2024年8月23日金曜日

【新連載】大井恒行『水月伝』評(1) 田中 信克

 本年(令和六年)四月、大井恒之行の第四句集『水月伝』が刊行された。第三句集『大井恒行句集』(現代俳句文庫)の刊行が平成十一年になるので、約四半世紀ぶりの句集ということになる。この間、作者は主に『豈』を中心に活動しているが、現代俳句協会やその他の俳壇での活躍については、読者諸賢がよく知るところであろう。またこれに先行して、作者が中核となって発行していた『俳句空間』(㈱弘栄堂書店)が現代俳句の新機軸となっており、精鋭な若手俳人が多く集まっていた。所属結社やグループを問わず、みな自由に創作し、闊達な論議を交わしていたように思う。大井はいつもその中心に居て、柔らかく実にさりげなく、多くの若手の面倒を見てくれていた。かく言う私自身も、その雰囲気に惹かれて俳句を始めた者であり、大井の都会的で洗練された美的感覚と、冷静でしかも温かい視線を伴った社会意識に魅了された一人である。今回の句集を読むと、そんな大井の人間的な魅力が改めてよく分かるとともに、日本の戦前・戦後が抱えてきた問題や、二十一世紀も四分の一を過ぎようとする現在の、社会の在り方というものが、自然と問われてくるのである。


【句章構成の特徴から見る全体の鳥瞰】

 まず句集全体の構成を見てみよう。『水月伝』はローマ数字が振られた四つの章から成り立つ。その中で第Ⅲ章は作品全てが追悼句という特徴的な形を為しており、それを挟むような形で、第Ⅰ章では、戦前から現在に至る日本と世界が問い直され、第Ⅱ章では作者の身近な自然や生活を見つめ直すことで、その在り方が吟味されている。そして最終章の第Ⅳ章では、日本の社会文化、精神構造の歴史といったものが振り返られつつ、それを受け継いだ現在の日本の姿や、ここ数年の世界の様相が改めて問い直されている。また第Ⅲ章を構成する追悼句の数々は、俳句の先輩達や仲間達、交友のあった文化人達に捧げられたものだが、作者の追悼の思いを通じてそれらの人々が偲ばれると同時に、彼らの社会的業績や人物像から、その「人生の意味」や、大井自身が彼らと共に生きた「時代」というものの意味が再考察されているようである。そう考えるとこの句集は、この八十年ほどの現代史や、ここ二十五年ほどの時代の経緯への、作者としての追善句集と言えるのかもしれない。繊細な感覚と温かい視点が全体に溢れており、そこにふと冷静でシニカルな表情も見出すことが出来、実に味わいの深い句集となっている。以下、章ごとに幾つかの作品を挙げつつ、感想を申し述べたい。


【戦前から戦後、そして現在へ。作者が心に願うもの】

 まず第Ⅰ章だが、冒頭と章末に置かれた次の二句が、この章に託す作者の意図と思いを象徴的に示していると思われる。


  東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク         

  戦争に注意 白線の内側へ             


 「東京空襲」の句では戦前から現在に至る世界的時間の流れが振り返られている。見れば分かる通り、上五には第二次大戦末の日本の戦災が詠われ、下五には二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ事件が仄めかされる。そこから中七へと時間を送るように、下五の事件を切っ掛けに起こったアフガン紛争とその長期化、結果としての米統治の不成功が指摘されてもいるようだ。三つともアメリカの世界覇権に関わる問題だが、その三つの事件の間を流れる歴史的な時間の流れが、この十七音にはぎっしりと詰まっているようでもある。この間、第二次大戦の終結があり、東西冷戦体制の鬩ぎあいがあって、やがてその一極であった社会主義経済体制が崩壊し、取って代わるように起きたグローバリズムと新資本主義経済の進展の中で、格差の拡大とテロ社会の問題が蔓延した。そして今でもそれが続いている。それらがここ数年のロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権主義と周辺諸国との軋轢にも結びつくことで、今や第三次世界大戦への引き金に指が掛かったような状態となっている。章末に置かれた右の句の、「戦争に注意」というフレーズは、まるでそのことを暗示しているようでもある。

 第Ⅰ章の作品には、主に前半部に戦前の日本の統治がもたらした国民の苦悩と、戦後における体制の矛盾が語られている。また中半部以降で原爆と原発をめぐる諸問題や、東日本大震災での放射能汚染、果てはここ数年のコロナ禍での社会様相までが語られているのだが、そうした歴史的・現代的な出来事に焦点を当てつつ、この社会に生きる人々の感情や運命を掬い取るような形で、社会の在り方というものが検証されてゆく。そして最後に章末の一句の、「白線の内側へ」という言葉が呟かれるのである。警鐘とも祈りとも取れる言葉だが、ここには、過去の戦争と社会体制の過ちがもたらした悲劇の数々が想われており、それらが繰り返されぬようにとの作者の願いが込められている。



