2021年2月26日金曜日

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】12 ~闊達と気品と~  田中聖羅

 第4句集『くれなゐ』は、第3句集『朝涼』から9年の月日の結晶である。その月日はまた、私が結社「都市」に入会てからの月日でもある。句集を手にし、余白が生かされた装丁が美しく、帯の一句が句集の奥行きを感じさせている。読みすすめて、「誰にも衒うことのない清々しさ」が第一印象だった。
 『くれなゐ』の句は、一見平明に感じることがあるが、ことさら難しい語彙や常套的言いまわしに与せず、自らの身を貫いた感覚をことばに結実させる結果からだろう。リズムも同様、実感に伴ったものだ。即物的であろうとするとき、その感覚をことばに置き換えるとき、その推敲は大変なものだろう。結果として自身の「今」を詠まれている。
 宇多喜代子著『戦後生まれの俳人たち』(2012年 毎日新聞社)の宇多氏の鑑賞に、

 玉虫に山の緑の走りけり     (第3句集『朝涼』)
 いくたびも手紙は読まれ天の川  (第3句集『朝涼』)

の二句を「巧みな技をさりげなく見せて景を大きくしている」との評価がある。その巧みさに加え、『くれなゐ』ではより対象物を自身に引き寄せ、恐れることなく心で踏み込んでいる。しかも猶、動きのある若々しさと新鮮さを失わない。宇多氏は、「戦後生まれの俳人たち」に、「新鮮な一句」と「俳句の未来」を期待した。夕紀は、この『くれなゐ』により闊達な、しかも気品のある一句、一句でその期待に応えている。

ばらばらにゐてみんなゐる大花野

 帯文に紹介されている一句である。「都市」での吟行句と思われるが、一読してそのリズムに取り込まれる。「みんなゐる」の「みんな」は、例えば句作に没頭する「都市」の仲間たちであろうか。主宰として自らが育ててきた「みんな」である。その充実感と幸せ感が伝わり、その吟行にいなかった私を悲しい気持ちにさせたほどである。「大花野」という舞台がよく、この期の代表句の一句になるかもしれない。

百物語唇なめる舌見えて

 現在では、さしずめ白石加代子演じる「百物語」の舞台であろう。躍動的に動く真っ赤な唇から吐き出される言葉・・・話の興に乗り益々話術も冴え唇をなめる、その瞬間を捉えた一句である。その舌までもが見える演者の形相そのものに集中し、妖怪話の怪奇さを表している

山襞を白狼走る吹雪かな

 一見、平明な句に思えるが、激しい句ではないか。旅吟であろう。「白狼伝説」のある地かもしれない。折からの吹雪の中に山襞を見つめ続け、ついにその詩魂が白狼の姿を引き寄せる。吹雪の激しさに対峙する俳人の心の激しさが真っ白な世界に舞い上がっている。
青大将逃げも隠れもせぬ我と
 吟行の最中、青大将と出会い「逃げも隠れもせぬ」と啖呵をきってみせているのである。どんな対象物でも、見て、触って対峙する覚悟でいる自身を詠んでおり、句作へ挑戦する思いと、ちょっぴりユーモアのある余裕が感じられる。

  宇佐美魚目先生宅へ
こほろぎや畳み重ねて明日の服  (第3句集『朝涼』)
春障子ひと夜明ければ旅に慣れ  (第4句集『くれなゐ』)

 「こほろぎや」は、泊まりがけとなる吟行参加をかかさなかったという若き日の一句である。志に向かい、いかに旅吟や吟行を大切にしてきたかが窺える。そして、その志を繋ぎ今も旅にいる。「春障子」は、そうした自身を客観視した余裕のある一句となっている。
日の没りし後のくれなゐ冬の山
 古都への旅吟を重ねて、冬の山を遠景に会心の一句を得る。日没のあとの余韻の残る日本の美しい光景である。夕紀は、この句にて「くれなゐ」を自身の色にした。夕紀の旅はまだまだ続く。今はもう次の一句へと心が騒いでいることだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