8月2日から4日にかけて小諸の「ベルウィンこもろ」において、今年で5回目になる「こもろ日盛俳句祭」が催された。その2日目の夕方に開かれたシンポジウムについて報告する。
パネリストとして、小川軽舟、山西雅子、宮坂静生、司会として筑紫磐井が登壇した。初めに筑紫から進行について若干の説明があり、続いてテーマ「旧い季語・新しい季語」についての概略のコメントがあった。(催し物の案内の印刷物には「季語」の用語が用いられていて、当日の演壇右脇のテーマの看板には「旧い季語・新しい季語」と「・・の季題」という文字が混じっていて、登壇の面々も少々戸惑っている風にも見受けた。また下に記載した当日配布の資料では、スタッフに予めアンケートを取ったものをまとめて資料にしたらしいが、こちらは「季題」でのアンケートのようである。角川書店刊『俳文学大辞典』では微妙なニュアンスを書き分けていて、シンポジウムのセッティングの甘さを露呈したかたちであった)
パネリストは宮坂からの順番で話しをする筈であったらしいが、資料不備で小川から、続いて山西へ受け渡された。最後に宮坂の話となった。シンポジウムの内容のあらましが理解されやすいと考えられるので、予め会場で配布された資料をここに掲載しよう。(宮坂の資料は当日、「地貌季語分類表1」「地貌季語分類表2」が配布された)
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「新季題・旧季題」シンポジウム資料
25.8.3.
●小川軽舟【新季題】新しい季題をつくることにはあまり関心がありません。むしろ、現代の状況を考えると季題以外の題を探ることが必要になるように感じています。
【旧季題】私は昭和三十年代くらいまでの季題の風景をかろうじて覚えています。私の郷愁のよりどころとなる季題は生かしていきたいと思います。
例:蚊帳、蚊遣火(煙の出る渦巻型のもの)、青写真、(秋の)運動会。
●山西雅子
【新季題】
「海牛」(春の磯遊びの季語にいれたい)
【旧季題】
「木(こ)の晩(くれ)」『万葉集』にあり、『改正月令博物荃』に載る。
また、「小鮎」は「稚鮎」とは別に、琵琶湖産の「鮎」として「夏」に入れたい。
○岸本尚樹
【新季題】
「クールビズ」。「冷房」の傍題でもよいが。
【旧季題】
「無し」
※「狼」のように滅びた種でも、季題としては「現役」と考えられる。季題は「過去帳」のように永遠に増え続けるしかない。
無季や雑の句を否定しなければ、季題が何かという「線引き」は事実上不要となる(もとろん、理念としての季題は大切)。「季」という言葉にどこまで拘るかですね。
○土肥あき子
【新季題】先日、ホトトギス季寄せに「逃げ水」がないことを不思議に思った。以前は武蔵野を代表する特定の地域でしか見られないという現象だったが、現代の日本では高温化と舗装で全国的な夏の景色のひとつになっているように思う。
【旧季題】やはり二十四節気。あわよくば七十二候。処暑には打水、など古いもの同士を組み合わせてのイベント的に周知する等。
○本井英
【新季題】
「怪談」。「東海道四谷怪談」の上演記録なども圧倒的に夏である。昔は、寄席でも夏になると、競って話した由。
「皇帝ダリア」、近年晩秋初冬に三メートルくらいに伸びる「ダリア」が流行りだした。新季題は「佳句」を得て初めて季題として認定される。従ってそれまでは「無季」扱いを受ける訳であるが、季題を目指す「季題予備軍」をテーマとする俳句と、のっけから「季」を無視する俳句は自ずから異なる。
【旧季題】現実に存在しなくなってしまったものでも、「詩趣」があれば俳句は出来る。
○高田正子
【新季題】
「原発忌」一切。
【旧季題】
農林漁業に関わる季語一切。
① 昨今見直されている、という意味で。
② 顧みられぬ、の観点に限れば、技術の進歩により、使われなくなったツールで(歳時記に掲載のあるもの)。
◎筑紫磐井
【旧季題】
古い季語もかつては新しいきごでしたし、今の新しい季語もやがて古いきごとなるでしょう。季語の歴史を上げてみます。
① 和歌の縦の題に対する芭蕉の横の題
鞍壺に小坊主乗るや大根引 芭蕉
② 開化新題(正岡子規)
物くれる和蘭人やクリスマス 虚子
③ 昭和の新題(日野草城・山口誓子)
ラグビーのジャケツちぎれて闘へる 誓子
④ 熱帯季題・大陸季題(高濱虚子)→廃止
スコールの海くぼまして進みくる 虚子
その他「バナナ」「三寒四温」
⑤ 家庭季題(高濱虚子)
髷重きうなじ伏せ繕ふ春着かな 久女
その他「毛糸編む」「日記買う」
【新季題】
最後に、気象協会ではない、気象庁が提案している季語の例を挙げます。
⑥ 気象庁が提案している季節の用語
「吹き返しの風」(秋)「早霜」(秋)「晩霜」(春~夏)「春一番」(立春~春分)
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以上である。(当日会場で訂正の有った箇所、および明らかな誤字は訂正して掲載した)パネリスト+司会の話しが2巡してのち、会場にいる俳句祭スタッフからもコメントを聞くことができた。(上掲の資料にある方々からのコメントである。)コメントを載せているスタッフは客席側に散開して着席していてパネリストと会場が一体化しているような雰囲気を作り出していた。なかなか良い演出であった。(客席側のスタッフからは「前もって、アンケートが来たから答えたのだけれども、全員が回答したわけではないのね!」と不満を漏らすスタッフもいた。(笑))客席側のスタッフからは、上掲の資料にある記述に補足説明をするようなコメントが相次いだ。客席側にいるスタッフの話は最後に本井英で締め括られた。
シンポジウム中で質量ともに大であったのは宮坂のコメントであった。初めは日本列島の南北広範囲に渡っていることや雅語から生活季語になるあらましが語られていたが、結局最後は持論である「地貌」に行き着いた。特に宮坂の提唱する「地貌」についてのコメントは、流石に熱が入っていて思わず頷かされてしまうような気がした。最後に筑紫から昨年の気象協会との経緯などが語られて、散会した。丁度白熱してきていたところだったので、懇親会の開会が多少押しても、もうす少し聞きたかったように思う。
