2023年3月10日金曜日

英国Haiku便り[in Japan] (36)  小野裕三


ブータンと南アフリカの英語詩

 先日、インド、ネパール、ブータン、日本に住む人たちをオンラインで結んだ詩の朗読会に参加した。唯一の共通言語はもちろん英語だ。僕は自作のhaikuを朗読し、インド人の一人の女性も自作のhaibun(俳文)を披露(もちろんhaiku付き)。興味深いことに、そんな彼らの詩は自国語からの英訳ばかりではなく、最初から英語で書いたと思われるものもあった。参加したブータン人の若い女性もそう見受けられたので、そのことを訊ねてみた。そして日本語を生きる僕には思いもつかなかった答えに驚愕した。

  「私の国のことばは、話しことば(spoken language)でしかなくて、書きことばとしての歴史がない。だから、私の国のことばで詩を書くことは難しいの」

 その彼女が詩を書く欲求を満たすために選びとったのが英語だった。自分の国のことばで詩を書けないのはさびしい反面、世界のいろんな人に読んでもらえて嬉しい、とも語る。彼女の話を聞きながら、これからは英語を母語としない話者による「英語詩」が世界に急速に広まるのかも、と思った。

 そんな話が面白いと思っていた矢先に、今度は別の機会で南アフリカ共和国に住む女性とオンラインで話した。彼女いわく、彼女の伯父さんは詩人で、反アパルトヘイトの政治的メッセージを持った詩などを書いたという。そんな彼女に、ブータンの詩人の話をすると、「私の国も似たような感じ。たぶんラテンアメリカの国もそんな感じじゃないかしら」と言う。彼女の国では、家庭内では英語ではない母語を話したり、あるいは英語を話したり、それは家庭によってまちまちだという。だが、社会的な公用語は英語で、だから学校ではみな英語で学習する。彼女の国の固有の言語は、やはり話しことばとしてずっと機能してきたようだ。

  「北アフリカはアラブ文化圏だから、書きことばとして残るものもあるけど、南アフリカは違う。私の国の詩や物語は口承文学なの。だから、中国や日本の古い詩や物語が書きことばで残っているのは羨ましくて、それは西洋文化への対抗手段(antidote)にもなると思うわ」

 彼女の国では、英語と彼らの固有の言語を混淆させて書く詩もけっこうあるという。例えば、主要な部分を英語で書きつつ、ポイントで固有の言語の台詞を挿入する、といったやり方だ。

 そんなふうに、ブータンや南アフリカの人たちは、英語という事実上の世界共通語に対する屈折した思いを抱えながら、その異言語に自分たちの詩の想いをぶつけていた。日本語を生きる僕の身からは想像もできない、不思議な詩の世界をインターネットを通じて垣間見た気がした。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2022年7-8月号より転載)

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