「都市」主宰中西夕紀氏の第四句集。作品は年代別ではなく、テーマごとに六章に分けており、連山を踏破していくような感覚を覚えた。句集に納められた平成二十三年から令和元年までの間に、師である宇佐見魚目氏をはじめ、親しい方を見送っておられる。
邯鄲や墨書千年ながらへむ
本読むと大緑蔭へ行かれけり
一句目、書家としても知られる宇佐見魚目氏は享年九十四、二句目の大庭紫逢氏は享年六十七。「都市」に「現代川柳考」を連載中の病死であった。お二人と面識がない者にも、心に響く作品である。
垂るる枝に離るる影や春の水
混み合へる仏壇を閉ぢ夏布団
店奥は昭和の暗さ花火買ふ
かなぶんのまこと愛車にしたき色
夕映の窪みに村や春の富士
筆圧にペンみしみしと雲の峰
百物語唇なめる舌見えて
今、作者が見ている風景が、読み手の心で反芻されたとき、読み手の記憶を一気に引き出す。俳句にはそんな力があるのかもしれない。ノスタルジーとは違う力強さは、写生が効いた実感が伴う句だからである。一句目の〈垂るる〉〈離るる〉の調べは、季語と響き合って豊かな世界を描く。後書きに「句材を広げ、色々な詠い方を試み」とあるように、句材の幅が広くて楽しい。第四句のメタリックな色は、車ではなく〈愛車〉とすることによって作者の姿が見える句になった。
鴨撃ちの一羽一羽に触れ数ふ
捨猫に日数の汚れ月見草
ばらばらにゐてみんなゐる大花野
灯に透けて海月も泡も生まれたて
茶柱のやうに尺蠖立ち上がる
梟の月磨ぐ声と聞きにけり
万歳をしてをり陽炎の中に
旅にゐて塩辛き肌終戦日
日の没りし後のくれなゐ冬の山
いずれも、対象の芯を見定めようとする詠み方だと思う。一句目、〈触れ〉を見逃さなかったことで、景がよく見えるばかりではなく、まだ温もりがある鴨の命と猟師、両方の重さを感じるのである。三句目、大勢がいるけれども何か隔絶された空間にいるような不安。〈大花野〉がどこからどこまで続くのかわからないような空間を想像させる。作者は、不思議な空間で花野の先を見つめている。八句目の〈塩辛き肌〉に、生きている実感と死者への哀悼を感じた。
作者は吟行について「小さなものたちの命を描きたい」、旅吟について「その土地への思いを下敷きにして風景を描きたい」と記す。句集を閉じ、吟行に出かけたくなった。
(令和二年六月 本阿弥書店)
0 件のコメント:
コメントを投稿