2021年3月12日金曜日

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】13 無題  夏木 久

  サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」という楽曲の中に「Sail on silver girl. Sail on by.…」という歌詞が出てくる。なぜかこれを聞いた遥か昔から気になったパートなのだ。歌詞のサビパートの「Troubled Water…」はどんな困難に…、などと意訳されているが、このパートはほとんど銀色の少女という直訳しかない…。「銀色の少女」って何?ある舞台裏話では、作者のP・サイモンの奥さんに白髪を見つけた折のジョークらしい…?、てなことも…、それくらい想像できるが…、いまだに不明なのだ。
 初っ端から逸れた。句集へ戻る。先ず一読、正直上手い。「連衆」誌の谷口愼也師評にもあったが、「例えばこれらは季語との取り合わせに特段の無理はない。作者の身体にすっぽり収まっていて心地よい」「ここには新鮮な感覚と共に、反骨的な意思あるいは虚無感さえも覗かせている」…。短いスペースに端的に纏め評されている。
 自作を日記アルバムのようなものでない句集にまとめ上げ、一巻のドラマに仕立てる、ここですでに作者は第一句集にしてこの術を心得ているのだ。当然だ、それなりの組織の新人賞など簡単には手に入らないもの、余人の認めた正しく才能なのだ、と色々を想像してしまう。
 テクストも無駄なく明快明瞭、比喩や表記表現、情景状況の切り取りからの表現世界への展開…飛躍…、取り入る余地は全くない。ただ無理のない心地よい鑑賞を強いられる。それでは一文もものにできないではないか…。そこで幾つかのキーワードから物語りを紐解いてゆくことにした。

・「少女」から「雪女」、そして辞める…。
  少女期や夜の鯖雲ばかり見て
  雪女笑い転げたあと頭痛
  少女期の果ててメロンのひと掬い
  その町の匂いで暮れて雪女
  実印を作る雪女を辞める
  少女たち横一線に夏兆す
  雪女ホテルの壁の薄い夜

 ここだ。何故か「少女」に魅かれたらしい…。そこで前出の歌詞が何度も頭を過ぎった…、らしい。しかし少女は何時か雪女に、…そして辞めた、もう辞めていたんだ。
最後の少女にはたちが付き、作者は眺めているようだし、最後の雪女も銀色の風を残し、作者から離れてしまったように描かれている。物語は何気もなく、変貌してしまっていたのか、さり気無く背をを向けたように…。

・目に映らぬ数多の色…
  卒業歌水たまりぽっかりと青
  夏の月静脈灰色にめぐる
  巻き髪を水でほどいて緑の夜
  賢治忌や更地になって空の青
  白い部屋林檎ひとくち分の旅
  初氷心療内科の青いドア
  逢えない日闘魚は青を震わせて

 次に色彩語に目を奪われた。色付きの季語や言葉もあったが、色だけを表記した句を掲げてみた。しかし思った通り銀色はない、季語や色付き語を含めても青が多い(句集の表紙も…)。略歴から作者の年齢は推測できるが、銀色にはまだ遠いのかも、いや「雪女」に喩として取り込まれてしまっているのかも…、しれない。
ここでふと思う、そうこれらの色は目に映った色でなく、彼女の心象内の色彩なのだ、と。映像的には、よくCMなどである全体はmonoにして一色だけに色彩を付け誇張するような方法…、のように見えてきた。
 ぴったりの箱の中は闇なのだろうか…、記憶や想像を弄りながら色を探している…。色を探している「少女」と色を捨て去った「雪女」が彷徨っている、ようだ。
 確か万葉集の解説にあったと思うが、日本人(万葉時代)の色彩認識の基本は、形容詞表現のある白・黒・赤・青のたった4色から始まった、らしい。
  冬怒濤少ない色で生きてゆく
 そう決めてしまうには早すぎる…気がする、が、この句は句会で一句を見る折と、句集にある時では全く違った印象を持つ。作者の広角な感性に気づかされる、思いがする。
  白兎黒兎いて夜の嵩
 箱の外の夜の嵩に暫し圧倒されているのだろうか。一句が他の句を補足も説明もしているわけではないだろうが、物語を進展させ期待させ綴じてゆく。ここから多彩を感じさせる作者の力技を感じてしまうのだ。

