さてここで紹介するのは不思議な勤労感謝の日である。憲法記念日が文化の日に化けてしまった(前回参照)以上にこの勤労感謝は不思議である。
○鈴木(里)委員 ただいま佐藤委員から御発言がございましたが、この勤労感謝の日であります。そもそも衆議院案といたしましては、勤労感謝の日という十一月二十三日は、新穀祭、新穀に対する感謝の日ということが原案であつたのであります。それが感謝の日になりまして、はからずも六月十五日の衆参合同打合会におきまして、私はおりませんでしたが、勤労という字を羽仁君の動議によってつけたというお話であります。私といたしましては、これは国民全般が、新穀並びにすべてのことに感謝する意味合のもとに感謝の日を設けるのが至当でありまして、単に一階級である勤労者に対して感謝をするということは、いたずらに階級意識を助長するような感を深くしますので、どこまでもこの「勤労」という字を削除することを主張するものであります。
○佐藤(観)委員 鈴木君から大分誤解された点があると思います。勤労ということは、何も労働者だけが勤労者ではないので、われわれも勤労しているのであります。遊んでいる人に対して勤労というだけで、私らは勤労ということをどうしても入れなければならないというのではなかつたけれども、あなたの言われたようないろいろな意見が出て、これに対して佐々木君あたりからも大分議論が出、そんならどうだろうというわけで勤労感謝の日としたのでありまして、皆さんの了解がつけば原案がいいし、これが絶対にいけないというならば、これについてはそうこだわらなくてもいいと思います。
○玉井委員 私は今の鈴木さんの御意見には反対なので、「勤労」という字自体が、あってもなくてもいいというのではなくて、新穀に感謝するということは、むしろ私どもよりは、かえつて鈴木さんあたりの方が専門でいらっしやるのでありまして、日本の国の食糧という問題を非常に深く買っておった時代からの意味であって、つまり日本の国の中における一番大切な点は、農業の点における労働に対する感謝の日であつたはずだと思う。單に抽象的に米に感謝するというのじゃないと私は考えておるのであります。
むしろそういう意味からやはり「勤労」という言葉があることの方が正しく理解されるのじゃないかと考えております。「勤労」という文字があるから勤労階級であるというふうにお考えになるのは、むしろ私は思い過しでいらしやるのではないかと思う。一体勤労しないで文化生活というものがあり得るかということになって来る。今佐藤委員からお話もありましたように、勤労自体にわれわれの価値を認めなければいけないと考えておるのであります。ぜひともこの点についてはむしろ「勤労」という文字を、階級的な意味ではなくて、勤労の価値自体における認識を得させるという意味においても入れたい。
それで先ほどお話のありましたように、メーデー自体がはいっていないという意味から言っても、メーデーはどちらかといえばああいう形の出方をしておりますが、これはむしろ農民における勤労というような意味と解されても、なお一応理解はできるし、あった方が正しいというふうに考えております。
○山名委員 私はやはり「感謝の日」にしたい。というのは、鈴木委員も言われたように、大体十一月二十三日がどうして新穀祭であったかということの根本原則から申しますと、これは物に感謝するというのが建前でありまして、大体今日までの日本人の一番欠けておることは、物に対する感謝の念が少い。そういう意味で精神面の一般勤労という感謝ではなしに、この日である限りは、少くとも物に対する愛とか感謝ということが建前でありますから、その本則に則って「感謝の日」とし「勤労」という字を削除したい、こういう趣旨で鈴木委員に全面的に賛成いたします。
○馬場委員 私は原案に賛成するものであります。私先ほどちょっと席をはずしましたので、その間論議されたかと思うのでありますが、すでに十一月二十三日を前に祝祭日で体驗した方々の頭で判断すれば、これは新嘗祭、新穀に対するお祭りの日、こういうことはすぐ印象づけられるのであります。しかしこれから先、若く育ってくる、新しく日本を背負って立つ人のために、先の先を見て、今考案されておるこの祝日に対しまして、ただ「感謝の日」というだけではわからない。この日を特に選んだということは、それだけで一應今の頭からいえば新穀に感謝し、農民に感謝し、また農民の勤労意欲を向上させていくというような国民的な運動によって、この日が選ばれておるということになりますが、これは日本の今後を見ましても、ただ農民の分野だけに感謝をするというばかりでなく、国民の勤労結集によって国家の再建が成り立つということになりますれば、やはりこの日を新穀の感謝と同時に、一般の勤労者に対しての感謝の意を含めた方が、より明確であり、より意義が広義に解される、こういう意味でこれに私は賛成すると同時に、先ほど佐藤委員からも発言がありましたが、この日がここにまとまつたことは、最近における二回の衆参両院文化委員の合同打合会において一応成案を得た結果でありまして、そのときに各党の方々が集まって、ここまで話合いがついたのであります。従って御列席の各委員から御説明をいただくならば、よりうなずいていただける点があるじやないか、かように実は私考えておったのであります。
それからもう一つ国民の祝日ないし国民の日という名称のことが出ておりましたが、これは衆参両文化委員の委員長と専門調査員に一任するということになっておりまして、その打合せの結果が発表されておらない。従ってそれがどういう打合せになったということを聴いてからにしたい、かように考えております。
