2013年3月15日金曜日

再録・黒い十人の女(六)/柴田千晶

凍蝶の天降りくるや貌硬く   鈴木しづ子

ついに力尽きて中空から破片のように落ちてくる冬の蝶。その貌が硬いというのだ。凍蝶の貌に焦点を合わせた珍しい句である。

この句には堕天使のイメージがある。

天界を追放された天使が自らの意思で真っ逆さまに堕ちてゆく。その貌は不安と畏れで強張っている。堕ちてしまえばどうなるのか、どうとでも成ってしまえという自棄な気分と、堕ちることへの期待と昂揚もその硬い貌の下には鎮められているのかもしれない。

しづ子の未発表句7300句の中の、昭和26年9月5日の日付の24句中の一句である。同日に

凍蝶に蹤きて日陰を出でにけり

人の體を懼るる蝶の凍てにけり


などの句がある。

凍蝶といえば橋本多佳子の<凍蝶の指ふるるまでちかづきぬ><凍蝶も記憶の蝶も翅を欠き><凍蝶を容れて十指をさしあはす>などが思い浮かぶ。多佳子の『紅絲』(目黒書店)が刊行されたのは昭和26年6月である。しづ子はおそらく『紅絲』を読んだのだろう。この頃のしづ子の句には多佳子の影響が多くみられる。多佳子の詩的に洗練された言葉に比べ、しづ子の言葉はどこか垢抜けない。

しかし、しづ子の言葉には体で摑み取った実感がある。しづ子は凍蝶に自己を投影し、その境遇を詠もうと試みた。

天空から傷だらけの冬の蝶が真っ逆さまに堕ちてくる。その硬い貌はしづ子の真顔に違いない。

花吹雪岐阜へ来て棲むからだかな   「樹海」1月号 S25


昭和24年、30歳になったしづ子は東芝車輛の同僚Sとの短い結婚生活にピリオドを打ち、東京を去った。

岐阜でダンサーに転身したわが身を、しづ子自身はどう思っていたのだろう。

世間一般的には「ダンサーに堕ちた女」という烙印を押されたであろう。

しづ子はなぜ岐阜へ行こうと思ったのか。これまでの一切の過去を捨てるべく、新天地で心機一転を図ったのか。

昭和21年に亡くなった母の墓を建立する資金を作るために岐阜でダンサーになったという説もあるが、どうもしっくりこない。

ここからはまったくの想像である。

昭和23年2月、父の再婚に続き、師である松村巨湫も再婚している。このことがしづ子の流転人生のきっかけとなったのではないか。

当時しづ子は「樹海」(巨湫主宰)の同人である大学生Iと交際していたが、2月に巨湫が再婚すると、流されるように同僚Sのプロポーズを受け、翌3月には巨湫宅で結納を交わしている。その後も大学生と交際を続けていたということから、Sとの結婚が心から望んだものではなかったように思える。

師への当てつけと言ったら身も蓋もないが、再婚した師への思いを断ち切るためだったのではないか。

すでに恋ふたつありたる雪崩かな   「樹海」7月号 S23

林檎剥くややにそだつる妻ごころ   「樹海」1月号 S24

師を近く冬夜契りをなしにけり   「樹海」3月月号 S24

指輪凍つみづから破る恋の果   「樹海」2月号 S25


ふたつある恋とは同時進行していた大学生Iとの恋ではなく、実は師、巨湫との恋であったのではないか。

だとしたら師の前での結納の儀は自虐的な行為に思えるが、しづ子には自虐をばねに前進してゆく性質があり、自分を壊さなければ前に進めない人なのかもしれない。


そう思えば、その後のしづ子の行動にすべて納得がいくのだ。短く終わった結婚生活も、まるで逃れるように岐阜へ向かい、自らダンサーになったことも。そして、ただひたすら師である巨湫に向けて送り続けた7300句という大量投句も——。

昭和24年、しづ子は岐阜で新生活を始める。この年は4月から12月まで「樹海」への投句を休んでいる。生活を立て直すため、俳句どころではなかったのかもしれない。そして翌、昭和25年、しづ子はダンサーに転身する。

