2013年3月15日金曜日

近木圭之介の句【テーマ:多】/藤田踏青

風が無数の風の中から私を吹く              昭和58年作   (注①)
風は肌で感じるもの故、表現上で数値化することは難しく、拡大解釈の上で「無数」もテーマ「多数」の意に沿っているとして選句したものである。掲句の場合、風を集合としての総体として捉え、その中から一つの風が私の存在を選択した、という風に受け取れる。無色透明な風の中に潜んでいるもの、そして私に送ってきたそのメッセージとは何?それは私という存在が置かれた空間なのか、時間なのか、時代なのか、社会なのか。様々に想像されるが、感覚というものそれ自体が持つ受動性と曖昧性が刺激となる主体を限定することが出来ない故の読みの拡散とも言えようか。それが短詩型の持つ背景の大きさと限界とにもなってはいるのだが。掲句がプロローグであるとするなら、次の様な詩へと流れてゆくのではないであろうか。

<冬の風景の中で>                            (注②)
私は前にすすむ
影が私をうしろに引く
私はうしろに倒れようとする
私は冬の風景の中の一本の樹となる

一つの風が私を選んで吹き、一つの影が私をうしろに引き、そして私は一本の樹となる。そう考えると私という一個の存在の周りの風景が見えて来るのだが。

キャベツ畑真青なゼロが並んでいる            昭和58年作   (注①)

掲句と同年の作であるが、ゼロとは明らかにキャベツの形態を示したものである。そのゼロが並んでいることが多数に繋がって行き、イロニーな表情を示しているのが面白い。

月の夜 蝶のむれ月から出てくる             昭和23年作   (注①)
冬木の黒い集合体 月を出していた            昭和40年作   (注①)

前句は月が蝶のむれを出す主体となっており、妖しい雰囲気を漂わせている。それに比べ後句は月が冬木の黒い集合体から出てくる客体として置かれており、コントラストの激しさが印象的な作品である。


(注)①「ケイノスケ句抄」  層雲社  昭和61年刊
  ②「近木圭之介詩抄」  私家版  昭和60年刊

0 件のコメント:

コメントを投稿