今回のシンポジウムは、季題(パンフレットには「季語」)の新旧、つまり時間軸における不統一感や季題についての世代間の認識差異についての議論がされるだろう、ことを筆者は予想していたのである。筆者の期待でもあった。俳句歳時記に載る季語は、多種多様な言葉の集大成である。国語辞典も百科事典も然りであるが、比して俳句歳時記は若干の分類がされている(歳時記によって分類方法が異なるが)。がそれらの季語は未だに未整理である。シンポジウムではその未整理状態の中にあって、それぞれの俳句作家たちの自家流の取り組みを拝聴できるものと期待していた。
小川は自らを昭和30年代の日本の風景を覚えている最後の世代であるのではないか?と言っている。膨大な季題の体系は世代によって異なってくると言っているわけである。つまり季題をめぐって異なる世代間の認識や理解は当然のことに異なることになるというわけだ。「俳句歳時記」に載る季語のうち使いたいものを俳句作者は使えばいいのであって、敢えて排除をしなくても要らない季語は使用しなければ事は足りる。筆者は新旧の季題の要不要を考えるよりも世代間の認識や理解の壁をどう乗り越えるかに興味を持つ。(ヴィトゲンシュタイン的言語表現の諦めを感じつつ、やはり乗り越えようとする衝動が俳句作者にはあると思う。)
「俳句歳時記」における一見日本列島総てをカバーしているような季語の総体がマクロ的であるとするならば、宮坂の提唱する「地貌」季語はその列島を細分化してその部分部分に適応する「地貌」季語を対応させてゆこうとするミクロ的試みなのかもしれない。いや従来の「俳句歳時記」においてもごく地方的なもが掲載されている。また、漁民の用語や一地方的な用語も季語としている例がある。とすれば、「地貌」季語は新たなる季語の発掘作業なのかも知れない。大いに期待したい。が「地貌」として新たに発掘された季語を、他の地域に住む人々はどう受容すればいいのか?
本井のいうように「新季題は「佳句」を得て初めて季題として認定される」ということならば、「地貌」季語で発掘された季語を積極的に取り上げて「佳句」を得る努力は、積極的に季題を増やそうとする努力である。岸本尚樹のいう、無季の句と雑の句を否定しない、ということになるとどの季題が必要でどの季題が不必要か?という季題の選別よりも別の議論が必要な気がしてならない。
例えば国際俳句の拡がりを考えてみる。日本列島と一地方という対比ではなくて、地球規模の広さと多様を視野に入れなければならなくなる。テーマの設定には今回のシンポジウムのように時間軸とともに空間軸の考えもあわせて、出来れば他にも別のカテゴリーの軸を設定して合わせて2次元的、3次元的な議論に発展することを期待したい。
【句会編】
- 2日目・ベルウィン句会 (兼題:「登山」)
2日目の13:30~15:30pmに本会場の“ベルウィンこもろ“にて句会が催された。何会場かに分かれての句会で、筆者は第3会場で、一般参加者+スタッフ俳人(「俳人」と自称していました?!)30名くらいの句会であった。岸本尚毅、高柳克弘他計5名が主催者側のスタッフ俳人として加わっていた。
岸本の句評は合理的且丁寧で、大変勉強になった。特定の結社のメンバーがグループで同じ句会に参加していて、選し合っていたりしていた。バラケル工夫が欲しかった。また兼題の「登山」の句が少なくて、残念であった。
- 3日目・ベルウィン句会(兼題:「青林檎」)
3日目の13:30~15:30pmに“ベルウィンこもろ”にて2日目同様に開かれた句会へ参加した。本井英、高柳克弘他が主催者側スタッフとして加わった。計20名ほどの句会であり2日目の句会よりも小規模で、筆者には好もしく思われた。
兼題「青林檎」は、早生の品種で既に食べられる青林檎なのか?これから実ろうとする熟していない青林檎なのか?本井から説明があった。「よく考えずに不用意に出題されている」との解だが、・・・「私が出題しました」と白状に及んで笑いを誘っている場面もあった。句の評は句の解釈になることが多くて、筆者の期待した技巧的な側面はほとんど話し合われなかったように思う。
最後に若干の時間の余裕があり、「こもろ・日盛俳句祭」への意見・反省点などがランダムに発言された。高原列車句会への反対意見、2日目のシンポジウムからの余韻であろうか「季語は誰が決めるのか?」「歳時記には俳人の忌日の季語が多すぎる!」などなど。主題者への慰労の言は無くて、建設的な意見も乏しかった!?という印象であった。
今回の第5回こもろ・日盛俳句祭では、「案内とお誘い」という印刷物があって、これが要領を得ない案内なのだ。例えば日程は理解できない書き方をしている。(俳句を極めると合理的な日程表が書けなくなるのかな?何て嫌味な突っ込みをしてみたくなる)筆者は、このような催事を好もしく思っているので、永続的展開を期待しているし、回を重ねる毎により生産的な催しになって欲しいと考えている。主催者?事務局?スタッフ俳人?の一層の奮闘を期待している、ご苦労様でした。
真楽寺 |
【執筆者紹介】
- 網野月を(あみの・つきを)
1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。
成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。
2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。
現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。
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