中西夕紀(敬称略。以下同じ)の第四句集『くれなゐ』の「あとがき」には「自分なりですが、句材を広げ、色々な詠い方を試みました。特に吟行では、小さなものたちの命を描きたいと思い、(後略)」とある。次のような句のことを言っているのであろう。
薄氷や滑つてゆきしあれは鳥
ころぶこと鳥にもありて冬の草
「薄氷」を滑っていくのであるから、小鳥であろう。わざわざ「あれは鳥」と言っているのだから身のこなしが鳥らしくないのであり、意に反して滑ってしまったところを見たのだ。「ころぶこと」も鳥にすればちょっとした失態であろう。いずれも取り合わせの句だが、「薄氷」という季語には儚さ、「冬の草」には健気という情感があり、作者が鳥を慈しんでいるのがわかる。二句目などは、「鳥にも」とあるから自分自身を重ね合せてもいるのだろう。
空き箱に蓋見つからずちちろ虫
皺くちやな紙幣に兎買はれけり
「ちちろ虫」をもらったのだろう、ちょうど良い大きさの空き箱があったのに蓋が見つからない。無造作に取り出した「皺くちやな紙幣」により兎は買われていった。この二句は一物仕立てと言ってよく、「小さなものたち」への思いがより直接的に出ている。第三句集『朝涼』からも引用してみる。
白魚の雪の匂ひを掬ひけり
玉虫に山の緑の走りけり
それぞれ白と緑が印象的な句であるが、作者が「白魚」や「玉虫」に見ているのは前四句のような「小さなものたちの命」ではなく、「俳句はものに語らせる」という時の「もの」なのだと思われ、だからこそ、切れ味鋭い佳句となっている。『くれなゐ』にも色に着目した句があるので比較してみよう。なお、以下、句はすべて『くれなゐ』からの引用である。
かなぶんのまこと愛車にしたき色
「玉虫」の句とは肌触りが違う。うちの嫁にしたいという感じなのであり、それは「かなぶん」を「もの」ではなく、近しい「他者」として認識しているからである。冒頭に引用した「あとがき」に気付いたのは、この稿をほぼ書き終えようとしている時だったのだが、確かに『朝涼』には小動物に焦点を当てた句は少なく、「かなぶん」のようなテイストの句はない。「句材を広げ、色々な詠い方を試みました」と言うが、『朝涼』から『くれなゐ』への変化はそれだけで説明はできないだろう。
寂しがる母もう居らず林檎の香
伯母も吾も子の無き同士青ふくべ
かきつばた一重瞼の師をふたり
人逝きてわれに残りし鷹の空
『くれなゐ』は、両親、伯母、恩師など多くの人との別れが詠われており、哀惜の句集としての側面を持つ。別れが他者の存在に気付かせ、他者への共感が新たな俳句を生んだと考えることはできよう。だが、それは推測に過ぎず、また、重要なのは理由ではなく、変わったという事実なのだ。
青大将逃げも隠れもせぬ我と
殺すかもしれぬ毛虫を離れけり
きちかうや屈む少女に背の窪み
ぶらんこやたぶん失恋した少女
他者の発見はまた自己を再発見するということであり、「青大将」や「毛虫」の句はその現れだろう。「少女」の二句はかつての自分を見ているのであり、それらはさらなる意識の変化をもたらす。
干潟から山を眺めて鳥の中
ばらばらにゐてみんなゐる大花野
「私」(自己)と「あなた」(他者)から、「私たち」への変化であり、それは他者との共生を意味しよう。
『くれなゐ』は、中西夕紀の意識の深化と、師から受け継いだ写生の技が融合することにより生まれた句集だと思う。
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