【シベリア抑留 兵隊という国民の姿】

 ではここでいくつかの作品を見てみよう。


  軍隊毛布抜け出る霊の青い陽よ          

  零下三十五度死者の両足雪の華          

  <近い帰国(スコーラダモイ)>いくたびも聞き日本海         


 この章の前半には「神風」「軍服」「日の丸」「千人針」といった言葉が並ぶ。これらはそのまま、戦前の日本が置かれた立場と、その中での国民意識を示しており、「泣く」「叫ぶ」「仰ぐ」「征きたがる」などといった動詞と一緒に、当時の国民が抱いた感情と社会正義との間の葛藤が問い直されてゆく。その中で読者は「シベリア抑留」を詠った幾つかの作品と出会うことになり、その過酷さと悲惨さに改めて思いを致すことになる。「シベリア抑留」については様々な形で伝えられ、報道されもするが、作者はまるでドキュメンタリー映画を制作するかのように、その一つ一つの事実を丁寧に掘り起こし、現場の惨状を映し出し、あるいは被害者の心の中の生の声を響かせることで、読者をその時代の現実に引き込むかのように作品を描いてゆく。遺体を包んだ毛布から、水蒸気が立ち上るかのように「抜け出」てゆく死者の魂。その実態を照らす「青い陽」が美しくも不気味に映っている。「死者の両足」が「華」のように爛れて変色し、膨らんでいるという現実。凍土という過酷な自然条件に置かれた奴隷状態の人間の姿が凄みをもって読者を圧倒する。また<近い帰国>の句では、「スコーラダモイ」というロシア語のルビを付すことで、「スコーラ(もうすぐ)」というソビエト側からの虚偽と慰めの説得と、「ダモイ(家へ故郷へ)」という抑留された者達の心の叫びが同時に示される。「スコーラダモイ」というロシア語の音自体が、被害者達の心の中に繰り返し繰り返し響いて、そのたびに悲痛な思いが募ってゆくような表出である。過酷な環境の中で、その言葉を信じざるを得なかった悲しい現実に思いが馳せられるのである。

 また次の作品も非常に印象深かった。


  木の 針金の ブリキの脚で 笑う人形     


 人形を形作る様々な素材。それを詠った句なのだが、この「脚」が戦地での負傷兵、あるいは戦後帰還した負傷兵の脚のように見えてしまうのは私だけだろうか。兵隊の人形と言えば、いわゆる玩具の「ブリキの兵隊」をイメージするが、この句からは、国民が「正義のイデオロギー」のもとに戦地に送られ、傷を負って帰ってくるという現実が想起されてしまう。そのような兵隊達=国民達が、明日がどうなるかも知れぬまま放っておかれ、半ば諦めるように「笑って」いる。そんな想像が湧いてくる。句中に配置されたスペース(空白)には、それぞれの国民達が負った事情や生活背景が隠されているようにも感じられるし、木や針金、ブリキといった様々な素材は、世界的な戦争に巻き込まれてゆく、諸民族や多様な国民の姿そのものを想い起させる。実に真実であり、実に哀しく意義深い作品である。


【「社会主義」の捉え直しと課題先進国としての日本の姿】


  蜉蝣や「虹色のトロツキー」はた「俳愚伝」       

  多喜二はピエタ神も仏もなきと母(セキ)           

  夏の雪横浜事件再審却下                

 

 章を読み進むに連れて時代もまた進んでゆく。やがて日本は戦後の混乱から、経済成長の時代へ移るが、東西冷戦の過程の中で、社会主義思想というものの立場が問われてゆくことになる。この句集では、経済成長以降の日本社会の保守右化傾向が冷静に見つめられつつ、社会主義というものが改めて問われ、それらの総体が総括されてゆくようでもある。ここでは一句一句の解釈は控えるが、この句例に挙げられた「事件」の意味が問い返されるとともに、作者の繊細でナイーブな、そして少しシニカルでユーモラスな表現に包まれた形で、読者との対話が重ねられてゆくようだ。

