2024年8月23日金曜日

第231号

               次回更新 9/13

【広告】『語りたい龍太 伝えたい龍太——20人の証言』 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年春興帖
第一(6/21)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(6/28)小野裕三・水岩瞳・中西夕紀・神谷波・坂間恒子・山本敏倖・加藤知子
第三(7/12)岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀・杉山久子・松下カロ・木村オサム
第四(7/19)小林かんな・ふけとしこ・眞矢ひろみ・望月士郎・鷲津誠次・曾根毅
第五(7/26)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行・竹岡一郎
第六(8/23)青木百舌鳥・小沢麻結・渡邉美保・前北かおる


令和六年歳旦帖
第一(5/25)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(5/31)小野裕三・水岩瞳・神谷波
第三(6/8)山本敏倖・岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀
第四(6/14)杉山久子・木村オサム・小林かんな・ふけとしこ
第五(6/21)眞矢ひろみ・望月士郎・曾根毅
第六(6/28)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行
第七(7/12)竹岡一郎
補遺(8/23)高橋比呂子・なつはづき

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第48回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測258 戦後生まれのラストスパート―――小澤と正木はどういう道をたどったか

筑紫磐井 》読む

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測255 俳人協会賞受賞者 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる

筑紫磐井 》読む

【新連載】大井恒行『水月伝』評(1) 田中信克 》読む

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】 1 地球を想う人 辻村麻乃 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり13 岡田一実句集『醒睡』 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(49) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](47) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
8月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測258 戦後生まれのラストスパート――小澤と正木はどういう道をたどったか 筑紫磐井

 小澤實『澤』が蛇笏賞・俳句四季大賞、正木ゆう子『玉響』が読売文学賞・詩歌文学館賞を受賞した。小澤實は昭和31年生まれ、正木ゆう子は昭和27年生まれである。

 小澤は『立像』で俳人協会新人賞、『瞬間』で読売文学賞、『俳句の始まる場所』で俳人協会評論賞、『芭蕉の風景』で読売文学賞を受賞。正木は『起きて、立って、服を着ること』で俳人協会評論賞、『静かな水』芸術選奨受賞、『羽羽』で蛇笏賞を受賞している。

 同世代でも格段の受賞歴であり、これらの業績を見ても、戦後生まれの代表的な作家であることが分かる。


●小澤實

 『澤』(KADOKAWA2023年11月)は第4句集。過去は、句集『砧』(1986年)、『立像』(1997年)、『瞬間』(2005年)を刊行している。長年指導を受けた藤田湘子の「鷹」を退会し、2000年「澤」を創刊・主宰し20年を迎えているが、『瞬間』以後20年近く句集を出していないのは、有力雑誌の主宰としては珍しいことだ。最近一年刊に限った句日記『瓦礫抄』(2022年)を出しているが、これだけでは「澤」創刊後の小澤實の全貌はわからない。同人会員たちも主宰の句集を待望していたから、その句集が受賞するというのは喜ばしいことであろう。


秋風やカレーにソースかけて父

みしみしと増ゆる人類冴返る

青嵐われら富士への斜面にあり

即死以外は死者に数へず御柱

少年を死なせし国やさるすべり

あめんぼにあめんぼ乗るやまたたく間

ふかく眠りぬ秋草の生けあれば

入道雲ねぢれ立ちなり海の上

薫風や頬杖ついてかんがへず

ささと鳴る天蚕の繭振りみれば

少年の墨書の遺書や知覧春

翁に問ふプルトニウムは花なるやと

年あらたまる人類の深き智慧


 かつての古典的で俳諧の本道を行く作風から、写実的な俳句や、社会性・思想性のある俳句が多くなってきている。20年ぶりの句集だからこそ納得できる結果である。「澤」の方向性を示すためにもよい結果となった。


●正木ゆう子

 『玉響』(春秋社 2023年9月)は第6句集。過去に、『水晶体』(1986年)、『悠HARUKA』(1994年)、『静かな水』(2002年)、『夏至』(2009年)、『羽羽』(2016年)と定期的に刊行しているし、それらの大半が受賞するという業績を上げている。「沖」に入会し、能村登四郎の死後「沖」を退会し、一時渋谷道の同人誌「紫薇」に所属した以外は無所属を続けている。


