2023年3月24日金曜日

ほたる通信 Ⅲ(32)  ふけとしこ

帰らうよ


弥生とはうるみはじめし星ならむ

動かねばならず木の芽もわたくしも

春昼や脂の噴き出す松の幹

プーさんの短き上着春の雲

ぶらんこへチャイムがとどく帰らうよ

・・・

 海底耕耘船と読めた。

 神戸市西部の漁港へ吟行した時のことである。係留された漁船にそう書かれていたのだ。海底耕耘とは何ぞや? 耕耘という言葉は知っている。耕耘機も知っている。でも海底耕耘とは初めて目にすることであった。ましてや海底耕耘船とは。

 瀬戸内海が奇麗になり過ぎたと話題になっていた時期があった。

 いわゆる富栄養化問題が取り沙汰され、魚が獲れなくなった、海の汚染が原因だ、流れ込む物を規制しなければ、ということでその取り組みが始まり、少しずつ水質の改善がなされていった。ところが「水清ければ魚棲まず」と、まさにその通りのことが起きた。漁獲量も規制され、成果が期待されたにも拘わらず、獲れる魚は減ったままであった。

 漁師達が獲り過ぎるからだと非難され、当の漁師達もそうかも知れないと思ったり、水揚げした魚の育ちの悪さを嘆いたりして海を離れる人も出てくるようになった。

 以下は俄か仕込みの知識。浅はかな書き様しかできないが……。

 漁協や大学の研究チームの人達が思い至ったのが農業のやり方だったという。土を大事にしている。耕したり、肥料を与えたりしながら作物を育てているではないか、ということであった。水質だけが改善されても、海底そのものが衰えてきているのではないかというのである。そこで、海底を耕す、つまり堆積して硬くなったヘドロなどを攪拌してはどうかというところへ話が進み、海底耕耘プロジェクトなるものが立ち上げられたのだとか。

 漁船に鉄の爪の付いた道具を引かせて引っ張ってみようという話である。参加する船は休漁してその作業に当たることになる。が、海は広い。漁船は小さい。場所を定めて何往復もして……聞いただけで気が遠くなりそうだ。

 食物連鎖をいうが、その初めのプランクトンなどの最小生物が増えるには有機物が必要である。海底の沈殿層や堆積層が搔き回されて、息づくようになってくれれば、という期待がかかったのである。

 畑の作物は手を入れれば応えてくれるのが分かるが、海の底とあっては、なかなか目に見えるものではないだろう。それでも耕耘した海域にはプランクトンが増えて、底の泥や砂に棲む小生物が見られるようになっている、僅かずつではあるが魚も育ってきたようだと聞けば、何となく安堵する。

 そういえば、いつだったか明石の漁港で潜水作業をしている人達を見かけたことがあった。このプロジェクトと関係があったのだろうか。

(2023・3)