2021年2月12日金曜日

【加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい】1 異世界への誘い  山本敏倖

 コロナ禍の大変な世の中になったにもかかわらず、その虚を突いて加藤知子第3句集『たかざれき』は上梓された。しかも石牟礼道子論併録しての一巻、知子ワールドの全貌が伺え、感無量です。
 その貴重な一冊の、多くの共鳴句の中から絞りに絞れば

頭上に芽吹き青空ばかりが残像
文月葉月川の流れはヴィブラフォン
よく眠る骨はこどもとカシオペア
鵜を抱いてわたし整う骨の冴え
稲光るたび人妻は魚となり
ひえびえと乳房の方へ向く流沙
月岬までの逍遥うちわ振り
脳の襞さわぐ鏡の間の万緑
けしからんヌードのるーる天高く
もの書きの肺に生まれる金魚かな
わが孵す鶉の卵露万朶
少年と少女がバッタになっちゃった
ゆうべからかなかな無痛分娩中
刈るほどに下萌えてゆく王墓かな
日食や姉出戻りて菊なます
すかあとのなかは呪文を書く良夜
また人間の仔になるまでを寒林
戦争という肉塊打ち上げ花火
楽土へと落葉横切る蛇長き
寒椿薄濃(はくだみ)にして愛すべし
獣(カチュー)耳(シャ)を着けにんげんという遊び
虎の眼の追う昼星と兎とぶ
雛の首きゅるきゅるゆるむ江戸小紋
のたうてば霧の中より吉祥天
風光る道行のこの白足袋の 
鳥帰る少女じゅうろくひとばしら


 どの句も動機は日常の一景からなのでしょうが、俳句はイメージの真髄を自家薬籠中のものにしており、その造型美は、ポエジーとイデオロギー性の衝撃的配合により、すべて意外性を孕んだ一寸景として読み手の心象に深く浸透します。一句一句における語彙の豊富さは無論のこと、繊細な感性による細やかな写生眼をベースに、思わぬ季語とのドッキングが、かつてない異世界へ誘います。
 そこには、詩的骨法を心得たコントラスト、色彩感、滑稽味、アイロニー、物語性等々、古典への造詣を背景にした独創的着想が、それぞれの句の核として構造化され、口語体による表記の音楽性、その絵画的心象の完成度に驚かされます。
 しかもその境地に甘んじることなく、次への危うきに遊ぶ、真、新、深への探究的作句姿勢は、文体の端々から感受され、俳句に関わるものとして大いに啓発、覚醒された次第。

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