たれも見ぬ深山の螢火になれるか

我こそはとみな生きて去る風の荻

美しいデータとさみしいデータに雪

濡れて重たき昭和の傘よ昭和の日

行く鷹の後ろにこの世なき如く

身を庇ふこと冬蝶を飼ふごとく

けふ土手は紋白蝶の祭らし

澁谷道さんと約束

蟬羽月お茶をするなら竹林で

どちらかといへば暗いからどちらかといへば明るいへと寒暁

絶滅せぬ種は無く廻る寒北斗

玉響のはるのつゆなり凜凜と

ゆらめいてこの星もひとつぶの露


 この数年間は正木にとっても激動の時期であったようで、世間ではコロナ、自身もがんで入院・手術、親しい人々の死や、自分を俳句に導いてくれた兄・正木浩一の33回忌と身内の死去なども回想している。それ相応に年齢を加えて無常感も漂い始めたようだ。若々しい第一句集、あるいはそれ以前を知っている私からすると感慨を禁じ得ない。

     *

 ここで一言言っておきたいことがある。それは二人が最初から戦後生まれの第一線を走っていたわけではないことだ。新興俳句出版社の牧羊社が1985年前後に「精鋭句集シリーズ」を刊行している。従来に例を見ない、次代を担う戦後生まれ作家を取り上げた画期的な句集シリーズであった。そのメンバーは次のような顔ぶれであった。


『火のいろに』(精鋭句集シリーズ・1) 大木あまり 

『氷室』(同・2) 大庭紫逢 

『絢鸞』(同・3) 大屋達治 

『鵬程』(同・4) 島谷征良 

『花間一壷』(同・5) 田中裕明 

『メトロポリティック』(同・6) 夏石番矢 

『窓』(同・7) 西村和子 

『海神』(同・8) 能村研三 

『古志』(同・9) 長谷川櫂 

『銅の時代』(同・10) 林桂 

『芽山椒』(同・11)保坂敏子 

『午餐』(同・12)和田耕三郎


 12人が当時の精鋭であると認められていたことに間違いないが、その結果はどうであったろうか。田中裕明と大庭紫逢はすでにない。またこの顔ぶれの中で読売文学賞を取ったのは、大木あまりと長谷川櫂である。

 そしてこれからすぐわかるように、小澤實と正木ゆう子はこのラインナップには入ってはいなかった。小澤は別の句集企画で、正木は私家版でその成果を世に問うていた。これは今売れっ子の高野ムツオも同様だ。

(以下略)

 ※詳細は、俳句四季7月号参照


【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測255 俳人協会賞受賞者 ――昭和俳句史・平成俳句史・令和俳句史をたどる 筑紫磐井

 恒例の俳人協会賞が一月末に決まった。俳人協会賞にはよく知った人もいれば、協会賞の受賞で初めて知った人などまちまちであったが、今回は俳人協会賞の二人、俳人協会評論賞受賞者もよく知った人であった。おそらく彼らの作品については、俳人協会の機関誌「俳句文学館」、あるいは総合誌でその作品について紹介があるだろうが、少し立ち入って受賞した俳句作品以外の受賞者のプロフィルについても紹介してみたい。作品以外で紹介するのは邪道と言われるかもしれないが、読者にとっては興味深いと思われるからである。


●橋本榮治の多方面 

 句集『瑜伽』(角川文化振興財団)で俳人協会賞を受賞した。

 橋本は馬酔木に入会し、選者とは別に特に林翔や福永耕二の指導を受けていた。林や福永は沖の指導者であったから、当時沖にいた私と比較的交流の機会も多かった。どういうわけか、私とは「俳句研究」の赤塚編集長時代に超結社吟行会を何度か一緒した。鈴木太郎、鳥居三太、遠藤若狭男、小島健、灘谷まりうすや、時折小澤實、棚山波朗などもいた。この超結社のつどいを契機に、黛まどかの主宰する若い女性ばかりの俳句結社「ヘップバーン」との共同句会やその支援を行ったりした。多くのメンバーがフェミニストであったこともある。その後「俳句研究」の中西編集長時代に、「句集渉猟」と言う対談会を一緒したことがある。異例の二年以上にわたり膨大な句集を批判したのだが評判は良かった。

