2021年4月23日金曜日

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】14 生と死と  林 誠司

 いつだったか猛虎氏より久しぶりに連絡があり、(たしか同人誌「豈」だったと思うが…)「自分の作品が載っているので見て欲しい」と言われた。早速読んでみると、癌と闘う奥様の深刻な病状を詠んだ句が並んでいてびっくりした。

  余命だとおととい来やがれ新走

 長年の友でありながら、全くそのことを知らなかった自分を恥じ、彼の悲しみを考え、私も胸が痛んだ。しかし、一方で、妻の余命宣告に「おととい来やがれ」と啖呵を切った俳人もおそらくいまい、と驚いた。この自由で、率直で、柔軟な表現はやはり彼の魅力だ。

  卵巣のありし辺りの曼殊沙華

  脊椎の中の空洞獺祭忌

  秋の虹なんと真白き診断書

  モルヒネの注入ボタン水の秋

 これらの句からも壮絶な闘病の様子が想像出来る。彼の願いも叶わず、二〇一七年一〇月九日の朝、奥様は天に召された。

 遺骨より白き骨壺冬の星

 葬りし人の布団を今日も敷く

 鏡台にウィッグ残る暮の秋

 猛虎氏は二〇〇五年に句会「亜流里」を創設、そのリーダーとして、地元の句会仲間とともに研鑽し、地元姫路の俳句の発展に貢献してきた。勝手な想像だが、今回、その彼が句集刊行を決めたのはやはり奥様の死が大きなきっかけとなったのではないか。猛虎氏の第一句集『紅の挽歌』は大きな評判を呼び、地元では読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、神戸新聞とメジャーな新聞全てに写真付き、インタビュー付きで大きく掲載された。これは快挙と言っていい。彼の作品の優秀さももちろんあるが〝早逝の妻への挽歌〟というのがマスコミに受けたのだろう。

 以前、ある表彰式を取材した時、歌人の永田和宏氏がスピーチし「われわれはなぜ挽歌を詠むのか」と自身に、参加者に問うように言ったことを鮮烈に覚えている。彼の意識には、先年亡くなられた歌人であり、夫人の河野裕子さんが念頭にある。俳人・森澄雄も亡くなった奥様へ「百句」を供養として作ることを自らに課していた。俳句では「追悼句」ということになるが、「追悼句」もまた「挽歌」だ。永田氏が「われわれ」と言ったのは、彼の勝手な思い込みではない。『万葉集』以来、相聞歌と挽歌は詩歌の二つの大きな柱である。「われわれはなぜ挽歌を詠むのか」。この問いに対して、彼が今後、作品でどんな答えを見せるのか。

 今回の『紅の挽歌』鑑賞だが、私はこの句集の跋文を執筆し、彼の作品の全体の魅力や才能についてはすでに書いている。よって、ここでは微細なことに触れてみる。一句、気になる句があるのだ。

  この空の蒼さはどうだ原爆忌

 この句は新聞や結社誌でも多く取り上げられた、彼の代表句の一つ。この句をどう鑑賞すべきだろう、という意識が私の中になんとなくある。『紅の挽歌』には、

  原爆忌絵の具混ぜれば黒になる

  ステージに空き椅子ひとつ原爆忌

もあり、「原爆忌」は彼にとって詠まずにはいられないものがあるらしい。「どうだ」という口語的表現が率直に鑑賞者の胸に迫って来る。口語表現の持つ〝率直さ〟がこの句を輝かせているのだ。で…、この句は原爆で亡くなった人を悼んでいる句だろうか、原爆、ひいては戦争の悲惨さ、愚かさを訴えている句だろうか、そして反戦の句だろうか。そういう部分がないわけではないが、私には、彼の言いたいことはそこではないような感じがする。私なりに鑑賞すれば、この句のテーマは「隣り合わせの生と死」なのだ。何万もの人間の命が一瞬で消えてしまうという事実の不可解さ…、不可解という表現が適切かはわからないが、この句は何万もの命が一瞬で青空の中へ消えてしまったかのような不可思議さがある。奥様への哀切な挽歌の影に隠れてしまいがちだが、『紅の挽歌』には「生」と「死」が隣り合っている、個人や身近な人のことだけではなく、一般的な「生」と「死」を意識した作品が実に多いのだ。

  順々に草起きて蛇運びゆく

にも「生」「死」が隣り合っている。「草」も「蛇」も「生」そのものだが、その草と蛇が描き出す風景はまるで葬送風景だ。前に挙げた〈葬りし人の布団を今日も敷く〉も生と死が綯い交ぜになっている。

 今は俳句に限らず、全てが健康志向の時代で、死を本気で見つめている人は病人だけである。その病人も見つめているのはおのれの死であり、死とは何か、という問題に迫るものではない。俳句も今は生きる活力を詠った、瑞々しいものが好まれる。しかし「エロスとタナトス」を持ち出すまでもなく、「生」と「死」は一体であり、生きる活力とは、「死」を排除したものではなく、「死」を意識した上でのものであってこそ本当と言える。

 死にたての君に手向けの西瓜切る

 僕たちは三月十一日の水である

 「西瓜」が生であり、「水」が生である。現代俳句に今、こういう意識はほとんどない。これは深見けん二さんから聞いた話だが、季題とは極端に言えば生から死への移り変わりであり、例えば、季題「枯菊」を詠む場合、秋に華々しく咲き誇っていた「菊」の残像がなければならない、と聞いた。このように「生」「死」との関係性を見つめることは伝統俳句とか新興俳句とか前衛俳句とかではなく、全てを超越する問題だ。

 そういう意味では彼は本物の詩人であり、今後を期待出来る貴重な俳人と言える。神戸新聞で山田六甲氏は彼を「森澄雄、赤尾兜子以来の姫路の本格俳人」と評していた。彼の作品の魅力は技量ではなく、句の奥底に潜む詩の意識にある、と言える。そこを発展させ、現代俳句の一端を担ってほしい。

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