2025年9月26日金曜日

【新連載】新現代評論研究:各論(第12回):後藤よしみ、村山恭子

★ー3「高柳重信の風景 7」後藤よしみ


 前章では、重信にとって風景とは言霊を宿すものであり、過去と現在をつなぐ歴史的な場であることを論じた。その重要な契機となったのが、1971年の飛騨行である。重信は、飛騨の風景の奥に神々の存在を感じ取り、隅々に宿る霊の生動と、それに伴う言霊の響きを捉えた。こうして生まれた「飛騨十句」は、重信の絶唱と称されている。


㊀飛騨の       ㋥飛騨 

 美し朝霧   *   道傍の酒栄し

 朴葉焦がしの     黒木格子の

 みことかな      みことかな 

 

㊂飛騨の       ㊃飛騨

 山門の    *   法体の仏の木

 考へ杉の       足無しの

 みことかな      みことかな 


㊄飛騨の       ㊅飛騨

 真男鹿    *   大嘴の啼き鴉

 角戴きの       風花淡の

 みことかな      みことかな 

 

㊆飛騨の       ㊇飛騨

 雪襞    *    風早の神無月 

 天の高槍の      猪威しの

 みことかな      みことかな 


㊈飛騨の       ㊉飛騨

 袈裟山   *    闇速の泣き水車 

 長夜の深井に坐す   依り姫の

 みことかな      みことかな       『山海集』


 これについて、さらに言葉を重ねたいと思う。

  ゲオルク・ジンメルは『風景の哲学』において、「風景として眺めることは、自然から切り取った一片を、それなりの統一として見ることにほかならない」と述べている(『ジンメル・エッセイ集』平凡社、1999年)。風景に対する感覚が覚醒したとき、人は「中心と境界を変化させる力」を得て、「特別な性質の統一」に至る。つまり、風景には感情的な統一が不可欠なのである。

 この統一の点でつけくわえるならば、中川理は、マージョリー・ホープ・ニコルソンの「崇高」という概念を引きながら、思想の変化が風景へのまなざしを変え、「崇高」の受容を促すと述べている(『風景学』共立出版、2008年)。これは、風景の発見にとどまらず、内的感情と外界の風景が結びつくことで生まれる感情的統一が、「崇高」の美学の形成に不可欠であるという指摘である。この「崇高」は、風景が精神を揺さぶり、感情的統一をもたらす美学とみなせよう。重信の「飛騨十句」は、まさにその崇高の構造を日本的霊性、日本的なるものの文脈で再構築している。

 具体的に見ていくなら、まず、「飛騨十句」の配列である。上のように二段に分けて掲載するとわかりやすいが、一番目から九番目までの奇数句は一行目に〈飛騨の〉を置き、偶数句では〈飛騨〉の二文字から始まっている。また、各句の一行目は〈飛騨の〉または〈飛騨〉で統一され、四行目はすべて〈みことかな〉で締めくくられている。変化が見られるのは二行目と三行目のみであり、この構成によって句群全体に統一感が生まれ、飛騨の風景と内的感情が結びついてくる。さらには、日本的霊性として憑代を置いている。㊀の句では、三行目の〈朴葉焦がしの〉香りがそれにあたるだろう。㊉の句では、二行目の〈水車〉が憑代として登場している。このような一体感をもった構成となり、実際に飛騨山中に足を運んだことのない者にも飛騨の本質を感じさせてくれる。

 「飛騨十句」は、以上のようにニコルソンのいうところの「崇高」の美学が風景感覚の覚醒からなる感情の統一感があらわれている。これらの特徴をまとめると、風景の役割において神霊の依代・言霊の場。感覚の統合において、視覚・嗅覚・聴覚そして言語の統合。詩的契機において、「みことかな」による神性の顕現がみられる。重ねて言うならば、重信において風景は象徴主義と日本的なるものとのひとつの結合、統合としての現象なのである。

 それでは、「飛騨」以降の作品をながめてみよう。 


後朝や        葦牙に

いづこも    *  立つ日入る日や

伊豆の        故

神無月  「坂東」   葦原ノ中国  「葦原ノ中国」


日読童女を      目醒め

誓ひて    *   がちなる

樹つる        わが尽忠は

筑紫鉾  「倭国」   俳句かな   「日本軍歌集」


 ここには、重信の内面に深く根ざした「日本的なるもの」が、より明確に表出している。これらの句群が仮構性を高めつつ構築された作品が、『日本海軍』である。

松島を       弟よ

逃げる    *  相模は

重たい       海と

鸚鵡かな      著莪の雨


夜をこめて     腹割いて

哭く    *   男

言霊の       花咲く

金剛よ       長門の墓     『日本海軍』


 このように『山海集』「日本軍歌集」を受けて、艦名と地名から喚起されるイメージにより仮構した世界を創りあげている。冒頭の掲句に立ち返れば地名は「松島」であり、軍艦「松島」は敵艦に対抗するために船体に似合わない巨砲を搭載していた。そのため、砲撃すると反動により船体の姿勢がかわり、進路まで変わってしまったという。 この句は、『奥の細道』における曽良の〈松島や鶴に身をかれほととぎす〉を下敷きにしており、原句の意は「松島にはほととぎすの姿では小さすぎるため、鶴の姿を借りて優雅に見せてほしい」というものである。重信の句はこれをパロディ化し、軍艦「松島」の逸話と重ねることで、風景と軍事的記憶を融合させている。

