2023年3月24日金曜日

齋藤慎爾の現代俳句大賞の受賞・解説    筑紫磐井

  齋藤愼爾氏は深夜叢書社の代表であるが、自社以外に係る俳句、短歌、詩、小説など多くの文学分野に関する企画編集にかかわり俳句界に大きな影響を与えて来た。


 最初に注目されたのは雑誌や新聞での先鋭的な批評・時評であり、匿名も含めて無風の俳壇に強烈な刺激を与えた。私が最初に知りあったときは過激な時評で俳壇を批判していた。【主】【客】【主】【客】・・・の対話型の時評はユニークであり、激しい論難は、鎌倉時代の日蓮の「立正安国論」によく似ている。破邪顕正の筆法は当時の俳壇を震撼させたものであった。

 こうした批評を踏まえて数々のアンソロジーや編集企画に参加した。代表的なものでは、「アサヒグラフ」増刊号の7回にわたる俳句特集、朝日文庫「現代俳句の世界」16巻、三一書房の「俳句の現在」16巻、ビクターの「映像による現代俳句の世界」がある。当時角川俳句の全盛期にあって、新興俳句や前衛俳句は逼塞させられていたが、齋藤の事業によって初めてこれらの正当な評価が行われることとなった。昭和後期に俳句を始めた青年たちに衝撃を与えた企画は多くこうした齋藤氏が関与していたのである。

 最近の例で言えば、『20世紀名句手帳』(河出書房新社)全8巻があり、明治の子規以来現在までの一万六千句を精選した壮大な叢書である。

 また戦後作家の『飯田龍太の時代 : 山盧永訣』 (現代詩手帖)、『金子兜太の〈現在〉 : 定住漂泊』(春陽堂)などで様々な視点を加えた評価を行い彼らの声価を定めた。最近戦後俳句を兜太と龍太で語る企画が増えてきたのも斎藤氏の影響であったということができるであろう。


 俳句実作の経歴も長く、秋元不死男の「氷海」に入会し、鷹羽狩行、上田五千石らと競いあった。しかし出版業に参加するとともに俳句は筆を断つこととなった、齋藤が俳句に復活するきっかけは寺山修司であった。晩年の寺山修司と俳句雑誌を企画し、「雷帝」の誌名まで決めたものの、雑誌は刊行されることはなかったが、以後斎藤は俳句に精進し始める。『夏の扉』『秋庭歌』『冬の智慧』『冬の覉旅』『永遠と一日』『陸沈』『齋藤愼爾全句集』等を刊行し、その先鋭的な作品は俳壇内部だけではなく吉本隆明等多くの分野からの賞賛を受けている。

 実は俳人で齋藤慎爾の句業を触れる人は少ない。ところが最近、高澤晶子の発行する年刊俳句雑誌「花林花」2023号(2023年2月26日)には、「俳人研究 齋藤慎爾」が特集され、高澤晶子、鈴木光影らが40頁にわたり齋藤慎爾を論じている。全句集を視野に入れた斎藤慎爾論としてはおそらく初めての特集であり、かつ現代俳句大賞受賞を受賞した時期に誠に時宜を得た特集であり、本論を読んだ人には是非読んでほしい1冊だ。

 ちなみに、俳人齋藤慎爾復活のきっかけとなった寺山修司との関係で言えば、寺山没後10年、他の同人たちとの協力により「雷帝」(創刊終刊号)を刊行し大きな反響を呼んだ。この他にも、寺山との縁は深く、寺山と齋藤を全方向から解剖した『寺山修司・齋藤愼爾の世界ーー永遠のアドレッセンス』(柏書房)が出されている。


 齋藤が手掛けた著者の顔触れの中には、春日井健、塚本邦雄、高柳重信、清水哲男、寺山修司、三橋敏雄、楠本憲吉、唐十郎、吉本隆明、倉橋健一、島尾敏雄、大岡昇平、松村禎三、徳川無声、五木寛之、宗左近、鶴見俊輔等各界の多彩な執筆者を抱えているのが特徴だ。もちろん一方で、多くの新人の発掘もしている。私の知っている人でも、堀本吟『霧くらげ何処へ』、江里昭彦『生きながら俳句に葬られ』、須藤徹『俳句という劇場』、正木ゆう子『起きて、立って、服を着ること』等のとても商売になりそうもない若手の評論集が出されたのは齋藤慎爾のおかげだ。私の『飯田龍太の彼方へ』も、「豈」にささやかな連載で始めた小品に注目して、長編評論集に書き下ろさないかと連絡してきたのだ。誰も読まないような短い評論に注目し、1冊の本まで完成してくれる伯楽ぶりは俳壇も感謝してよいものである。

 新人の顕彰という意味では、芝不器男俳句新人賞は最初から審査員を務めたし、埋もれていた才能を俳壇に紹介した。また俳句四季大賞、蛇笏賞等多くの俳句賞の選考員を務め素晴らしい見識を示したし、その意味でも、俳句の世界では忘れてはならない人であった。


 齋藤自身の著述に戻って、最もユニークなのは評伝である。瀬戸内寂聴を論じた『寂聴伝』『続寂聴伝』があり、美空ひばりを論じた『ひばり伝ーー蒼穹流嫡』で芸術選奨文部大臣賞を、山本周五郎を論じた『周五郎伝ーー虚空巡礼』でやまなし文学賞を受賞している。ちなみに東京四季出版から出た『吉行エイスケの時代』も忘れがたい名著だ。週刊朝日でレコード評をしていたりする(三一書房から『偏愛的名曲辞典』を出している)のも実に意外で面白い。


 あまり齋藤慎爾に触れる評論や評伝がないので現代俳句大賞受賞を機に論じて見ることとした。多くの人に、この多様な才能に関心を持ってもらいたいものである。