2021年4月9日金曜日

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測219 沖とそこに集った人々の五十年――能村研三と渡辺鮎太  筑紫磐井

 沖五十周年を迎えて

 昨年十月「沖」が五十周年を迎えた。昭和四十五年十月に能村登四郎により創刊され、その後能村研三が承継している。当時は、「鷹」「草苑」「杉」などが創刊され、戦後派俳人が発表の場を確保した目覚ましい時期であった。

 コロナの影響で記念大会は延期されたが、十月には三五〇頁の大冊の記念号を刊行した。大半が沖に在籍していた作家の寄稿である。今瀬剛一、鈴木節子、大関靖博、鎌倉佐弓、波戸岡旭、正木ゆう子、中原道夫、大島雄作、筑紫磐井である。本来ここに入るべき福永耕二、鈴木鷹夫、大牧広、中嶋秀子、小澤克己(いずれも物故)を加えると当時の壮観さがなつかしい。雑誌主宰者ではないが、北村仁子(ひとこ)、坂巻純子(すみこ)、北川英子の女傑三人を中原道夫が回顧しているが、納得した。彼女たちは、右の主要作家以上に沖を華やかにしていたからである。

 ただこの記念号最大の特集は「沖の源流」一一〇頁である。沖に在籍した同人五三四人の紹介であり、同人となる直前の沖に発表された一句とそれに対する登四郎・研三の選評である。五百人を超える同人数も凄いが、通常同人リストで済ませるところを全員の作品と評で検証しているのは画期的だ。五十年間の「沖」の風がここには吹いている。『沖俳句選集第九集』も出されたが、通史としての価値はこちらの方が高い。

 記念号と前後して、今瀬剛一『能村登四郎ノート[二]』、(二〇二〇年五月)と能村研三『能村登四郎の百句』(二〇二一年一月刊)が刊行されている。前者が[一]を含めて千頁を超える詳細な資料集であるのに対し、後者が気楽に読める入門編となっている。また従来、今瀬の著書だけでなく、大牧広の『能村登四郎の世界』(一九九五年)など登四郎を語った著作はいくつかあったが、研三の『能村登四郎の百句』は身内から見た登四郎の姿が伺える点で興味深かった。創刊に当り、他誌へ散った弟子たちに盛んに勧誘の電話をしていた話とか、季題別句集を嫌っていたなどのディテールが溜まらなく面白い。

 ただ何にもまして「沖」の特徴は初期の若手世代の層の厚さであろう。毎年の二十代作家特集・青年作家特集で漏れなく若手作家に特別作品を発表させ、さらに俳壇の一流評論家・作家にこれを論評させている。これに奮起しない作家はいなかっただろう。佐藤鬼房、角川春樹、阿部完市の鑑賞を受けるという幸運は「沖」ならではのものだった。

 右に掲げた以外の当時の若手の名前をあげると、上谷昌憲、正木浩一、酒井昌弘、陶山敏美、千賀潔子、堀江棋一郎、十時海彦、森山紀美子、岡崎ヨシエ、小藪早苗、大屋達治、長浜勤、安徳由美子、柳川大亀、林昭太郎、田中耕一郎、東条未英、安居正浩、四方幹雄、森岡正作、平沼薰洋、安居久美子、猪村直樹、渡辺鮎太、梅田津と際限なく続く。


悪筆の梶の七葉を弄ぶ      研三

八朔や電波時計の誤差もどり

白扇たたみて決まる一語かな

八月大名てふ自粛の家籠り

炎帝の許創刊の陣備へ

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」4月号をお読み下さい。

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