 こうした超結社のつどいは私とは別のところで、黒田杏子との句会や、同人誌「琉」の刊行などでも進んでいたようで、「馬酔木」編集長を務めながら、「枻」(雨宮きぬよとの共同主宰)を創刊、その一方で黒田杏子を中心とした同人誌「件」の編集長を勤めるなど馬酔木正統と言うよりはより遠心的な活動に進むことになった。

 その意味で、近年、金子兜太を顕彰・研究する総合誌「兜太Tota」を創刊して編集人となり、『林翔全句集』の刊行に当たり編集人となり、『黒田杏子の世界(仮称)』の編集にとなったがその何れも私も参加しているのは奇縁だと思っている。


涼しさや乙女が鳴らす一の的

かの日より妻には妻の炎暑あり

八月が去る遠き蟬近き蟬


●千葉皓史の一部撤退

 句集『家族』(ふらんす堂)で俳人協会賞を受賞した。

 千葉は「泉」に入会し、石田勝彦、綾部仁喜に師事し、平成三年第一句集『郊外』により第15回俳人協会新人賞を受賞。その後、大木あまり、長谷川櫂とともに「夏至」創刊に参加した。しかし、その後は結社・同人誌からも遠のき、あまり目立った活動は見えなかった。今回の句集が2冊目、34年ぶりの句集と言うことで驚かされた人も多いと思う。

 理由ははっきりしている。実は千葉は篆刻を本業とし、文具を始めとした雑貨を商う「Genro」を営んでいたからだ。この名は千葉の篆刻の号である「玄蘆」にちなんでいる。更に同所に瀟洒な外装のカフェ「茶・いぐさ」も開店している。立派な実業家になったのだ。そしてこれを契機に町おこしに参画し、まちづくり協議会・まちづくり上井草の代表を務めている。一方、こうしたことから商店街のフリーマガジンの編集を行い、招かれて各地での講演に忙しい。俳人とはちょっと違う文化人となったのだ。千葉のまちづくりのコンセプトは、「雑木の株立ち」にあるという。一株の根から複数の幹が立ち上がっている状態が「株立ち」。一株の「株立ち」を植えるだけで、そこは小さいながらひとつの林が生まれる。まるで千葉の俳句そのものだ。句集『家族』を読むに当たって知っておきたい。

 さてなぜこんなに私が詳しいかと言えば、同じ町内の住人だからだ。千葉が俳句からしばらく引退している状況でも彼の近況は逐一見えていたのである。


金星の生まれたてなるキャベツ畑

水を打つ方へ方へと子が逃げて

雪解風そのとき母を失ひぬ

(以下略)

※詳細は俳句四季4月号参照

【豊里友行句集『地球のリレー』を読みたい】1 地球を想う人 辻村麻乃

  豊里さんとはfacebookでもこの俳句新空間でも繋がっているが、この度『地球のリレー』と『Peaceful love rock festival』という写真集の双方を頂いた。

 沖縄在住の作者は地域に根ざした俳句や写真を発表し続けている。

 この句集は第六句集とのことで、若い作者なのに創作意欲旺盛であることに驚く。多くの人と出会って発信してきた作者には平和への強い願いがあるのだと思う。


  黒板は空爆の空も消せますか

  眉を引くように始まる揚げ花火


 同じ空を見上げるときに単に綺麗だと思うだけでなく、戦争のこと、今災害に遭っている人や国のことを思う。

 この二つの句を読んで、作者の今の心に混在する想いを見たように思えた。

 それでも花火を美しいと思って、多くの人と共有する時間があってもいい。しゅっと揚がる瞬間を「眉を引く」と表現するセンスは抜群である。


 感動を写真で切り取って多くの人に見てもらうことも大切だが、その「時間」は一枚に封印される。俳句は同じ場面でも組み合わせる言葉によって奥行が出て、時を超えて生き続ける。

   万物が弾む地球のリレー

 作者が一度撮って留めた大切な瞬間と俳句によって読者の内部で永遠に生き続ける時間の両方が命を育む「地球のリレー」となって連綿と続いていくのである。


 


