賞)の二次会の席だった。新宿・サムライのコーナー席からカウンター席に場所を移したが申し訳ないことに何を話したのか全く憶えていない。彼女の席の下に黒革の手袋が落ちていて、店を出た毬子を追いかけたことは覚えている。顔を合わせて話をしたのはそれが最初で最後。しかし以降約二年問、BLOG俳句新空間における「中村苑子論」を巡るやりとりがはじまった。同時期、毬子は、第一句集『手毬唄』を上梓した。何かに駆り立てられていたのだろう。けれどそれは周囲を巻き込む凄まじい負のエネルギーでもあった。二〇一七年七月十九日、彼女は浄土ヘと旅立っていった 潮騒と蝉時雨に見送られ安らかな眠りだったと思いたい。
吉村毬子『手毬唄』より三句
金襴緞子解くやうに河からあがる
毬の中土の嗚咽を聴いてゐた
水鳥の和音に還る手毬唄
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