 次に日本の現在についての句例を挙げたい。


  除染また移染にしかず冬の旅              

  落葉「スベテアリエタコトナノカ」           

  原子炉に咲く必ずの夏の花               


  叫びは立ちこめ土砂より速く飲み込む海        

  ナガサキ忌星より月の匂いたる             


  切なる嫉妬密になりたいコロナウィルス         

  冬青空ウイズコロナウイズ核              


 やがて日本経済は低成長の時代を迎え、「失われた三十年」と呼ばれるようになるが、その中で迎えた多くの自然災害と人的被害は、日本社会に深い爪痕を残すことになる。原子力と核の問題、広島・長崎・沖縄の問題は解決をみないまま受け継がれ、この三十年の間に起こった数々の課題とともに混然となって今日に至っている。作者はそんな社会を鳥瞰的に見つめつつ、個々の事象に寄り添うように作品を紡いで行く。例えば一~三句目では、福島原発の放射能問題が語られるが、作者はそこに広島の原民喜の言葉を重ね合わせることで、原子力というものの持つ根源的な課題について掘り下げている。また三句目では、被害の救済や復興、原発処理の問題にあたって、関係行政や地元の人々が口にしたであろう「必ず」という言葉を用いて、その立場による意味性の違いを仄めかしながら、「約束」や「願い」の意味を問い返している。四句目以降では、沖縄の辺野古の埋め立て、被爆者への追悼など、日本社会に残された数々の問題が改めて問われ、やがて六句目以降の現在へと句集は時間を移してゆく。ここではコロナ禍の句を二例採り上げたが、「切なる嫉妬」の句では、あの「三密忌避」の状況がユーモラスに詠われ、「冬青空」の句には核に支配された日本国民の実態が、感染症の蔓延に例えられて、危うい国の現状に警鐘が鳴らされている。

 「核」というもの。一度使われてしまえば、世界が崩壊する最終兵器。その使用を避けるためには、まず「戦争」を起こさないことが第一である。その切なる願いを込めて、作者は冒頭に挙げた作品の、「戦争に注意 白線の内側へ」という呼び掛けでこの章を結ぶのである。

 


【身近な自然と時間 そこに見つめる人間というもの】

 第Ⅱ章に読み進んでゆこう。Ⅰ章では社会に向けられていた視線が、今度は作者の身近な自然に向けられてゆく。作者特有の繊細でなんとも美しい感覚が印象的で、時にはユーモラスに、時にはシニカルに演出されながら、愛唱すべき作品が綴られてゆく。この章では、その優しい調べをまず味わうことをお薦めしたい。印象深かった作品を十句ほど採り上げ、少し鑑賞してみることにしよう。


  春の空 球根の根ね さようなら           

  鳥かひかりか昼の木に移りたる            

  そこまでは言いなんでやと問うて春          

  覚めているほかは眠りぬ鈴の風            

  木を植えて木が音出すよ春の山            

  木下闇 花の絶えたる木を抱けり           

  嘆きの日青のみ痩せて青い空             

  ひかりなき光をあつめ枯れる草            

  万物のふれあう桜咲きました             

  漏刻や絶えざる春のみなもとに            


 なんとも愛唱すべき作品達である。心地よく、切なく、そして優しい。季節の彩り、空や風、温かさや涼しさ、明るさや音色など、作者を取り巻く様々な環境条件の中で、詠まれた対象の「在り方」が、柔らかな調べの内に美しく表現されてゆく。一句目の「さようなら」という心の中からの呼び掛けも、三句目の「なんでや」という関西弁の問い掛けも、どこか温かい対話を感じさせるし、六・七句目の「花の絶えた樹」や「痩せて嘆く」といった表現からは、対象の身体と心の痛みを思い遣る優しさが見て取れる。最後の句では、「漏刻」の水音に過ぎてゆく時間を感じつつ、その水滴の一音一音がすべて「春」だと捉えられている。作者の現在と、そこに見つめる生命や時間。いわば作者の「心の在りどころ」とでも言うものだろうか。「実相観入」という言葉も想われて、俳句の「写生」の意味について改めて考えさせられた。また先ほど述べたように、全体的にリズムの運びも優しくて、どこか唄や詩を諳んじているようでもあり、句章全体が読んでいて楽しい。俳句における「写生」と「音調・音律」といった手法について、現代風なタッチの内に、また一つの答えを示してくれている句章だとも感じる。


  風のいろ火のいろなべて地震の色           

  駅から駅へていねいに森を育てる           


 その中で、この二句には、第Ⅰ章に見るような自然や社会と対峙する問題意識を感じた。震災時、避難生活時に眼にした「風」や「火」の色。地震のような自然災害と隣り合わせの日本の国土での生活。それらの被害や不幸、そして助け合う絆のさまが、一句目にはそっと表現されているようだ。二句目は、植林や森林保全といった環境施策のことを詠ったものだろうが、駅に植えられた樹々が、鉄道の線路を伝って繋がり、いつか人間社会をくるりと包んでしまうような錯覚を覚える。第Ⅰ章が問題提起的な様相を見せるのに対し、第Ⅱ章ではそれを優しく言い換えるような形で、やはりここでも我々の現在が問われている。こうした多視点からの柔軟な見方と多様な表情の在り方も、また大井という作者ならではのものだと感じるのである。

 続く第三章以降について述べ進めたいが、既に長い文章になっているので、次回の掲載としたい。

(続く)