2020年11月13日金曜日

連載【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】2 縄文のビーナス  中村かりん

    縄文のビーナスに臍山眠る

 今年刊行された篠崎央子さんの句集『火の貌』の中の一句である。央子俳句を語ろうと思った時、真っ先に浮かんだのがこの「縄文のビーナス」の句である。縄文時代のでっぷりとした土偶の女をビーナスに見立てる事のできる央子さんの眼差しにまず脱帽した。またそこに臍を発見したことにより土偶の女性性が生々しく迫ってくるのである。どんな季語をつけてくるかと身構えていると「山眠る」とすとんと落とされる。大きな季語は土偶の眠っていた土、時間、空間をも内包し太古の時代へと思いを飛ばすことが出来るのである。
 さて、央子俳句といえば身体の軋みをダイレクトに伝える作品も多い。

   ぜんまいの開く背骨を鳴らしつつ
   血の足らぬ日なり椿を見に行かむ
   かはほりや鎖骨に闇の落ちてくる
   残雪や鱗を持たぬ身の渇き
   血の通ふまで烏瓜持ち歩く

 骨、血といった痛みを連想させる言葉の数々は、ともすれば痛々しい句となってしまう。しかしここでは上手く飛躍し幻想的な世界を幻視させてくれる道具となる。固く固く閉ぢふんわりと綿に包まれたぜんまいの渦の開く瞬間の音。献血をするかの如く椿を見て赤を足す。鎖骨には闇が溜まるのではなく落ちてくる。身が乾くのは鱗がないから。まるで昔は鱗を持っていたかのような馴染んだ表現である。そして烏瓜の句。あの真っ赤な烏瓜は持ち歩いている間に血が通ってしまうのではないか。そういったあり得ない恐れすらも美しく句として昇華してしまうのが央子俳句なのである。あの吟行の間、幼子の様に喜んで持ち歩いていらっしゃった烏瓜でそんな恐ろしいことを考えていたとは衝撃である。恐ろしくて今後も央子俳句から目が離せないのである。次回作までもう一度句集『火の貌』を読み返し、じっくり堪能してみたい。恐ろしい発見がまだまだあるに違いない。


中村かりん なかむらかりん
昭和四十四年 熊本県生まれ。
平成九年   「未来図」入会 
平成二十八年 未来図新人賞
平成二十九年 未来図同人
令和二年   『未来図』終刊と同時に俳号を「中村かりん」に。
       「稲俳句会」入会。同人。
句集『ドロップ缶』(中村ひろ子名義)にて第22回自費出版文化賞詩歌部門特別賞受賞。

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