【新連載】大井恒行『水月伝』評(1) 田中 信克

 本年(令和六年)四月、大井恒之行の第四句集『水月伝』が刊行された。第三句集『大井恒行句集』(現代俳句文庫)の刊行が平成十一年になるので、約四半世紀ぶりの句集ということになる。この間、作者は主に『豈』を中心に活動しているが、現代俳句協会やその他の俳壇での活躍については、読者諸賢がよく知るところであろう。またこれに先行して、作者が中核となって発行していた『俳句空間』(㈱弘栄堂書店)が現代俳句の新機軸となっており、精鋭な若手俳人が多く集まっていた。所属結社やグループを問わず、みな自由に創作し、闊達な論議を交わしていたように思う。大井はいつもその中心に居て、柔らかく実にさりげなく、多くの若手の面倒を見てくれていた。かく言う私自身も、その雰囲気に惹かれて俳句を始めた者であり、大井の都会的で洗練された美的感覚と、冷静でしかも温かい視線を伴った社会意識に魅了された一人である。今回の句集を読むと、そんな大井の人間的な魅力が改めてよく分かるとともに、日本の戦前・戦後が抱えてきた問題や、二十一世紀も四分の一を過ぎようとする現在の、社会の在り方というものが、自然と問われてくるのである。


【句章構成の特徴から見る全体の鳥瞰】

 まず句集全体の構成を見てみよう。『水月伝』はローマ数字が振られた四つの章から成り立つ。その中で第Ⅲ章は作品全てが追悼句という特徴的な形を為しており、それを挟むような形で、第Ⅰ章では、戦前から現在に至る日本と世界が問い直され、第Ⅱ章では作者の身近な自然や生活を見つめ直すことで、その在り方が吟味されている。そして最終章の第Ⅳ章では、日本の社会文化、精神構造の歴史といったものが振り返られつつ、それを受け継いだ現在の日本の姿や、ここ数年の世界の様相が改めて問い直されている。また第Ⅲ章を構成する追悼句の数々は、俳句の先輩達や仲間達、交友のあった文化人達に捧げられたものだが、作者の追悼の思いを通じてそれらの人々が偲ばれると同時に、彼らの社会的業績や人物像から、その「人生の意味」や、大井自身が彼らと共に生きた「時代」というものの意味が再考察されているようである。そう考えるとこの句集は、この八十年ほどの現代史や、ここ二十五年ほどの時代の経緯への、作者としての追善句集と言えるのかもしれない。繊細な感覚と温かい視点が全体に溢れており、そこにふと冷静でシニカルな表情も見出すことが出来、実に味わいの深い句集となっている。以下、章ごとに幾つかの作品を挙げつつ、感想を申し述べたい。


【戦前から戦後、そして現在へ。作者が心に願うもの】

 まず第Ⅰ章だが、冒頭と章末に置かれた次の二句が、この章に託す作者の意図と思いを象徴的に示していると思われる。


  東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク         

  戦争に注意 白線の内側へ             


 「東京空襲」の句では戦前から現在に至る世界的時間の流れが振り返られている。見れば分かる通り、上五には第二次大戦末の日本の戦災が詠われ、下五には二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ事件が仄めかされる。そこから中七へと時間を送るように、下五の事件を切っ掛けに起こったアフガン紛争とその長期化、結果としての米統治の不成功が指摘されてもいるようだ。三つともアメリカの世界覇権に関わる問題だが、その三つの事件の間を流れる歴史的な時間の流れが、この十七音にはぎっしりと詰まっているようでもある。この間、第二次大戦の終結があり、東西冷戦体制の鬩ぎあいがあって、やがてその一極であった社会主義経済体制が崩壊し、取って代わるように起きたグローバリズムと新資本主義経済の進展の中で、格差の拡大とテロ社会の問題が蔓延した。そして今でもそれが続いている。それらがここ数年のロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権主義と周辺諸国との軋轢にも結びつくことで、今や第三次世界大戦への引き金に指が掛かったような状態となっている。章末に置かれた右の句の、「戦争に注意」というフレーズは、まるでそのことを暗示しているようでもある。