黒人と踊る手さきやさくら散る   「樹海」1月号 S25

花の夜や異国の兵と指睦び   「樹海」1月号 S25

娼婦またよきかな熟れし柿食うぶ   「俳句研究」4月号 S25

情慾や乱雲とみにかたち変へ   「樹海」6月号 S25

身の変転あかつきを降る春霞   「樹海」6月号 S25


<黒人> <異国の兵> <娼婦>など、通俗的な興味を掻き立てるような言葉をしづ子は大胆に使っている。第一句集『春雷』で俳壇の注目を浴びたしづ子だが、もっと認められたいという野心と、有りの儘を詠むしかないという真っ正直さが、このように大胆な句を詠ませたのかもしれない。おそらく巨湫への挑発もあっただろう。巨湫はこのしづ子の挑発を歓んでいたに違いない。スキャンダラスな句でしづ子が注目を浴びることは、巨湫の知名度を上げることにもつながってゆく。

この先、しづ子は巨湫の野心をもわが身に乗せて、短い俳句人生を突っ走ってゆくことになる。
この年の10月、しづ子は黒人GIのケリー・クラッケと同棲生活を始めている。が、しづ子の新しい恋も長くは続かない。

昭和26年5月、ケリーは朝鮮に出兵され、戦争によってまたしてもしづ子は恋人との仲を引き裂かれてしまう。

しづ子の巨湫へ向けての大量投句はこの6月から始まる。恋人不在の淋しさをしづ子は大量に句を作ることによって埋めようとしたのかもしれない。しづ子は一度に100句以上の句を三日にあげず巨湫へ送ることもあった。そのエネルギーは凄まじい。

90句……100句……180句……200句……ただひたすら句を作り、巨湫へ送り続けることでしづ子は自分を保っていたのだろう。

しづ子には、こうして吐き出した大量の句への執着はあまりなかったようだ。自選して投句するという意識はまるでなく、昭和26年以降の「樹海」に掲載された句はすべて、送り付けられた大量投句の中から巨湫が選んでいたらしい。

夏みかん酸つぱしいまさら純潔など   「樹海」7月号 S26

コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ   「樹海」7月号 S26

蟻の体にジユツと当てたる煙草の火   「樹海」8月号 S26

青蘆の天かがよへり情死もよく   「樹海」11号 S26

雪こんこん死びとの如き男の手   「樹海」12月号 S26


これらの句からはアンニュイな娼婦のイメージが伝わってくる。しづ子の大量投句は玉石混淆と言われているが、確かに7300句の中には退屈な句も多くある。それが延々と続くと読み続けることがつらくなるほどだ。これを全て巨湫に丸投げしてしまったしづ子の甘えと、その甘えを許してしまった巨湫。この師弟関係は、一般的な師弟関係では計りきれないものがある。

「樹海」7・8月号では「しづ子特集」が組まれ、この号に巨秋は「慎ましい野性」という一文を掲載している。第一句集『春雷』の序文を貰うため、しづ子が浦和の巨湫宅を訪れた時のことを書いたものだが、これがまた思わせぶりな一文である。<私は卓に倚りかかり筆を走らつづけた。燃えしぶつたときの煙りが闇とともに部屋にたちこめ、ともすれば二人を闇のなかにおぼれさせようとした>なんだろうこの軽薄さは。

三好潤子の第一句集『夕凪橋』の小島政二郎の跋文も、潤子との親しい関係を想像させるような一文であったが、巨湫の場合もしづ子との特別な一夜を仄めかすような文章になっている。無名結社の主宰である巨湫が、俳壇のスターとなったしづ子の人気に便乗しているようで、かっこ悪すぎる男と思うのだが……なぜかしづ子は巨湫の虚栄心にとことん付き合ってしまうのだ——。
「好きな人のためにやりました。」

昭和56年(1981)3月25日に起きた三和銀行大阪茨木支店の1憶8千万円のオンライン横領事件の犯人M子(32歳)が、逃亡先のマニラで逮捕され、出入国管理局に拘束された。マスコミが殺到し、フラッシュが焚かれ、何本ものマイクが突き出される中、犯行の動機を問われたM子は、「好きな人のためにやりました。」と答えた。

