2021年2月12日金曜日

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】11 なつはづき第一句集『ぴったりの箱』の触感  杉美春

 爽やかなロイヤルブルーの表紙に個性的な句集名とイラストが印象的。帯や本体の薔薇色のイラストもシンクロしていてまことに美しい。句集『ぴったりの箱』には、現在進行形のなつはづきさんがまさにぴったりと詰まっている。
 各章のタイトルにも工夫があるが、I章の「ファの鍵盤」には特に心を惹かれた。ドでもミでもソでもない、ちょっと不協和音を思わせるファの音が、本句集の序奏にふさわしい。宮崎斗士氏の跋によれば、「まず強く印象に残るのはなつさん独特の「身体感覚」である。・・・身体というものの機微をしっかりと見据え、その上で神羅万象を自らの身体という器で汲まんとする俳句作家としての姿勢。」であるという。この身体感覚、とりわけ「皮膚感覚」、五感のなかでも「触覚」に秀でた表現こそが、なつはづきさんの持ち味と言えないだろうか。そして感覚の飛躍、独自な取り合わせの妙、これもなつはづき俳句の特色だろう。

いぬふぐり聖書のような雲ひとつ
 いぬふぐりから目を空に浮かぶ雲へと転じている。「聖書のような」が清潔感のある白い雲と、聖書の時代から今現在への時間の流れも感じさせる。

象の背に揺られ春まで辿り着く
 若冲の描く白い象を連想させる。ゆるやかな白象の背にまたがり、ゆるゆると春へ運ばれる、そんな風景が目に浮かぶ。

春の水まずはくすくす笑いから
 「春の水」と「くすくす笑い」がぴったり。夏の水ならもっと豪快な笑い、秋の水なら、冬の水なら、と読み手が共鳴しつつ想像を膨らませる余地がある。

ヒヤシンス小さじ二分の一悪意
蟻地獄母を見上げている少年

 「悪意」や「蟻地獄」が本来美しいはずの「ヒヤシンス」や「母」との関係に罅を入れてみせる。

修正液ぼこぼこ八月十五日
 理屈を言わず、説明もせず、ただ「修正液」で八月十五日を表現した佳句。

チンアナゴみな西を向く神無月
花疲れ鳴りっぱなしのファの鍵盤

 この二句も取り合わせが個性的。確かにチンアナゴは同じ方向を向いている、それを西、神無月、と発展させたところが素晴らしい。「鳴りっぱなしのファの鍵盤」が花疲れの気分や身体感覚とよく響き合っている。この発想は非凡である。

はつなつや肺は小さな森であり
 初夏の空気感、それを思い切り吸い込んだ時の身体感覚を、「肺は小さな森」で過不足なく表現している。

殴り書きのような抱擁花梯梧
 インパクトのある喩えが見事。「殴り書き」「花梯梧」で、抱き合う二人の激情がストレートに伝わってくる。しかも表現が平凡ではない。

月白や鏡の中で待つ返事
 さらっとした表現の中に抒情が感じられるのは、季語の力だろうか。「鏡の中で待つ」という表現が、作者の行為や位置、二人の関係性を物語っている。

鍵探す指あちこちに触れ桜
指先がふいに臆病ほおずき市

 この二句の「指」の持つ感覚と思いも印象に残る。「あちこちに触れ」「ふいに臆病」という措辞も共感を呼ぶ。

夏あざみ父を許すという課題
 娘と父親の関係の複雑さ。慕う気持ちと許しがたく思う気持ちの共存。ある時は思慕に傾き、ある時は怒りに傾く。「夏あざみ」の花の美しさととげとげしさ、逞しさ、激しさがよく合っている。「父を許すという課題」をぜひ仕上げてほしい。

霜夜かな拾えぬ猫の声を背に
永田町子猫いっぴき分の影

 猫も、拾えない私も、せつない。「霜夜」だからなおさら。「いっぴき分の影」ではかなさが伝わってくる。永田町という地名も効いている。

冬怒濤少ない色で生きてゆく
 「少ない色」とは、余分なものをそぎ落とした、ぎりぎりの私自身ということだろう。冬怒濤の厳しさと美しさ。作者の潔さと覚悟が感じられる。

ぴったりの箱が見つかる麦の秋
平泳ぎなのかな麻酔醒めてゆく

 意外な取り合わせで、身体感覚をするどく切り取っている。術後の目覚めは、たしかに「平泳ぎ」のようだ。

思い出のそこだけが夜鮫が来る
 兜太の俳句「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」を連想させる。「思い出のそこだけが夜」という表現が読み手の想像をかきたてる。誰にもあるかもしれない負の思い出なのか。暗い海底から音もなく浮上してくる鮫の恐ろしさと美しさを思う。

背中からひとは乾いて大花野
 大花野の美しいだけではない寂寥感。水からあがれば(羊水を離れれば)、あるいは大花野に立てば、ひとは背中から乾いていく。死まで連想させる皮膚感覚の鋭い句である。

荒星やことば活字になり窮屈
 活字になった「ことば」とは、すでに書かれた作品であり詩情である。活字になった途端に「窮屈」に感じられるのは、作者がもうその先へ行き、新しい「ぴったりの箱」を探しているからだ。ヤドカリが一回り大きな新しい貝殻を探すように、蛇が脱皮を繰り返すように、なつはづきは一歩先へ一歩先へと踏み出し、俳句の新しい地平を切り開いていく。作句に苦悶しつつ、苦悶する自分を笑いつつ、日々「ぴったり」感を更新していく、そんな作者から今後も目を離せない。

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