2014年9月5日金曜日

<こもろ日盛俳句祭特集>付録・詩歌を巡る長野の旅・・・石牟礼道子編 / 北川美美

こもろ・日盛俳句祭に参加後、私は、長野県木崎湖の「原始感覚美術祭」に向かった。木崎湖は大糸線沿いに位置し、松本、安曇野を超え、西側に北アルプスがそびえる。小諸からは決して近い距離ではないが、石牟礼道子のドキュメンタリー映画「花の億土へ」を観に出向いた。



木崎湖畔の「海の口駅」という幻想的な駅名の無人駅を越え、高台にある公民館が今回の会場である。上映会と対談(「花の億土へ」同名書籍の出版元の藤原書店・藤原良雄氏×田口ランディ氏)が行われた。以前は民家だったのではないかと想像する公民館での上映開催は、猛暑の中、厳しい会となったが、前日の日盛り俳句からの続きとして私なりに詩歌について考えることもできた。 

上映会場



石牟礼道子というと、自身が育った水俣の地、水俣病をテーマとした『苦海浄土』が世に知られている。水俣病患者ではないが、市内の一主婦であった石牟礼道子氏による、「悶々たる関心と控えめな使命感をもち、これを直視し記録しなければならぬという盲目的な衝動」にかられた詳細な聞き書きが『苦海浄土』である。水俣病の患者に寄り添い、戦い続け、代弁し続けた巫女ともいわれた石牟礼氏は、詩、短歌、俳句と表現の場を広げ、いわば社会派(現実の社会問題に重きをおく傾向。また、そのような人の意)という印象がある。2013年に藤原書店より全17巻『石牟礼道子全集』も完結している。

水俣病の患者の言葉がそのまま語られている石牟礼道子の執筆には、その言葉が神々しく心に響くことは確かである。

なぁ かかしゃん
かかしゃん
しゃくらのはなの 咲いとるよう
美しさよ なあ
   

親は癒(なお)してやれませんでしたて。ありゃきっと、よか仏さんになりましたろなあ、きっと。よかところにきっと往たとると、親は思いたかですよ。人間のかわりに、人さま方のかわりになって往きましたですもん。(『いまわの花』)

また児童文学としても紹介されている石牟礼道子自身の創作の言葉の数々がある。

流々草花 るーるーそーげ
遠離一輪 おんりーいちりん
莫明無明 ばくめいむーみょう
未生億海 みーしょうおくかい

(『あやとりの記』石牟礼道子 福音書店)
俳句作品も引いておこう。

祈るべき天とおもえど天の病む
毒死列島身悶えしつつ野辺の花
来世にて逢わむ君かも花御飯
来世への草の径は花あかり

(『花の億土』石牟礼道子)

石牟礼道子自筆の俳句


俳句作品は、今回のドキュメンタリー収録時の全テキストを再編集した書籍『花の億土』(藤原書店)から引いた句だが、全集第15巻目が全詩歌句集(水原紫苑解説)となっている。


上映イベントに参加して思ったのは、石牟礼道子の根底に流れる姿勢だ。上映後の出版元・藤原書店代表の藤原良雄氏の解説からも、「石牟礼さんは、水俣病の被害者を代弁してきたが、近代の病としての『公害』は、われわれが作り出したもの、我々も加害者であるという思いである。」と近代以降の日本の歴史・思想を扱う出版社としての深い思いを感じた。

私もこれまでの人生で水俣病の患者さんに全てを学んできました。ある重度の患者の女性は3年前、私にこう言いました。「道子さん、私はもう許すことにしました。(加害企業の)チッソも許します。病気になってから意地悪をした人たちも許します。つばを吐きかけられたり、買い物をする時に、お金を差し出したら、『うつるからそこに置いてくれ』と言われたり、親の敵、人間の敵と思っていたけれど、全てを許します」と言いました。「あまりに苦しかけん、祈りよった。祈るというか、のろいよった。けれど、これは人間の罪。人間の中には私も入っとる。人間の罪は自分の罪だ」と言うのです。(読売新聞栃木版2013年01月03日石牟礼道子インタビュー)

近代の歴史の一面として、「戦争」と「公害」は人間が犯した原罪という側面がある。文芸作品における「社会性」とは何か、俳句の中での「社会性」とは何かを考えた。過去の俳句史の論議に逆流するが、社会性とは、時勢を詠むことなのだろうか。それとも自己の内面のことなのだろうか。

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ  さいたま市大宮区の70代女性
時を同じくして、掲載拒否で抗議が寄せられた上掲句。作者がこの句を「写生」したのかもしれない風景のワンショットではあるが、同じ作者が今後、「九条」に関する多数の句を発表したのであれば、より明確な強い「思い」として読者に伝わる可能性があるのかもしれない。俳句は、発表され、読者に愛唱あるいは鑑賞句として取り上げれれた後は作者像、たとえば性別・年齢を含む略歴や環境を背景として読まれることが多い。それが一般的である。人々に愛唱される一句は必ず作者の名前と共に記憶されるのだ。

社会詠(ここでは戦争詠)として記憶される句として池田澄子の句がある。

戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ  池田澄子 
前へススメ前へススミテ還ラザル 
忘れちゃえ赤紙神風草むす屍

池田澄子の戦争詠は、単に戦争に対する世代的感情、批判精神というくくりに納まらず、彼女が実父を戦場で失った少女時代の悲しみを深く背負っている。池田氏は、俳句以外での個人的事象の読みを恐らく嫌うとは想像するが、エッセイ・講演などで池田氏はその少女時代の想いを語っていることに遭遇する。遠い戦地で父を失った少女の叫びが未だに氏の中にあり、それが戦争詠を支える確固とした創作意図に繋がっていることを確信するのである。

