2025年7月25日金曜日

【連載】 戦後俳句史を読む・攝津幸彦3 攝津幸彦俳句鑑賞  堀本 吟

 断片的にしかいいえないとは思うのだが、こういう場を借りて、じわじわと攝津幸彦を読んでみようと思う。先に攝津幸彦の散文を取り上げて読んでみた。[戦後俳句を読む(第10回の3)・攝津幸彦 1:2011年09月23日 ]

 そこにもすこし触れていることだが、彼の散文につかわれるレトリックの大胆な省略(抽象化というのともすこし違う)は、読む者に理を分けた叙述より強い何かを喚起する。論理的には絶対説明できぬことをいおうとすれば、無限に短くなるか無限に長くなるかしかない、攝津の散文に於ける省略癖は、言い得ないことを直観的に言ってしまって、そのことを自ら説明するために、回りくどく、その思考の核の廻りをグルグルとまわっている。


「青春が確固たる目的もないままにひたすらに上昇を思考する病い」

「私と俳句とのかかわりも、またひとつの病いであったのだ。」

「いまや病いとてけっして近寄ることができないほどの空虚が私の身辺を取り巻いている」

「意匠がそのまま思想であるかのような、思わせぶりのみが目立つ俳句形式の逆説的構造」

「なんどか徹底的に白けてみようと思った」

「白けきろうとする時」、やがてそこに無化された「私」が発見される」

《俳句と極私的現在》(「俳句研究」1981年3月)。『俳句幻景』所収一九九九年南風の会発行


 上の文章などから、ものごとは決めがたいということ、またその決めがたい領域について、彼にはかなり強い関心があるのではないか、と推理する。それは俳句の方法への懐疑として言われているのだが、むしろ攝津幸彦の持ちまえの、資質的なものではなかったろうか。また持ちまえといっても、けっして優柔不断なのではなく、物を見極めようとすれば相対化してみるほかはなく、特に、その眼前のことにアンガージュマンへの積極的な動機がみつからず、情動もがわかないかぎり、かれは性急に二者択一を果たすよりも、それらについて態度決定しない、という方を撰んでいる。その時期に、彼は、大学封鎖などの現実にぶつかっている。

 若き攝津幸彦は、「私」という器が空虚そのものであることにすでに気がついている。外部から積極的に近づくものを寄せ付けない、好きな俳句に対しても徹底的に白けるんだ、という。上の文章では、そうなってくる。ふつう健康の代名詞のようにおもわれている{青春の上昇志向}そのものを「病」だと言う。これは、やたら他に与しない昂然とした気概であると言うより、ニヒルをきめ込む当時の若者のダンディズムを更に超えた、退嬰性をすら見せている、意志的に生よりも死の美学の方をめざしたものだ。一般的な青春性から見ればこちらこそ「病」と言うべきなのだが、攝津は、無化した器になった「私」=自己をなげだすことで、ぎゃくに存在する理由を得ているのだ。自意識というありかたのもっとも根源的な場面におりていったのである。多くの文学青年は、その虚無をかざして悩める青春字体を美化しまた顕示してゆくものであるが、攝津幸彦はそういう積極的ニヒリズムと違う、退嬰、消滅を辞さないニヒリズムに憧れたのではないだろうか?

 すでに新しい形式の発見などを考えないない、求めない、「無」という自己主張をしはじめたのである。

 しかしこれこそもっとも過激な自己主張と言うべきであろう。

 「無化された私」などというわけの解らぬ自問が内面と堂々めぐりしている時に つまり、私たちが攝津俳句の「初期」だといっている前衛的試行錯誤のその時期は、このような方向を定めがたい時期だったのだ、彼の青春俳句の晩期であったのだ。ただ、こういう特徴とおもわれることも、彼の全体像のひとつに過ぎないのである。

 きりぎりす不在ののちもうつむきぬ 『鳥子』

 「きりぎりす」はそこには居ない。無を存在としてを形象化すればこういうことになるのだろうか?幻影、または残像というよりもっと輪廓が明晰である、観念の姿としての「きりぎりす」がそこにじっとうつむいている。

 言葉に関わるときに、実在とは何か?無と有はいれかわるのか。言葉の錯視に私たちはなげこまれる。

 亡きものは亡き姿なりあんかう鍋(『輿野情話』)

 「あんかう鍋」はとりあわせだ、と考えてみる。同窓会とか忘年会かなにかの場面設定である。亡くなった知友が、その死んだ姿のまま、生者の宴会に同席している。まるで怪談か落語のひとつばなしであるのだが、怪談も根本的には生と死のわかれめが曖昧である、と信じる精神が生み出したものだ。こういうモチーフも俳句になるのである。

 攝津俳句では。生と死の、自己と他の、また言葉と肉体の境界を取り払おうとしている、そのことへのつよい志向があるのである。そう言う俳人はいくらでもいる、と思えばいそうだが、やはり攝津幸彦が、意識化の私をさがし、そこに無き「私」を見出す、という倒錯ともいえる精神の深みにおりていったのである。見えないはずの「私」をやはり見たいという、逆説的な願望はやはりあるのだ。思想を無化し意匠に転成させる形式、その発見という、またもや一種の韜晦の次元にはいりこむ。

 聞き込めばまだらの紐や久女の忌  『鹿々集』

 花衣脱ぐやまつわる紐いろ/   杉田久女

が下地であることはあきらか。それとあるいはシャーロックホームズが活躍する『まだらの紐』という小説の謎解きのキーワードを掛け合わせた道具立てが読みとれる。殺人犯の正体はまだらの模様の蛇だったというスリラー小説の古典が、久女にまといついてい噂の虚実をも想い出させる洒落た世界を創る。こういう小説仕立ての句は、楽しさの背後に何か分からぬものをもとめ畏れる、人間心理の撞着を垣間見せるともいえる。攝津は、本来の意味での怪奇現象を書いた作家だと言うことでもある。

 攝津幸彦の俳句思想は、若い日に落ち込んだ、俳句に関して「徹底的に白けようとする」志向をまでひきずってきている。そう言う情熱で俳句を作り続ける俳人・・このことによって、高度な韜晦の技術を得た、とも言えるのだ。俳人を育てる要因ということをしみじみ考えさせられる。(この稿了)