・音楽は再現芸術といわれるが…
 音楽好きから言えば、モーツァルトの分り易く奇麗なスコアを見て、そのドラマを描き演奏を聞かずとも理解できる、ともなれば申し分ないが、そうは行かない…。演奏者が再現するから感動が沸き上がる、当然だ。
 であれば言葉を使うところのものは…どうなる。文芸は神の代弁(神の語の再現)から始まった、恐らく。そして何時しかそれは、死者の代弁へと移ろう、これも恐らく。柿本人麻呂も観阿弥世阿弥もシェイクスピアもそれをした、らしい。ただし今の私には、代弁者とは、作者・話者・役者(演者)或いは読者なのか…、判らない、と言っておこう。
 最短詩であるが故、分かりにくく?また死者の代弁者たろうとしても、それはドキュメントとなりえない、と思う。
 そんな思いを走らせていると、表紙裏の幾つかのイラストの箱から、数句が蘇ってきた。
  薔薇百本棄てて抱かれたい身体
  手のひらに火照り女滝に触れてより
  額あじさいもうすぐ海になる身体
  少女にも母にもなれずただの夏至
  小春日のあくび小さな翼かな

 絡み合う数多のエピソードから、一つのドラマが待っていたかのように浮上する、読者の期待に応えて。
 当然俳句は一句屹立。しかし短詩ゆえにキーワード的テクストからの紐解き…、がある。この句集の表紙裏や裏表紙裏のイラストに描かれた多くの箱たちにも思いが籠っているのだろうか…。テクストが読者に移れば別のものだ、絶対に。それを作者が企もうが、否であろうが…。
 しかし一つのドラマはほどなく解けて
  かなかなや痣は気付いてより痛む
  図書館は鯨を待っている呼吸
  雨水とは光を待っている睫毛
  夜の水は喉にくっきり終戦忌
  憲法九条蟹の大皿来るまでは

 「少女」も「雪女」も箱の外のことが気にかかって来たらしく、綾取りの別の綾を模索し始めるよう景色替えしてゆく、当然ながら。

・喪失と再生
 既に「ぴったりの箱」からの再生、言葉の再生は企て始められている。
  ぴったりの箱が見つかる麦の秋
  荒星やことば活字になり窮屈

 箱に触れる身体のあちらこちらはすでに窮屈を訴え、窮屈な身体は闇を擽り始め、闇を脱ぎ去るために新たな言葉を探し始める。
  まだ脱げる言葉があって寒卵
  綿棒で闇をくすぐる春隣

 当然、読者も脱皮を心待ちにし始めているのだ。

・クラインの壺…
 体を身体と記してからだと読ませ、体に纏わる語、とくに顔が多く記されてゆく。彼女はぴったりの箱に入った振りをしている…、その棺めいた箱から喪失したものを再生すべく、新たな色彩を模索し始めている。
 メビウスの輪の立体版にクラインの壺というのがある。これは内と外の認識の結論の曖昧さを問うている。窮屈な箱が次々とより大きな箱になってゆき、ついに気付く…、いや彼女はすでに気付いているのでは…、この空間を包む宇宙までの箱に。ここまで言い切ると現状、身も蓋もないが…。

・まだある幾つもの旅…
(森)の散策…
  寂しいチェコ語十一月の森に入る
  森はふとひかがみ濡らし楸邨忌
  はつなつや肺は小さな森であり

(危険な匂い…)を感じ取る
  蟻地獄母を見上げている少年
  近松忌まだ生温いナイフの柄
  蟻の群れわたしは羽を捥ぐ係
  地獄絵の中に書き込む秋風鈴
  秋暑し扉の軽き懺悔室
  やわらかい言葉から病む濃紫陽花
  夜の底をまさぐるように兎罠
  リストカットにて朧夜のあらわれる

 予見、予言のようなマスクの句もあったかと、作者は目に見えたものをすぐには再現しない。素直に謙虚に見続け、心象に落とし込み再現を試みるが、まだ再現を惜しみ、まだ距離を置いているかのように、再現して行く…。そんな技を術を既に会得している、そんな感じを持ちつつ、短い旅をいったん終えることにする。

 これは拙い私の鑑賞です。見事に作者と話者と演者が神出鬼没に現れ去ってゆく、物語に嵌まりました。
 一句屹立とはいえ、句会で好評だった句を並べたてられたような句集では…、数百句でもって一巻を編む以上、鑑賞させて頂かなくては、と思う。
 この句集は鑑賞にも干渉にも観照にも応える句集かと、
思い、今始まったばかりのなつはづきさんの今後の航海を楽しみにします、銀色の何かを感じさせるまで。
 詩(俳句)作に足を踏み入れたなら…、解けゆく前の遥か手前の言葉を…、永遠に枯れることはない言葉を…探し始める、死ぬまで…、です。
 次が愉しみです。

(了)

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