実際に父の不在を詠んだもの

旗日とやわが家に旗も父も無し 澄子
の句もある。

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 澄子
「じゃんけん」の句は、命を尊ぶさまざまな読みができ、それも名句の魅力である。しかし、この句、じゃんけんで負けたので戦場へ行き儚い命として消えた人々がいるではないか、という痛烈な批判精神を込めた句として読むこともできる。蛍を英霊になぞらえる読みである。氏の一連の作品を知るほどそのように読むべきなのではないだろうか。そのようなことを、この石牟礼道子のイベントで強く感じた。

石牟礼道子、1927(昭和2)年生まれ、池田澄子1936(昭和11)年、大宮市の73歳女性1941(昭和16)年生まれ いずれも先の大戦の終息前の生年であり、石牟礼氏も池田氏も「主婦」として出発している作家である。大きな時代のうねりに巻き込まれた世代であることは確かである。その時代に生まれたからこそ、その生きている社会に対する「思い」があるのだ。作家が生きた時代は必ず作品に反映する。

ではそれ以降に生まれた世代で社会をどのように詠んだのだろうか。

第60回現代俳句評論賞を受賞された竹岡一郎氏は摂津幸彦の戦争詠について論じた。(表題「摂津幸彦、その戦争詠の二重性」)

皇国花火の夜も英霊前を向き  摂津幸彦 
送る万歳死ぬる万歳夜も円舞曲 
蜿蜒と炎々と蟻只今旅順
砲兵死なむ袋孤児の娯楽かな

竹岡氏の論評では、摂津幸彦の戦争詠を全共闘世代である摂津の時代性と照らし合わせ論考している。竹岡氏の一文を引用させていただく。

国家よりワタクシ大事さくらんぼ  幸彦 
国家の前には吹けば飛ぶような片仮名のワタクシが漠然と立つためには、どうしても「さくらんぼ」すなわち恋愛が必要だ。(「摂津幸彦、その戦争詠の二重性」竹岡一郎)

摂津幸彦は、戦後、団塊世代であり、先の戦火想望俳句、そして高柳重信の影響を多いに受けているだろう。上記の竹岡氏が論文で引用した四句は実際に重信自身が「鳥子幻影」30句選に入れている。(俳句研究昭和49年11月号そして仁平勝「裏路地の散歩者」より)

「言葉」から出発している攝津幸彦の句には読みの難関が多い。1960年代生まれの竹岡氏が攝津幸彦の戦争詠に焦点を当て論じたことは、今の混沌とした時代の社会性俳句とは何かを追及し、その過程に摂津幸彦の戦争詠を読みすすめたのではないかと、妙にタイムリーに納得するのである。

石牟礼道子から摂津幸彦に飛んできたが、社会詠にはやはり個人としてどのようにその時代と関わりあっているのかということが最大の要となる。もともと、そのような時事的事象やそれを連想させるような表現は俳句作品としてふさわしくないという派と大いに社会的事象を取り入れてみたい派があるとは思うが、たとえその事象を詠み込んだとしても恋の句同様に生半可な「心意気」では読者は納得しないことは実作者であれば承知の通りである。

簡単に俳句が多産のされる今の時代がよいのかどうかよくわからない。しかし、俳句を詠むために我々は時代と関わっているのではない、自己の中から詩歌、詩情が生まれるのである。

小諸での日盛俳句祭で虚子を思い、翌日の石牟礼道子で社会派について思った。しかし俳句というのは、「客観写生」であるという作の中にジツ(事実のジツ)がないとリアリティが伝わってこない。「客観写生」から生まれる「ジツ」と「思い」としての詩情は微妙な距離にある様な気がしている。

攝津幸彦以降、現代の俳句のジツを兼ねた社会詠実力者がいる。関悦史である。

人類に空爆のある雑煮かな   関悦史 
激震中ラジオが「明日は暖か」と 
セシウムもその辺にゐる花見かな 
積まれゐて安さ不気味なレタスを買ふ 
夏の草ストロンチウムは骨に入る 
足尾・水俣・福島に山滴れる

関氏の作品は、どこまでも客観写生である。そして現代のリアリティがあり妙に痛々しい。常に遠くに自分を置いている視点が読者に伝わる。

言葉は時代から生まれ、言葉は人により伝えられる。そして言葉は、俳句定型の中で思わぬ展開をみせる。社会性俳句とは、時勢を読むことなのだろうか。それとも自己の内面のことなのだろうかは、その人の「心意気」に掛かっている気がする。日盛俳句祭シンポジウムでの登壇者である島田牙城氏のサイトからその「心意気」を同意とする言葉をみつけた。

「どの言葉を使ってもよい。あなたの抵抗精神を五七五に表現するのだ」島田牙城
http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/mukihaiku.htm

上映が終ると日の盛りは過ぎ、木崎湖の水面と山々が神々しく見えた。「海の口駅」という幻想の名前をもつ木崎湖と八代海の不知火が重なりあい、この上映が何故この地で行われたのかが少し理解できた。近代以降について考える…小諸から出発する信州の旅は有意義である。


木崎湖

原始感覚美術祭参加作品






※藤原書店は近代以降の歴史・思想の発掘に力を入れており、石牟礼道子の全集他に、後藤新平の思想に力を入れていた。ちょうどその特集が2014年9月4日にNHK-BSで組まれていた。


※石牟礼道子については「詩客」でも藤井貞和氏、外山一機氏が時評で論じている。






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