  『山海集』で見られたように、象徴主義などの影響が薄れることで、新たな日本的なるものがよりいっそう浮き彫りになってきた。ここから、重信にとっての日本という仮構を担う旅がはじまったととらえられる。その点では、『伯爵領』で見られた国見・道行の新たな展開とも読みとれる。

 ただし、留意すべきは、風景感覚の覚醒がそれ自体で自立するものではなく、虚構と創作によって支えられている点である。風景は神話的空間としての働きを持ち、創造の磁場を提供する。現代において共有される風景の地が失われつつある中、詩人は架空の風景、架空の場所を創り出すことになる。それは再生ではなく、失われた場所への代償である。 

 『日本海軍』の〈 夜をこめて/ 哭く/言霊の/金剛よ〉の句のように、日本人にとっては、山や海や川、森などは神霊、祖霊の住み処であり、その風景に立つことで霊感をえてきた。また、日本人の深層にひそむ古代の呪術的な空間をも育んできた。そして、西行や芭蕉をはじめ、古い歌に詠まれた風景の前に立つのであればその土地の霊と一つになり、豊かな詩をもたらしてくれるものと信じられてきた。このように詩歌をはじめとする創造の磁場を風景は提供している。現代の普通の風景を共有する共同体が衰弱したなかでは、風景の地という根拠を持たない架空の風景を、架空の場所・地を創り出すことになる。   

 しかし、それは仮構された場所・地であり、その場所・地の再生ではなく、あくまで失われてしまったところの代償でしかないと言う(中川 理『前出』)。これらの例としては、清朝の時代、皇帝は有名な風景を縮小再生したが、これは都から遠く離れた地を魔術的・呪術的に都に近づけようと意図されたものとされている(柴田陽弘『前出』)。これらは、仮構された空間という意味では、高柳重信の『伯爵領』『日本海軍』につながるである。

 また、この作品が日本海軍をめぐるものとなったことは、それ自体が重信の原風景とかかわっている。その時の小学校の思い出に正門脇の文房具店があり、そこで大切にしていた思い出は日本海軍の組み写真であったという。少年であった日々に、「如何にも親しげな感じと共に多くの地名をもたらしたのは、これらの軍艦の艦名である。ひょっとすると、わが『日本海軍』は、そのときから少しずつ始まっていたのかもしれぬ」と回想している(「わが『日本海軍』の草創」『全集Ⅲ』)。ふつうであれば、思い出のなかで想像の世界に遊ぶにとどまるであろうが、重信の偏執的な気質のためか、あるいは遊戯性とあいまってか、それを俳句作品として構築する姿勢は、いかにも重信らしいと言えるだろう。重信の創作動機としては、「記憶の再構築」および「遊戯的な構築」の両方と言ってよいだろう。

 このようにして、重信の戦後の句群を眺めてみるならば、象徴主義時代とその成熟と変容、そして日本的なるものへという一つの道筋が見えてくる。その変容そして進展には、重信における「原風景」と「風景の発見」「風景感覚の覚醒」が重要な役割を演じていることがわかる。


★―7:藤木清子を読む4 / 村山 恭子


4 昭和10年 広島県 藤木水南女で出句 ②


  火夫にあはれ窓は苦熱の焔をあぐる    京大俳句8月

 火夫は火を扱う職業の男性を指す言葉で、蒸気機関車の機関士のような役割を担う人を意味します。〈窓は苦熱の焔をあぐる〉ので〈火夫にあはれ〉と倒置法により、〈苦熱の焔〉が上がる様を強調しています。また〈火夫にあはれ〉の「に」は窓との接近を表し、燃えたぎる焔と苦痛な灼熱の様子を際立てています。

  季語=無季


  火夫しづか夏の山脈窓にはるか      同、旗艦9号・9月

 火夫が〈夏の山脈〉を窓から見ています。苦役から開放されて、身も心も落ち着いて眺める〈夏の山脈〉ははるか遠くに堂々と美しくあり、火夫の慰みになりました。

  季語=夏(夏)


  火夫涼し陸の娼婦に口笛を        同

 〈陸の娼婦〉と「陸」の強調により、火夫は「海」から上がったことがわかります。

 火夫が娼婦に吹く口笛の音は涼しく、海から陸へ上がった火夫の安堵も表しています。

 季語=涼し(夏)


  火夫あはれ船底の夏初まれり       旗艦9号・9月、天の川9月

   *天の川9月号に「発動汽船の火夫」の前書きあり

 火夫にとって苦しい〈夏〉がはじまりました。〈船底〉での労働は想像よりはるかに辛く、

〈あはれ〉は感動詞の「ああ」でもあり、名詞として労働への同情や哀愁の念を感じます。

  季語=夏初む(夏)


  人あつし身ごもる妻の黄なる声      京大俳句9月

 〈身ごもる妻〉の〈黄なる声〉を聴いている人がいます。耐え難い蒸し暑さ中、甲高い声を発する何かが生じ、不穏さをあおっています。

  季語=あつし(夏)

 

  日焼けては夕べ忙しく潮汲める     同

 日に焼けて潮を汲む一日が終わろうとしています。〈夕べ忙しく〉から今日の予定分を終わらせようと忙しく立ち回る様子が見えます。

  季語=日焼(夏)