一月一八日から二月一日にかけて、東京都練馬区のギャラリー古藤で「表現の不自由展~消されたものたち」が開催されている。近年の日本社会にしばしば見られる「隠蔽と禁止」への危機感から開催されたものだ。同展のパンフレットでアライ=ヒロユキは次のようにいう。
いま言論と表現への「隠蔽と禁止」が日本社会のすみずみまで侵食している。(略)
この「隠蔽と禁止」は、以下の8つの問題領域において起こる。①歴史問題(戦争/植民地)、②政治問題(天皇制や安保などの政体)、③政局&政治事件(利権と利権集団)、④性とジェンダー、⑤人種と民族、⑥経済活動、⑦社会運動、⑧個人生活、となる。
(「いま何が問われるべきか 「隠蔽と禁止」が脅かすもの」)
ギャラリーにはニコンサロンでの展示をいったん拒否された安世鴻による「慰安婦」の写真、千葉県立中央博物館と日本サウンドスケープ協会共催の「音の風景」展に出品したものの説明文が作者の同意なしに検閲・修正された「福島サウンドスケープ」(永幡幸司)などが並ぶ。その最初に展示されているのは「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句を記した作者直筆の色紙だ。昨年話題になったこの句を覚えているだろうか。埼玉県さいたま市大宮区のある女性(当時七三歳)が詠んだこの句は同区の三橋公民館が発行する二〇一四年七月の月報に載るはずだったが、館側に掲載を拒否された。掲載拒否について館長からは、政治的で議論が分かれる問題に対し一方の意見だけを載せるわけにはいかないという説明がなされた。この句は当時話題になっていた集団的自衛権の行使容認に対するデモを詠んだものだったのである。
本来美術作品を主に展示しているギャラリー古藤において、この句がその入り口に据えられていたのは、開催者のこの句への関心の高さを象徴するものであろう。同展共同代表でありこの句のキャプションを担当した永田浩三氏はこの句の作者と実際に会ったらしい。氏によれば、この句をあれこれと言われ大きな騒ぎとなってしまったことに対して作者本人は当惑もしているということであったが、こうした作者の態度にはこの句の本来のありようがうかがえる。ならば、それにもかかわらず、それを「表現の不自由」を象徴する作品としてまなざす僕たちの傲慢さは何なのだろう。公開されなかったという暴力と、公開されなかった句として公開するという優しい暴力という二重の暴力によって、この句も作者も引き裂かれているように見える。
だが、この句をめぐる困難はそれだけではない。この句についての僕なりの考えはすでにウェブマガジン「スピカ」に書いた。掲載拒否に関する報道がなされた直後の文章であるが、それはおよそ次のようなものであった。
この句を俳句表現として評価するなら、率直に言ってつまらない句であると僕は思う。このことをなぜ誰も言わないのだろう。先の記事(『東京新聞』二〇一四・七・四朝刊)によれば、作者は六月上旬に銀座で見かけた女性たちのデモに心を動かされ「日本が『戦争ができる国』になりつつある。私も今、声を上げないと」という思いから女性もまた行進の列に加わったのだという。そしてこの句にはその思いを込められているらしい。とすれば、この句は実に安直にできあがっている。もちろん「梅雨空」とはデモの際の六月上旬の空をそのまま表しただけの言葉ではなく、これは「『戦争ができる国』になりつつある」という日本の状況をも示唆した言葉なのであろう。また、そうした状況にあって「女性」たちが「九条守れ」と声をあげているというのは、とくに「女性」の姿をデモに見出したという点において、あるいは何がしかの感動を読み手に呼び起こすのかもしれない。けれど、この句の「女性」へのまなざしが感動や共感を呼びうるとすれば、それはここに詠まれた「女性」が社会的弱者としての性質や無名性を前提として詠まれたものであるということに疑問を持たないがゆえの感動や共感であろう。換言すれば、デモに参加する「女性」は弱い存在であり無名であるという前提があってこそ、この句は輝きを増すのである。その意味ではこの句における「女性」へのまなざしは類型的なそれを踏襲しているにすぎない。いわば、「梅雨空」という状況についての安易な比喩と、厳しい状況下において声をあげる「女性」というステレオタイプな表現とが、「九条守れ」という、カギカッコで括ることによって額面通りに読み手に伝わるよう配慮されたメッセージとともに詠みこまれているだけなのである。この句が表現として優れているという評価など、僕にはとてもできない。この句を読むに堪えないものだと思っているのは僕だけではないと思う。この句をつまらないと言ってはいけないかのような雰囲気が生まれることを僕はもっとも恐れる。