 第Ⅰ章の作品には、主に前半部に戦前の日本の統治がもたらした国民の苦悩と、戦後における体制の矛盾が語られている。また中半部以降で原爆と原発をめぐる諸問題や、東日本大震災での放射能汚染、果てはここ数年のコロナ禍での社会様相までが語られているのだが、そうした歴史的・現代的な出来事に焦点を当てつつ、この社会に生きる人々の感情や運命を掬い取るような形で、社会の在り方というものが検証されてゆく。そして最後に章末の一句の、「白線の内側へ」という言葉が呟かれるのである。警鐘とも祈りとも取れる言葉だが、ここには、過去の戦争と社会体制の過ちがもたらした悲劇の数々が想われており、それらが繰り返されぬようにとの作者の願いが込められている。



【シベリア抑留 兵隊という国民の姿】

 ではここでいくつかの作品を見てみよう。


  軍隊毛布抜け出る霊の青い陽よ          

  零下三十五度死者の両足雪の華          

  <近い帰国(スコーラダモイ)>いくたびも聞き日本海         


 この章の前半には「神風」「軍服」「日の丸」「千人針」といった言葉が並ぶ。これらはそのまま、戦前の日本が置かれた立場と、その中での国民意識を示しており、「泣く」「叫ぶ」「仰ぐ」「征きたがる」などといった動詞と一緒に、当時の国民が抱いた感情と社会正義との間の葛藤が問い直されてゆく。その中で読者は「シベリア抑留」を詠った幾つかの作品と出会うことになり、その過酷さと悲惨さに改めて思いを致すことになる。「シベリア抑留」については様々な形で伝えられ、報道されもするが、作者はまるでドキュメンタリー映画を制作するかのように、その一つ一つの事実を丁寧に掘り起こし、現場の惨状を映し出し、あるいは被害者の心の中の生の声を響かせることで、読者をその時代の現実に引き込むかのように作品を描いてゆく。遺体を包んだ毛布から、水蒸気が立ち上るかのように「抜け出」てゆく死者の魂。その実態を照らす「青い陽」が美しくも不気味に映っている。「死者の両足」が「華」のように爛れて変色し、膨らんでいるという現実。凍土という過酷な自然条件に置かれた奴隷状態の人間の姿が凄みをもって読者を圧倒する。また<近い帰国>の句では、「スコーラダモイ」というロシア語のルビを付すことで、「スコーラ(もうすぐ)」というソビエト側からの虚偽と慰めの説得と、「ダモイ(家へ故郷へ)」という抑留された者達の心の叫びが同時に示される。「スコーラダモイ」というロシア語の音自体が、被害者達の心の中に繰り返し繰り返し響いて、そのたびに悲痛な思いが募ってゆくような表出である。過酷な環境の中で、その言葉を信じざるを得なかった悲しい現実に思いが馳せられるのである。

 また次の作品も非常に印象深かった。


  木の 針金の ブリキの脚で 笑う人形     


 人形を形作る様々な素材。それを詠った句なのだが、この「脚」が戦地での負傷兵、あるいは戦後帰還した負傷兵の脚のように見えてしまうのは私だけだろうか。兵隊の人形と言えば、いわゆる玩具の「ブリキの兵隊」をイメージするが、この句からは、国民が「正義のイデオロギー」のもとに戦地に送られ、傷を負って帰ってくるという現実が想起されてしまう。そのような兵隊達=国民達が、明日がどうなるかも知れぬまま放っておかれ、半ば諦めるように「笑って」いる。そんな想像が湧いてくる。句中に配置されたスペース(空白)には、それぞれの国民達が負った事情や生活背景が隠されているようにも感じられるし、木や針金、ブリキといった様々な素材は、世界的な戦争に巻き込まれてゆく、諸民族や多様な国民の姿そのものを想い起させる。実に真実であり、実に哀しく意義深い作品である。


【「社会主義」の捉え直しと課題先進国としての日本の姿】


  蜉蝣や「虹色のトロツキー」はた「俳愚伝」       

  多喜二はピエタ神も仏もなきと母(セキ)           

  夏の雪横浜事件再審却下                

 

