2020年11月13日金曜日

【読み切り】「鷲掴みの現代諷詠」――句集『赫赫(かっかく)』渡辺誠一郎(深夜叢書)より 豊里友行

 東京を丸ごとたたく夕立かな

  俳句表現の醍醐味であるモノの本質を鷲掴みした的確な言葉たちが、どの句にも魂の弦をしっかりと張られている。
 あとがきに「佐藤鬼房生誕百年が過ぎ」とあるが、佐藤鬼房俳句の魂は、受け継がれ、ここに健在だ。
 
 底冷えや川の匂いの文学部
 桜より淋しき息が出てしまう
 魂を隠しきれない水着かな

 

 現代俳句の題材をストレートに感性の瑞々しさに俳句に現れること多々あり。
 「文学部」をこのように瑞々しい感性で捉えた俳句を私は、知らない。
 桜を淋しくさせてしまった時代を私たちは、また造り出しているのか。
 水着で隠すはずの身体からは、生命の躍動や魂さえも隠せないのだ。
 
 渡辺誠一郎さんの東日本大震災から九年の歳月は、並々ならぬ言葉との格闘でもあった。
 
瓦礫失せ一痕として冬の星

 瓦礫が片づけられて整備されても、ひとつの痕跡は心の闇を照らし出す冬の星であり続けるのかもしれない。
 
狐火もて見るやメルトダウンの闇

 狐火は、東日本大震災で亡くなられた死者への日々追悼の灯火を燈す渡辺さんの意志ではないか。
 
原子炉を遮るたとえば白障子

 原発事故の責任や対策を国は、放置し続け、ないがしろにされ続ける。
 死者の尊厳を生き残った渡辺さんたちは、つねに俳人として東日本大震災を詠い続ける意味は、忘却、忘れたくない一心なのかもしれない。
 
原子炉はキャベツのごとくそこにある

 日常のキャベツと一緒に共存し始めた原子炉とは何だろうか。
 渡辺誠一郎俳句の社会詠の鋭さは、この日本大震災との俳人としての格闘にある。
 
 渡辺さんの社会詠は、時代を焙り出す。
 それらは、徹底した真実への眼差し、観察力を日々、磨き続ける中から宿る。
 

小雀の一羽加わる濁世かな
国よりも先に生まれし田螺かな
ミサイルの空は窮屈梅筵
はつきりと見えぬものへと捕虫網
軍装を今だに解かぬいぼむしり

 
 家族や周囲への温かな眼差しにも顕著に秀句があった。
 
妹の鼻が低くて金魚玉
金柑を握りて友を補足せり
姉の住むやさしき町のリラの花
金柑を握りて友を補足せり

 
 風土を鷲掴みする表現力に脱帽である。
 
ぬばたまの闇包まんと熊の皮
命などみえては困る万愚節
心臓を欲しがる夜の菊人形
隠沼に魂映すなら花のころ
みちのくのどれも舌なき菊人形
百年の鴨居を揺らす昼の蜘蛛
じゃんがらの手足からまる夏柳
栄螺堂闇ごと捩る余寒かな
静止衛星直下熊の子眠るなり

 
 どの句にも詩魂の弦がしっかりと張られていて共鳴句を選ぶのに困るくらいだった。
 ますますの御健吟を祈りつつ私も現代俳句の弦を弾く者として魂の共振をいただいた。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 下記の共鳴句も頂きます。
 
春暁のますほの小貝賜りぬ
宿縁をたどれば夜の蟬の穴
まつさきにわが眼窩へと秋の風
消えぬなら枯野の沖へ風となり
瞳孔の拡がり見える冬の湖
眼力の一つに春の飛蚊症
心臓に貼りつくことも飛花落花
轟沈を知っているなら水水母
かなぶんに当たれば固き空気かな
木にのぼる猫のしっぽの小春かな
凍滝は全重量でありにけり
鯛焼きのどこかに熱き心の臓
着ぶくれて脳みそ小さくなりいたる

冬深し小さな朱肉見つからぬ
身のどこか置き忘れたる蒲団干す



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