『そんな青』宮崎斗士句集の私の読後感は、丁寧に日常を生きているということ。
宮崎の第一句集の『翌朝回路』に見られた感性の原石は、彼の日々の丁寧に生きていく俳人としての姿勢によって磨かれ、さらなる俳句の新境地へと歩み始めている。
第二句集にあたる『そんな青』宮崎斗士句集は、宮崎斗士のオンリーワンの生き様であり、現代をみずみずしく生き生きと表現したひとつの可能性をしめした新しい俳句の領域を提示している。
花合歓や光源氏にインタビュー
金子兜太先生の俳句に「合歓の花君と別れてうろつくよ」の名句がある。金子先生が健在の際に句集『日常』にサイン入りを購入できたのは、当時の「海程」の重要な若手メンバーであろう宮崎斗士さんに無茶振りのお願いをしたからだった。
この句は、 『源氏物語』の主人公である光源氏にインタビューという独創的な切り口が先ず斬新だ。花合歓の和名・ネムノキは、「眠る木」を意味し、夜になると葉が合わさって閉じて(就眠運動)眠るように見えることに由来する。夏の季語からイケイケドンドンの光源氏のインタビューであることを想像してしまう。現代社会にも光源氏は脈々の生き続ける。
尺取虫街少しずつバリアフリー
バリア・フリーとは障害者や高齢者が生活していく際の障害を取り除き、誰もが暮らしやすい社会環境を整備するという考え方のことをいう。
体ごと尺取虫のわずかな前進を丁寧に観察しているからこそこの直喩が活きている。
青き踏むふとおっぱいという語感
俳人として語感を丁寧に噛みしめている。爽やかなエロス。
ある時期、あいみょんの歌に触発された若手俳人たちを中心に「おっぱい」俳句が話題をさらっていた。「おっぱい」の語感だけでなく宮崎斗士俳句において語感は、大事な鍵になっているようだ。
父と子の会話蟹味噌ひと匙ほど
秋葉原に僕の定位置冬の蜂
祖父も笑顔鮟鱇鍋のそんなリズム
身近な父子の会話の味付けに宮崎さんのエッセンスが効いている。
秋葉原の現代社会に僕の定位置を見出す。宮崎斗士ワールドの、オンリーワンの醍醐味。
宮崎斗士さんは、祖父も笑顔になる鮟鱇鍋のそんなリズムを日常から見出せる俳人なのだ。
平穏って見つめ合わない雛人形
一緒の生きるスピードなんでしょうね。
なんでもない言葉で喩で生きている、感じているニュアンスを表現できる丁寧さだって新たなる俳句の地平ではないだろうか。
氷湖ありもう限界のボクサーに
ぴったり言い切る比喩の的確さが魅力的。
海鼠拾えばわがほろ苦き現在地
海鼠(なまこ)に心を通わせつつも自己の心境の把握が俳句の味を出す。
いわゆる宮崎斗士ワールド。
みんな笑顔雪合戦の一球目
よく観察している宮崎の面白がるツボとユーモラスが心地よい。
「じゃ、上脱いで」とあっさり言うね蛇苺
すがすがしいエロス。
ひとり言の意外な重さ秋の蛇
言葉が言霊になり生き方を決定づけていくことと自覚・覚醒。
わが良夜細い絵筆で仕上げてゆく
そんな良夜があり、宮崎斗士俳句の確立していく。
わが道を行く。
楽しんで行く。
等身大の自分をさらけ出せるからこそ多くの共感を得ていける。
この句集は、生活の営みの息遣いや言葉のニュアンスなどを丁寧に噛みしめるように観察しているからこそ表現の細部のこまやかで鮮やかな表現に実感を持って活かされている。
このほか私の気に入った共鳴句を最後に掲げさせていただく。
かたつむり術後同士という呼吸
バックミラーに向日葵今だったら言える
秋葉原キスが嫌いで鮫が好き
消去法で僕消えました樹氷林
婚期という長さ短さ牡蠣すする
ギンヤンマいい質問がつぎつぎ来る
会えないまま雪が溜まってゆく水槽
鮫すーっと動いてたっぷりの夜かな
鯨が一頭ゆっくりじっくりと術後
炬燵で寝て目覚めて嫉妬だと気づく
そそっかしいシンバル奏者春嵐
天文学っておおむね静かふきのとう
桐咲けり日常たまにロングシュート
鮎かがやく運命的って具体的
母と暮らす時報も鉄線花もふわり
かまきりやこの村オムライスの明るさ
寒満月石だんだんと椅子のかたち
疲れたかな一羽の冬かもめに夢中
メール送信狐とすれちがう呼吸
ポインセチア家族ぴったり満席です
「 -BLOG俳句新空間- 」2015年1月23日(金)【鑑賞】 宮崎斗士句集 『そんな青』 -オンリーワン俳句の息吹-
https://sengohaiku.blogspot.com/2015/01/toyosato.html