 章を読み進むに連れて時代もまた進んでゆく。やがて日本は戦後の混乱から、経済成長の時代へ移るが、東西冷戦の過程の中で、社会主義思想というものの立場が問われてゆくことになる。この句集では、経済成長以降の日本社会の保守右化傾向が冷静に見つめられつつ、社会主義というものが改めて問われ、それらの総体が総括されてゆくようでもある。ここでは一句一句の解釈は控えるが、この句例に挙げられた「事件」の意味が問い返されるとともに、作者の繊細でナイーブな、そして少しシニカルでユーモラスな表現に包まれた形で、読者との対話が重ねられてゆくようだ。

 次に日本の現在についての句例を挙げたい。


  除染また移染にしかず冬の旅              

  落葉「スベテアリエタコトナノカ」           

  原子炉に咲く必ずの夏の花               


  叫びは立ちこめ土砂より速く飲み込む海        

  ナガサキ忌星より月の匂いたる             


  切なる嫉妬密になりたいコロナウィルス         

  冬青空ウイズコロナウイズ核              


 やがて日本経済は低成長の時代を迎え、「失われた三十年」と呼ばれるようになるが、その中で迎えた多くの自然災害と人的被害は、日本社会に深い爪痕を残すことになる。原子力と核の問題、広島・長崎・沖縄の問題は解決をみないまま受け継がれ、この三十年の間に起こった数々の課題とともに混然となって今日に至っている。作者はそんな社会を鳥瞰的に見つめつつ、個々の事象に寄り添うように作品を紡いで行く。例えば一~三句目では、福島原発の放射能問題が語られるが、作者はそこに広島の原民喜の言葉を重ね合わせることで、原子力というものの持つ根源的な課題について掘り下げている。また三句目では、被害の救済や復興、原発処理の問題にあたって、関係行政や地元の人々が口にしたであろう「必ず」という言葉を用いて、その立場による意味性の違いを仄めかしながら、「約束」や「願い」の意味を問い返している。四句目以降では、沖縄の辺野古の埋め立て、被爆者への追悼など、日本社会に残された数々の問題が改めて問われ、やがて六句目以降の現在へと句集は時間を移してゆく。ここではコロナ禍の句を二例採り上げたが、「切なる嫉妬」の句では、あの「三密忌避」の状況がユーモラスに詠われ、「冬青空」の句には核に支配された日本国民の実態が、感染症の蔓延に例えられて、危うい国の現状に警鐘が鳴らされている。

 「核」というもの。一度使われてしまえば、世界が崩壊する最終兵器。その使用を避けるためには、まず「戦争」を起こさないことが第一である。その切なる願いを込めて、作者は冒頭に挙げた作品の、「戦争に注意 白線の内側へ」という呼び掛けでこの章を結ぶのである。

 


【身近な自然と時間 そこに見つめる人間というもの】

 第Ⅱ章に読み進んでゆこう。Ⅰ章では社会に向けられていた視線が、今度は作者の身近な自然に向けられてゆく。作者特有の繊細でなんとも美しい感覚が印象的で、時にはユーモラスに、時にはシニカルに演出されながら、愛唱すべき作品が綴られてゆく。この章では、その優しい調べをまず味わうことをお薦めしたい。印象深かった作品を十句ほど採り上げ、少し鑑賞してみることにしよう。