美人銀行員によるオンライン・システムを利用した大胆な犯行と、マニラへの逃亡がワイドショーでも話題になった。

日本のワイドショーで流されたその映像を私も見た記憶がある。

勤続14年の真面目な女子行員M子は、背が高くてハンサムな青年実業家に出会ったことで人生を踏み外してゆく。

銀行前にキャデラックで乗り付け、大阪郊外の高級レストランへ案内してくれた男は、実は会社の経営に行き詰まっていて、多額の借金を抱えていた。関係が深まると、男はM子に借金の申し入れをするようになる。

最初は10万円、次第に30万、50万……とその額は増えてゆき、最終的に約900万円もの金をM子は男に貸してしまう。

貯金残高が0に近づくと、男は銀行から金を引き出せないかとM子に犯罪計画を持ちかける。
当然M子は断った。が、借金を返済しないとヤクザに殺されてしまうかもしれないと泣きつかれ、M子はけっきょく男に押し切られてしまう。これまでに貸した900万円への執着と、男への情、性愛への未練が、M子を犯罪に走らせたのだろうか。

このまま男に流されて犯罪を犯せば全てを失ってしまう。家族も仕事も。32歳の良識のあるM子にもそれはわかっていただろう。

だが、たいていの女はここで引き返すはずの崖っぷちを、M子は勢い良く翔んだのだ——。

暦日やみづから堕ちて向日葵黄   「樹海」8月号 S26


3月25日午前10時、M子は予め開設していた架空名義の四つの口座に、オンライン端末機を利用して合計1憶8千万円を入金した。その間、わずか約24分という短時間の犯罪だった。M子はその後「歯医者に行く」と職場を抜け出し、大阪、東京の3支店から現金計5千万円と小切手で計8千万円を引きだした。M子はたった一人でこの犯罪をやり遂げた。

裸か身や股の血脈あをく引き   「樹海」8月号 S23


その間、自分のアリバイ工作をしていた男は、待ち合わせの場所にも遅れて現れ、M子を労うことなく現金4千5百万円を受け取り、残りの5百万円をM子に渡した。その金を持ってM子は羽田からマニラへ向かった。

1ヶ月後には男がマニラにやって来ることを疑わず。マニラで日本料理の店を一緒にやろうという男の言葉を信じて——。

だが、男がマニラに来ることはついになかった。M子が逮捕されるまでの約5ヶ月間に男からの電話はたった一度きり。

M子は男に見棄てられたのだ。そう気づいた時、M子の中に男への激しい憎しみが生まれたに違いない。

雪はげし汝れに言ふべきことは死ね   未発表句 S26.11.29


しかし、M子は逮捕時のインタビューに「好きな人のためにやりました。」と答えたのだ。これはどういうことなのか。

マニラでの不安な逃亡生活。M子はA氏という芸能プロダクションを生業とする男に頼っていた。逮捕時には、自分を裏切った男よりもA氏に情が移っていたはずなのだが、M子の「好きな人」はA氏ではなく裏切った男を指していた。

なぜ犯行に走ったのか、なぜあの時、崖っぷちから勢い良く翔んでしまったのか、M子自身にもきっとわからなかったのだろう。

「好きな人のため」としか言いようがなかったのだ。

だが、きっとM子は自分では御しがたい獣のようなものに突き動かされて翔んだのだ。普通では翔べないような向かいの崖っぷちまで。

M子を利用し裏切った男は、彼女から金を奪い性愛の悦びを与えることで、M子の箍を一つずつ外していったのだろう。

10万……20万……100万……900万……そして1憶8千万円——。

犯行に走ったM子は、自分の中に目覚めた獣を解き放ちたかったのだろう。

天にのぼる凍蝶にしてひたむきに   未発表句  S27.2.26


昭和26年12月、しづ子は念願の母の墓を愛知県犬山市の妙海寺に建立する。

この頃、巨湫はしづ子の第二句集を刊行するべく動いていた。しづ子の与り知らぬところで、巨湫は手許の大量投句から句を選出していたのだ。信じがたいことに句集のあとがきはしづ子から届いた何通かの手紙の文章を、巨湫が継ぎ接ぎしたものというのだ。

なにもかも捨ててしまいたい気持ちにさせられます。それでも時折、不意に、此の世に未練がましいものが頭をもたげてきます。俳句もそのひとつ。

(中略)