約半年経ったいまもこの考えにほとんど変わりはない。僕はこの句は上に述べた意味において決して上出来のものではないと思う。実際、この句の掲載拒否問題に対してもっとも目立った発言をしていた金子兜太にしても、これまでの発言を読むかぎり、この句の表現自体を高く評価しているというよりもこの句の掲載が拒否されてしまうという状況に対する批判が主であった。戦後俳句史における金子の仕事を考えるならば、金子がこうした句の存在を肯定していこうと考えるのは自然なことであるが、しかしそれはこの句の表現としての優劣の評価とは別次元の問題のはずなのである。
だが一方で、この句の表現レベルの低さをもって、この句の公表を求める動きを揶揄するのもまた違うだろう。そもそもこの句は、その出自において僕やあなたが「佳句」の条件として求めている表現レベルなどとは無関係のところにあったのではなかったか。この句はあくまでこの句の作者の所属するサークル内の句会において互選によって選出された句であって、その意味において「佳句」であったのだし、何よりこの句の作者はそのような認知にとどまることを欲していたのではなかったか。実際、この「佳句」は公民館の月報に載ることをもってよしとする慎ましさをもっていたのである。いわばきわめて私的なレベルにおいて「佳句」として流通したがっていたのがこの句なのであって、そのようなこの句のありようを認めないとすれば、それはいささか傲慢ふるまいではあるまいか。僕もまた、この句を「つまらない」と思う者の一人であるが、この句をつまらないとか面白いとか評する行為自体が本当はお門違いなのであって、それこそ「つまらない」行為なのである。
だがこの句を評すること自体の「つまらなさ」の淵源はそれだけにあるのではない。
思えば、宮中で歌会の行われるこの国において俳句形式を自らの表現形式として選択するということは、もうそれだけでじゅうぶんにあやしげなふるまいなのではなかったか。
さきに<短歌の上句>ということを、五・七・五=十七音の"定型"の発生的な本質として考えようとした。それは言葉をかえれば、その"定型"自体のうちに、発生的に切り捨てられた「七七」の<下句>が、いわば幻肢として、構造的に抱え込まれているといってみてもよい。この<幻肢としての下句>は、ことさら俳諧の脇句のなごりと考える必要はない。五・七・五という音韻律そのものの本質的不安定さなのだ。
(「虚構としての定型」『詩的ナショナリズム』冨岡書房、一九八六)
「幻股」としての七七を抱え込んだ俳句形式とは、短歌形式にあこがれつつそれを拒絶するという矛盾を抱え込んだ形式の謂であろう。いってみれば、それは親を真似つつ親を殺すことによって成立する形式である。そしてこうした俳句形式の出自は、短歌と宮中との深い結びつきを思うとき、看過できない問題であるように思われる。すなわち、俳句形式とは、生まれながらにしてじゅうぶんに不謹慎なものだったのではなかったか。
「表現の不自由展」と題して行われた今回の展覧会は、奇しくも昨年亡くなった赤瀬川原平が千円札事件の裁判で争っているさなかに行ったそれと同じ名であるが、赤瀬川の有罪確定に至ったこの事件について椹木野衣は次のようにいう。
私が思うに、千円札を極めて克明に描き、それを公的な場で「陳列」し、あるいは印刷というかたちで「頒布」することが、国家の隠された「恥部」―「しょせん」は紙切れが天下の国家を支えているという実も蓋もない事実―を歴然と晒すという、権力にとって決してあってはならない行為に当たっていたのではあるまいか。いわば「象徴的な意味でのわいせつ行為」が、重大な「思想犯」に当たっているのではないか、ということである。(「象徴としてのわいせつ ―ろくでなし子と赤瀬川原平」二〇一四・一二・二二。)
「象徴的な意味でのわいせつ行為」―これは今回の展覧会に出品された作品が「消された」理由としてほぼそのままあてはまるものであろう。だが俳句形式による表現行為もまた、実は「象徴としてのわいせつ行為」ではなかったか。(椹木の言いかたにならえば)「しょせん」は「ことば」が天下の国家を支えているという実も蓋もない事実―俳句形式とはこの「恥部」を晒す形式であり、そうであればこそ、「紙切れ」としての「ことば」に対して、どこまでも敬虔な態度で接するという逆説的な姿勢が俳人の矜持となるのではなかろうか。「梅雨空に」の句が決定的に欠いているのは俳句形式に対するこうした認識であろう。実は俳句形式を自らの表現形式として選択するというそのこと自体が不謹慎なことであったかもしれないのである。
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