  春の空 球根の根ね さようなら           

  鳥かひかりか昼の木に移りたる            

  そこまでは言いなんでやと問うて春          

  覚めているほかは眠りぬ鈴の風            

  木を植えて木が音出すよ春の山            

  木下闇 花の絶えたる木を抱けり           

  嘆きの日青のみ痩せて青い空             

  ひかりなき光をあつめ枯れる草            

  万物のふれあう桜咲きました             

  漏刻や絶えざる春のみなもとに            


 なんとも愛唱すべき作品達である。心地よく、切なく、そして優しい。季節の彩り、空や風、温かさや涼しさ、明るさや音色など、作者を取り巻く様々な環境条件の中で、詠まれた対象の「在り方」が、柔らかな調べの内に美しく表現されてゆく。一句目の「さようなら」という心の中からの呼び掛けも、三句目の「なんでや」という関西弁の問い掛けも、どこか温かい対話を感じさせるし、六・七句目の「花の絶えた樹」や「痩せて嘆く」といった表現からは、対象の身体と心の痛みを思い遣る優しさが見て取れる。最後の句では、「漏刻」の水音に過ぎてゆく時間を感じつつ、その水滴の一音一音がすべて「春」だと捉えられている。作者の現在と、そこに見つめる生命や時間。いわば作者の「心の在りどころ」とでも言うものだろうか。「実相観入」という言葉も想われて、俳句の「写生」の意味について改めて考えさせられた。また先ほど述べたように、全体的にリズムの運びも優しくて、どこか唄や詩を諳んじているようでもあり、句章全体が読んでいて楽しい。俳句における「写生」と「音調・音律」といった手法について、現代風なタッチの内に、また一つの答えを示してくれている句章だとも感じる。


  風のいろ火のいろなべて地震の色           

  駅から駅へていねいに森を育てる           


 その中で、この二句には、第Ⅰ章に見るような自然や社会と対峙する問題意識を感じた。震災時、避難生活時に眼にした「風」や「火」の色。地震のような自然災害と隣り合わせの日本の国土での生活。それらの被害や不幸、そして助け合う絆のさまが、一句目にはそっと表現されているようだ。二句目は、植林や森林保全といった環境施策のことを詠ったものだろうが、駅に植えられた樹々が、鉄道の線路を伝って繋がり、いつか人間社会をくるりと包んでしまうような錯覚を覚える。第Ⅰ章が問題提起的な様相を見せるのに対し、第Ⅱ章ではそれを優しく言い換えるような形で、やはりここでも我々の現在が問われている。こうした多視点からの柔軟な見方と多様な表情の在り方も、また大井という作者ならではのものだと感じるのである。

 続く第三章以降について述べ進めたいが、既に長い文章になっているので、次回の掲載としたい。

(続く)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり 13 岡田一実句集「醒睡」(令和六年五月刊、青磁社)

 平井靖史氏の「帯」による鑑賞を記して置く。


未完了に揺らぐ瞬間をピン留めする魔法などどこにもないはずなのに、

この句集には、

数多の〈体験質〉たちが驚くべき解像度のまま封じ込められている。

著者は、言葉の水路網を指先で測深し、それらをこまやかに梳き合わせ、

そこにたまさか現れる時間の浅瀬に

風花雪月の工芸をつぎつぎと生け捕っていく。

切子のごときメカニカルな精緻さと

和紙のごときたおやかな陰翳とが饗応する幻の庭。

既存の手法では決して計測できない質の洗練に、

それでも固有の精密な測度があることを、この句集は証し立てている。


春宵や着信音が変な曲


春宵(しゅんしょう)は、春の宵(よい)の美しいうっとりした夕闇の時間帯にあって携帯電話の着信音が変な曲。

現代感覚の可笑しさみたいなものがある。

風情のある世界観をパズルのように切り取っていく変な着信音の曲が返って面白い俳句に仕立てている。


客どもは前向き野分ANA機内


飛行機のANAの機内では、客どもは前向きな野分けと捉え直して俳句を見い出したのが慧眼だ。飛行機の旅で野分けの客らが前向きに戦(そよ)いでいる。


断ちしぶるこゑを熊蟬どつと雲


熊蟬のこゑは、断つことを渋るように、そしてドドッと雲が湧きたつように鮮明に視界に立ち現れる。ダイナミックな言葉使いが、熊蟬のこゑを鮮明に表現している。


曲りゐる鮎の肋骨箸で梳(す)き

書きし字を折りて手紙や秋深き

買ひし土筆(つくし)を手づからに煮たりけり


鮎の曲っている肋骨を箸で梳くように取り除く。

こまやかな食事の所作を鮮やかにスケッチしている観察眼の効いた俳句だ。

書いた字を手紙を折る際に折ると感受するこまやかな秋の深まりを感じつつ。

観察眼というのは、物事の気付きを丁寧に感受することでひとつひとつ確認しなくても手紙の文字を折るということに秋の風情を感じている事にとても新しい俳句の世界観が立ち現れる。