前半生を了えてみてつくづく思うことは、けっきょく自分は弱かった――人生というものに完全に負けてしまった、ということ。

立ちあがりたいと思います。

巨湫先生には我が儘なくらい甘えています。


最後の一行は巨湫の虚栄を満たすものに外ならない。自分で入れるか、これ? っと突っ込みを入れたくなる。

こうして、昭和27年1月1日、第二句集『春雷』(随筆社)は、しづ子の意思とは無関係に世に出た。
そして同日、麻薬中毒で体調を崩し米国へ帰国していた恋人ケリーの訃報がしづ子の元へ届いた。

この余りにも出来すぎた偶然も伝説の女らしい。恋人の死を詠んだしづ子の句はどれも硬質な詩情のある秀作である。

霧の洋渡り渡りし訃報手に    未発表句 S27.1.2

霧五千海里ケリー・クラツケへだたり死す   未発表句 S27.1.2

訃報掌に霧もむら立つ体のほとり   未発表句 S27.1.2

しかばね置く霧をへだてし東のかた   未発表句 S27.1.2

雪ふれりテキサスに置く一人の墓   未発表句 S27.1.23

ケリー・クラツケ亡し葡萄の種を地に吐く   未発表句 S27.2.5

人還るこの世ならざる霧の中   未発表句 S27.2.26

霧たてばかたちなきものかい抱く   未発表句 S27.3.30

悲しめば吾が体一つの霧笛かな   未発表句 S27.3.30

訃の紙の置かれて白き寒夜かな   未発表句 S27.6.20


昭和27年3月30日、句集『指輪』の出版記念会に出席するためにしづ子は上京した。巨湫への義理を果たしたのだ。

9月15日付けの投句を巨湫に送ったのを最後に、しづ子は消息不明となる——というのが、鈴木しづ子の伝説である。

その波乱の日々が、第一句集『春雷』から始まり第二句集『指輪』で終わっていることに、作家としてしづ子が背負った宿命を感じる。消息不明後の実人生には更なる波乱が待ち受けていたかもしれないが、作家としてのしづ子の波乱はここで見事に完結していると思う。

それが幸福なことであったのか、不幸なことであったのかはわからない。

しかし、第一句集『春雷』跋文の、しづ子の言葉がすべてを物語っているように思う。

師のかたじけないお言葉と、羽生書房ご主人の多大のお骨折りにより世に送らせていただくことになりました私の処女句集
 
春  雷
 

いとしい限りでございます。


『春雷』の序文を巨湫から授かったあの一夜が、しづ子の人生にとってもっとも幸福な瞬間であったのかもしれない。

へだたればいつさい喜劇石榴咲く   「樹海」11月号 S31


昭和57年7月27日、M子は懲役2年6月の判決を言い渡された。主犯とされた男は懲役5年というものだった。

昭和59年8月、M子は模範囚として仮出所し、平成2年には事件を承知している会社員と結婚したという。

M子が愛する人と出逢ったように、しづ子もだれかと出逢っただろうか。

水ほとり冬の蜻蛉に肩慕はれ   未発表句 S26.11.26


波乱に富んだ来し方をふり返り、わが人生を「いとしい限りでございます。」と、しづ子はそうつぶやいただろうか——。

そうであってほしい。きっとそうであったに違いないと、なぜか確信のようにそう思う。



未発表句はすべて『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』(新潮社)から引用した。川村蘭太氏の緻密な取材と深い洞察と直感力で、しづ子の謎を一つ一つ解き明かしてゆく大変面白いノンフィクション。巻末の鈴木しづ子未発表句7300句も圧巻であった。

しかし、3段組6ポイントの大量句を読むのはかなりしんどかった。挫折しかけたところに思いがけず西原天気さんの助け船が。A3拡大コピーほんとうに助かりました。天気さん、ありがとうございました。

参考文献

鈴木しづ子『夏みかん酸つぱしいまさら純潔など』 河出書房新社
『道の手帖 鈴木しづ子』 河出書房新社
川村蘭太『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 新潮社
江宮隆之『凍てる指』 河出書房新社
宇多喜代子『女性俳人の系譜』 日本放送出版協会
『女性俳句の世界』第3巻 角川学芸出版
松田美智子『美人銀行員オンライン横領事件』 幻冬舎アウトロー文庫)
山崎哲+芹沢俊介『<恋愛>事件 500メートルの女たち』 春秋社
など。

0 件のコメント:

コメントを投稿