○高橋(長)委員 本問題につきましては、皆さん方のたいへん御熱心な御意見の発表がございましたが、元來われわれ文化委員会の過去を考えますと、他の委員会と違って、すべての議案が笑って和やかなうちに解決されておるという特色をもつておりました本委員会において、たまたまこの祭日の一項のために、お互いに採決とか、あるいはまた表決によって、相爭ってきめるということは避けたいと私は思うのであります。つい最近、観光小委員長をきめる場合の前例もあります通り、これは理事会にお任せして、平和裡に笑って解決したいと思っておりますが、いかがでありましよう。
○佐々木(盛)委員 しかし、もともと衆議院案は「勤労」という字がはいらない「感謝の日」ということで満場一致賛成したのです。しかも十一月二十三日という日の起源が新穀祭につながっておることは御承知の通りであります。しかるに今のお話を伺いますと勤労ということのみ強調され、もとの祝祭日を設けようとした十一月二十三日の起源に対しては、何ら重要視されていないようになっておると思うのであります。そこで佐藤君も「勤労」という文字にさほど固執するものでないとおっしゃっておられますし、また従来の衆議院文化委員会のいきさつから考えて、これにさほど拘泥すべきものではないと思います。また「勤労」という文字があっても差支えないことは、私ももとより認めます。お説はごもっともであると思います。しかし、なくて済むことであり、しかもないことによって満場一致で解決するなら、なくて済ました方がいいと思います。
○原田委員 動議を提出したいと思いますが、その前に、私は意見を述べます。佐々木君の言った通り、「感謝の日」というのは、六月十二日の衆議院案でありまして、われわれは「感謝の日」でいいということになっておった。たまたま六月十五日の衆議院との合同打合会において、私はそのとき中座しましたが「勤労感謝の日」ということが初めて浮び上ってきた。今佐藤さん、あるいは馬場さん、玉井さんなどからいろいろ意見が出ておりますけれども、私はかえつてそれが狭義の意味であると思う。馬場さんは、それは広義であると言われるが、私は反対だと思う。これはただ勤労ということでなしに、あらゆる森羅万象に感謝する意味だ、それでいいと思う。それで今ここで採決されて、その採決が多数であつた場合には、少数の者は欣然これに同調する、こういうことで採決されることを望みます。
○高橋(長)委員 文化委員会の本旨に鑑みて、平和裡にこれがきまるならば、私の動議を撤回しても差支えないと思います。それがかえって本委員会に今までと逆行するような行き方では、撤回することはどうかと思うのですが、どうせ採決できまることならば、代表者同士で話をつけた方がりっぱであり、お互いに気持がいい。同時に国の祝祭日をきめるのに、多数少数を争ってきめるのは、ほかの問題と違って国の祝祭日の決定のために惜しむので、そこで私は申し上げるのです。
○小川委員長 休憩前に引続きまして会議を開きます。
各党代表の理事で円満裡に事を進めたいといろいろ諮りましたが、各党には党の立場があるので、結局その立場を固執されまして、円満な結論を見出すことができなかったので、先ほど原田委員から動議のありましたように、表決でもってこれを定める。但し敗れた方も多数の意見に欣然同調するということにして、あとに何らの濁りも残さないということにこの委員会を運びたいと思います。(拍手)
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○小川委員長 それではさようにいたします。
原案通り六月十五日案の「第九、勤労感謝の日」ということに御賛成の方の御起立を願います。
〔賛成者起立〕
○小川委員長 起立多数。よって原案通り決定されました。
もともと11月23日は、皇室の行事であった新嘗祭であったが、これを皇室の色を除いた新穀祭と提案したのである。それを「感謝の日」(新穀に感謝し、農民に感謝し、また農民の勤労意欲を向上させていく)としたところから勤労感謝の言葉が生まれたのである。一方で、国民の祝日から労働祭、メーデーが除外されたことからここに勤労の言葉が入ってもよいという意見が出始めたのであろう。「敗れた方も多数の意見に欣然同調する」「平和裡に笑って解決したい」という委員長らの発言は面白い。俳句の賞の選考委員会でよく見られる風景だからである。
ただ、「勤労感謝の日」という季語を使う場合になぜこれが秋であるのかを考えれば、新穀に感謝し、農民に感謝し、また農民の勤労意欲を向上させていくという発想は「本意」に適っていることは間違いない。
(5)花祭り
没になった面白い祝日候補を挙げておこう。これほど宗教色がはっきりしている祝日がなぜ候補にあがったのかはよく分からない。
○佐々木(盛)委員 「花まつり」を祝祭日に指定の請願であります。
聞くところによれば近く国祝日が更新される模様でありますが、われわれ仏教徒はこの際ぜひとも四月八日花まつりを祝祭日に設定されますよう念願してやみません。仏教が渡来以後千数百年にわたり、宗教としては言うまでもなく、文学に、美術に、教育に、その他種々なる方面に寄与するところの多かつたことは、何人も否定するを得ない事実であります。しかるに仏教は釈迦に始まったのでありますから、仏教の影響と称するものは、ことごとくこれ釈迦その人の感化といっても誤りがないのであります。実に釈迦はわれわれ人類にとつて世界的聖者の一人でありまして、その感化は誕生地の印度を越えて広く洋の東西に及んでおります。従って釈迦の誕生を祝う行事が後世永く伝わってきたのもけだし偶然ではないと思います。
つきましては、この趣旨を御賢察くださいまして、何とぞ花まつりを祝祭日に御指定ありますよう、長野県仏教会長半田孝海氏を代表者として請願を申し上げる次第であります。何とぞ御審議の上、御採択あらんことをお願い申し上げます。
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