買った土筆を手掴みに煮ている。日常生活の巧みな描写によって岡田一実俳句の丁寧な言葉採取が成されている事にも着目したい。

これらの繊細な言葉採取と言葉選びが、丁寧に紡がれながら平井靖史氏の云う「既存の手法では決して計測できない質の洗練に、/それでも固有の精密な測度があることを、この句集は証し立てている。」のだろう。


芍薬やいまし始まる紙芝居


この句集『醒睡』は、言うまでもなき1623年(元和9年)成立した『醒睡笑』(せいすいしょう)という庶民の間に広く流行した話を集めた笑話集に因んでいるのであろう。

では「芍薬や」で切れが効くこの俳句もまた「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の語り口のように今しがた始まった紙芝居の中に芍薬のような女性の立ち振る舞いから物語が鮮やかに始まるのかもしれない。

そう考えて見ると満面の星空のような俳句の数珠箱が本句集の中に煌びやかに詠み人を待ちわびているのであろう。

鑑賞者としての踵を正しながらそんな壮大な心持を感じつつ本句集の数多の共鳴句の数珠玉の俳句たちをいただきます。


楸(ひさぎ)咲く現(うつつ)いづこも日に傷み

日盛や亀虫が尻振り交(さか)り

蓮の花おろかな返事短かめに

撮らんとせし物を蚊の影過ぎりたる

祭衆をんなと見れば茶化しに来

瞳孔を広げ考へ夏の人

糸切れて巣をのぼる秋の蜘蛛

明くる日も酔の残れるつづれさせ

木犀の影の揉みあふう潦(にわたづみ)

果肉抜け皮あざやかや烏瓜

小さき蚊それごと風の姫女菀(ひめぢょをん)

脚を繰り菜花の奥にしづむ蜂

ぼんやりと山に日の入る桜餅


※また青磁社のHPより著者による朗読『醒睡』音声ファイルがあって句集鑑賞の助けにもなりました。とても良い俳句朗読の新たな試み。俳句もまた詩歌の朗読のように声にしてみるからこそ味わい深いのも必然。


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(49)  ふけとしこ

   ざくざくと

初蝉や旧旅籠屋に靴脱げば

ざくざくと切りことことと煮るトマト

インク壺へ戻す一滴夜の秋

小父さんに貰ふ木つ端も夏休み

夏逝くとタオルの硬く乾きたる


・・・

 前々回

  甌穴に閉ぢ込められし水も夏

という句を書いたら、甌穴(おうけつ)を知らないという方からメールがあった。

 早い話が水中の岩肌の凹みに小石が嵌り、流れによって渦巻きを作りながら、岩を刳り、その穴が次第に深く大きくなっていったということではないのだろうか。どれだけの年月がかかったのだろう。

 水量が少ない時だとよく見えるが、直径20センチばかり、深さもその位の穴が川底の岩に開いているのだった。それより一回りほど小さい穴、浅い穴と3つが並んでいた。甌穴の規模としては大きいものではない。  

 その辺りは字を相坪といったように思う。今になって考えると相坪という地名はこの穴の形を「藍壺」に見立ててのことではなかったのだろうか。藍染をやっている家があると聞いたことはなかったけれど。

 何故それを見たかったのか理由さえ覚えてはいないが、中学生の頃、2時間以上も自転車を漕いでそこへ行った。緩やかではあったが上り坂である。息を切らしながら登って行くのもワイワイと面白かった。3、4人でおにぎりを食べてお喋りをする、それだけのことが楽しくて出かけていたようにも思う。草花を摘んだり、小魚を追いかけたりして遊んだものだった。

 石灰岩地帯だから化石なども見ることがあった。化石といっても小さなウミユリなどが主だったが、そんな物を見つけるのも嬉しかった。理科の先生が地学に詳しかったから、その影響も大きかったのだろう。行って来た、見て来た、と、先生に自慢したかっただけかも知れない。

 東吉野村で案内されて見たのを最後にしばらく甌穴なども見ていない。

 相坪か藍壺かこんなことも遠い日のことになってしまった。

 もしも車で行ける機会があったとしても、こんなものの何が面白かったのだろう……となってしまいそうである。

(2024・8)