出席者:筑紫磐井、原雅子、中西夕紀、深谷義紀、仲寒蝉(司会)
2.遷子と他の戦後俳人の共通点についてどう考えるか?
筑紫は〈戦後俳句の理解のためには、沢木欣一、能村登四郎、金子兜太らが行った社会性俳句とは別の、より広い社会的な志向を持った俳句というコンセプトを定めてみる必要がある〉と主張。「社会性俳句」という概念に入らず切り捨てられ無視された俳句を「社会的意識俳句」と呼び、それら埋もれてしまった俳句を再発見する必要があると言う。「社会的意識俳句」の中に特定のイデオロギーや態度を持った「社会性俳句」があり、その外側にそれとは別の膨大な「社会的意識俳句」が存在したことを忘れてはいけないと強調する。「社会性俳句」が廃れた後も、俳句と社会のあり方の両方に根ざした本質的な俳句であるがゆえに「社会的意識俳句」は生き残っていた、と言う。
「俳句」編集長大野林火が「社会性俳句」を取り上げた特集「俳句と社会性の吟味」(昭和28年11月)の後、同じ「俳句」での特集「揺れる日本――戦後俳句二千句集」(昭和29年11月)に掲載された次のような俳句を「社会的意識俳句」の例として挙げる。
インフレの街の夜となり花氷 岩城炎 21・10
ラヂヲまた汚職をいふか遠雲雀 萩本ム弓 29・5
絞首刑冬の鎖はおのが手に 小西甚一 24・3
深む冬接収家屋の白き名札 草間時彦 28・6
桐咲いて混血の子のいつ移りし 大野林火 28・5
血を売る腕梅雨の名曲切々と 原子順 24・9
堕胎する妻に金魚は逆立てり 野見山朱鳥 24
嘆くをやめかの裸レヴューなど見るとせむ 安住敦 24・7
汝が胸の谷間の汗や巴里祭 楠本憲吉 28・9
小説は義経ばやり原爆忌 佐野青陽人 27・12
文学性については吟味するべきとしながらも、これらの俳句を忘れてはならず、社会性俳句が否定されたとしてもこれらの〈俳句やそのモチベーションを社会性俳句と一緒に葬ってしまうことは危険〉と述べる。
この「社会的意識俳句」の代表的な作家として相馬遷子を位置付け、その他多数の社会的意識を持った俳句作家を「別の遷子たち」と呼ぶことを提唱する。
原は「社会性俳句」から前衛俳句という流れの中で、次第に個に拡散していった傾向に触れ、遷子の場合、地方の風景や生活を実直に詠んだ個の一つと認識する立場を取る。
中西は遷子が入会した昭和10年代の「馬酔木」は俳壇で革新的な役割を果たした時期であり、その同人達の影響を受けているだけで十分に革新的だったのではないかと言う。
当時は今よりずっと結社の束縛が強く、遷子の時局詠、生活詠、自然詠のすべてが馬酔木の中にあったのではないかと指摘する。つまり〈遷子は「馬酔木」を通して、戦後俳句と間接的に繋がっていた、だから消極的な社会性俳句も理解できる〉と述べる。
深谷は同じ馬酔木「高原派」でも堀口星眠・大島民郎などの純粋自然賛歌と遷子の作風と大いに異なると言う。かと言って所謂「社会性俳句」の範疇も入らない。たとえ社会的な問題を含む題材でもヒューマニズムの発露が成せるものであって政治的イデオロギーの匂いはない、と述べる。
また地域性(地方色)と言う点でも、大野林火の慫慂を受け謂わば戦略的に「風土性」を全面に展開した側面のある「風土俳句」作家とも異なり、遷子は〈あくまでその作品の素材を自分が居住する佐久に求めたに過ぎない〉と言う。
仲は、高原派と呼ばれる作風から『山国』の終り頃、昭和28年頃には医業を含めた生活詠、患者の貧しい生活や税金、医療費のことを取り上げた社会性俳句と呼んでもいい内容の句が増えて来るのに注目する。これは「俳句」の特集「俳句と社会性の吟味」、沢木欣一『塩田』、能村登四郎『合掌部落』といった所謂社会性俳句の潮流が高まってくるのと軌を一にしている。さらに文体という点からは新興俳句への架け橋的な存在であった「馬酔木」の影響があると言う。
一方、西の兜子、東の兜太を中心とした前衛俳句の影響はほとんど受けていない。その証拠として『雪嶺』(昭和44年刊行)の字余りの句が95/430=22.1%に過ぎないことを挙げ、赤尾兜子『虚像』(昭和40年刊行)の95.2%と比較して破調の句が少ないことを指摘する。〈遷子の俳句の姿の正しさは写真に見る彼の背筋の伸びた姿勢に通じる気がする〉と述べる。
まとめ
これについては意見が割れた。
原は遷子について、「社会性俳句」の影響を受けたにせよ、それらの作品の題材は自己の生活の一環であり、飽くまで佐久での生活を基盤に自己の作風を培っていったと捉える。
中西は時局詠、生活詠、自然詠のすべてが「馬酔木」の中にあり、社会性俳句についても「馬酔木」を通して、戦後俳句と間接的に繋がっていたと考える。
自然詠については仲も「馬酔木」高原派としての遷子、との捉え方であるが深谷は他の高原派との違いを言う。
問題は社会性俳句である。中西、仲は「馬酔木」や周辺の所謂「社会性俳句」の作家たちの影響を強調、原、深谷は飽くまで地域性を基盤にして出てきた独自性があると主張する。こうした中、筑紫の「社会的意識俳句」という捉え方は遷子の俳句を論じる上で新しい観点を提供するものである。〈沢木欣一、能村登四郎、金子兜太らが行った社会性俳句とは別の、より広い社会的な志向を持った俳句というコンセプト〉は魅力的で、所謂「社会性俳句」の影に埋もれてしまった多くの俳句を見直すことにつながる可能性がある。遷子をこれら「社会的意識俳句」の代表的作家と位置付けるのである。